第31話 伊那 23歳 ラインを探して
ある日、伊那はマカロンを買うために店に入った。マカロンを選びながら、ふと日本で食べたマカロンの味を思い出した。マカロンはフランスから日本に輸入されたんだっけ。子供の頃にはマカロンなんて店で売ってなかったけど、いつから輸入されたんだろう。そんな風に想いを巡らせていると、ふっとその店にあるマカロンから、日本につながっている光のラインが浮かんできた。
「あ・・・」
思わず伊那は声をあげた。
美しい光の糸。銀河図書館で見たのと同じ、フランスと日本を繋ぐ糸。そうか、マカロンにもフランスと日本のラインが備わっている。
「Est-ce que je peux vous aider?(何かお手伝いしましょうか?)」
店員がそう声をかけてきた。
「あ・・・ええとフランボワーズとショコラをお願いします」
伊那は甘酸っぱいジャム系のものを好むが、ロウはチョコレートが好きだ。
マカロンを買って帰りながら、伊那は日本とフランスを繋ぐラインのことを考えていた。
日本へとつながる食べ物を使ったら、日本へのエネルギーラインができるのではないか。
いや、ロウはすでに日本とのエネルギーラインは持っている。おそらく母親から繋がっている。私からも繋がっているかもしれない。ラインを繋ぐのではなく、捻じれたラインをもとに戻し、ロウ自身の肉体を日本へと運ぶためのラインが必要なのだ。
今日、私ははじめてこの地上で日本とフランスとのラインを見た。
このマカロンが役立ってくれるのではないか。きっと何かのヒントがこの中にある。
家に帰った後、あまりにも伊那が真剣にマカロンを眺めているのでロウがからかってきた。
「イナ、マカロンの中に数学的議題でもあるのかい」
伊那の中にある、ロウと一緒に日本に行きたいという願いは秘めたミッションであり、ロウ自身には告げたことがない。
「ああ、うん、マカロンってエネルギーが日本に繋がっているのよ」
「日本でもマカロンが売っているって意味かい?」
「そうよ。あんまり気にしたことなかったけど、今日、ラインが見えたのよね」
「へえ、面白いね。いまも見えるの?」
「うん」
「それでそんな怖い顔をしてマカロンを見つめているの」
「うーん・・・」
ロウがからかっても、伊那は真剣にマカロンを見つめていた。
「ねえ彪、このマカロン食べてみて」
「ええっ、イナににらまれながら食べるのかい。嫌だなぁ。食べた気がしないじゃないか」
「コーヒー淹れてくるわ」
伊那はロウの苦情は気にせず、台所にたって二人分のコーヒーを淹れた。
「はい、どうぞ」
伊那はロウの前にコーヒーを置いた。
「また、何を思いついたのかなぁ僕の姫君は・・・。わかりました、食べますよ」
「あ、ちょっと待って」
伊那は、ロウの中にある日本へのラインの変化を見たいと思いついた。
しかし、なんとなく感じたことはあるが、エネルギーの中にあるのをハッキリ見たことはない。
今見ようと思って見えるのか・・・。
伊那はロウのほうに目を向けたが、いまエネルギーを透視したら嫌がりそうだな、と思ってやめた。
「はい、どうぞ召し上がれ」
ロウは苦笑しながら、マカロンを口に運んだ。
「うん、やっぱりこの店のマカロンはおいしい。イナににらまれてなければ、もっとおいしい」
「もうにらんでないわよ」
「いや、なんか、怖い顔しているよ」
バレてるか、と伊那は思った。ロウの体の透視はしていないが、マカロンの中にある、日本へつながる細い光の糸を追い続けていた。
日本へつながる光の糸は、ぐるんと突然ねじれて、ぷちっと途切れた。ロウの中の捻じれたエネルギーにひっかかったのだ。ダメだったか、と伊那は思った。マカロン一個で日本へのエネルギーを繋ごうとするのが無謀だったのか。ではもっと強いものはあるだろうか。たとえば米はどうだろう?米の中にある日本への光の糸なら、マカロンより強いかもしれない。
「イナ、食べないの?」
ロウに言われて、伊那ははっとした。
「食べるわ」
伊那はフランボワーズのマカロンを手に取った。日本への細い光の糸が見える。伊那はゆっくり味わって食べてみた。細い光の糸は、伊那の中にある日本への強い光の糸にすっと溶けていった。伊那の中にある日本へのラインは捻じれていない。
「イナは何を考えているの?」
伊那が顔をあげると、ロウが真剣な目をして伊那をみていた。一瞬、伊那はごまかそうかと思ったが、すぐに無駄だと悟った。この鋭い人にうそをついても無駄なのだ。もう少し、可能性をいろいろ探りたかったが、仕方ない。伊那はどんな風に話そうかと思いを巡らせ、それから意を決して言った。
