これだから野球は面白いへの応援コメント
子供のころは、実父も継父もトラキチで(大阪人の習性?)、私もよく野球を診ていました。自分自身は「超」が3つくらいつくほどの運動音痴なので、いいプレイには「おぉっ!」と歓声をあげますが、失策については、失策そのものに対して文句は言いませんでした。ただ、一つのプレーが大きく流れを変えたり、土壇場で試合がひっくり返るのを見ると興奮したのを覚えています。
医学生の6年間は九州にいたので、当時の「ダイエーホークス」のファンになりました。初優勝の時は、日本シリーズのチケットを取るために友達と電話をかけまくりましたが、電話がつながった時は、第一試合は売り切れており、第二試合のチケットを買いました。残念なことにダイエーホークスは4-1で日本一になりましたが、私たちが見に行った第二試合だけが負け試合でした。友人3人で福岡に行きました。確かスワローズ対ホークスだったと記憶していますが、3人のうち一人は、セリーグはヤクルト、パリーグはホークスのファンだったので、彼だけは、試合終了後も浮かれていました。
本当の野球ファンは、ひいきのチームが勝っても負けても、自身の品位を落とさないことだと思っています。暴れたり、ひどい言葉を吐いたりする人は、いかがなものかと思っています。
作者からの返信
自身の品位を落とさないこと、おっしゃる通りですね。
感情を昂らせること自体は決して悪いことではないと思うのですが、ネガティブな言葉を発してしまうのは違いますよね。
紫陽花は傘をささないへの応援コメント
中途半端に濡れるよりも、思い切りずぶ濡れになったほうが気持ちはよいと思います。
中高時代は、冬の雨の中をずぶ濡れで歩くのが好きでした。身体も冷えて、心の芯まで冷えていく、その感