「彪と一緒に日本へ行きたい」
その瞬間、ロウが一度も見たことのない硬直した顔に変わった。
「それはできない」
ロウの声には、一度も聞いたことのない冷たくて厳しい響きがあった。
「できないって知ってる、でも方法を探したい」
「僕ができないことを、君ができるわけないだろう!」
ロウは大声で言うと、ダン、と音をたてて立ち上がり、そのまま部屋を出て行ってしまった。
ロウが本気で怒ったのは初めてだ。年齢差がある二人は、ほとんど喧嘩をしたことがなかった。
やっちゃった、と伊那は思った。どう言えばよかったのか、と思ったが、他に言いようもない。それにどのみち、いつかは話す必要があることだ。
付き合い始めた最初の頃に、日本に入国できない理由を語ってくれたことがある。君が日本に帰るときに一緒に行けないけどいいかい?という風に聞いてくれた。うん、大丈夫、と伊那は答えたし、ロウと一緒にフランスで生きていこう、とあの頃は思っていた。
あれから四年の月日が流れ、ロウの中にある日本への強い憧れと、深い諦めを、伊那自身がどうしようもなく感じるようになってしまっただけのことだ。
でもまだ、道が見つかったわけではない。今日はただ、一緒に行きたいと言っただけだ。道が見つかったら、また話してみよう。伊那はそんな風に考えた。
ロウはずいぶん時間がたってから戻ってきた。まだ顔は強張っていたが、怒りは収めてきたようだった。
「大声を出して悪かった」
そう言って謝った。
「だが、これは僕の問題だ。僕は自分の問題に君を巻き込むつもりはない」
そう言って、それきりその話題には触れてこなかった。
表面的には、ロウと伊那の関係は元通りだった。だが、伊那はひそかに日本へのラインを探し続けていた。食事はいろいろ試してみたが、どれも捻じれて切れてしまった。念のため、日本から届いた衣服をロウに着せてみたが、何も変わらなかった。モノでは繋げないようだ。
ロウには日本人の友人もいる。ロウの事情を知っている人もいるが、誰もロウの運命に介入できない。そもそも日本人は「ねじれを直す」という種類の動きにあまり向かない。民族的に調和を選ぶようになっているため、ねじれに弱いのだ。ねじれとはこじれた関係性を示す。フランス人はねじれに強い。だからといって、フランス人では日本へのラインにならない。
結局伊那は、もう一度イチョウの木と相談するしかなかった。
伊那がイチョウの木に近づくと、イチョウはいつものように葉を揺らして迎えてくれた。
「やっときたね、何か方法は見つかったかい?」
「ううん。なんにも」
そう言って、伊那はイチョウを見上げた。
「彪の中では、日本へのラインがねじれているの。なにか試しても、ぜんぶ切れちゃう」
「ねじれを直そうとしても、それは難しいだろう。違うラインを引く方がいいのじゃないか」
「違うライン?そんなことできるの?」
「できるよ。ただし、人以外の手を借りなくてはならないが」
「神様?精霊?」
「そう、そういった種類の、人間界以外の存在の手をね。私は日本にいるイチョウの木に聞いてみたよ。日本では、イチョウの木が神様の木として崇められている場所がある」
「神社の神木のことね」
「そう、そのイチョウに聞いたのだが、外国から日本へ繋いだラインを通って、人が移動した前例がある」
「本当に?!」
「ただし、フランスではなく、中国から日本へのラインだがね。主が日本へ行ってしまい、あとで従者が追いかけたのだ。大昔、まだ船でしか日本へ行けない頃の話だ。移動そのものが命がけの時代、だが、中国から日本へは、仏教という高次元のエネルギーが移動しているからね。それをラインに使ったのだ」
「そういう方法があるのね。じゃぁ、仏教を使って、インドから日本も行ける?とすればキリスト教は・・・残念、スペインだわ」
「フランスには、素晴らしい癒しの力があるじゃないか」
「えっ?」
伊那はしばらく考えてみた。宗教に匹敵するような癒しの力・・・。
「ルルド!」
伊那は叫んだ。
「正解」
イチョウは葉をさわさわと揺らした。
流星の庵 Ryusei no iori 第三部~星の声を聴く者~ Naomippon @pennadoro
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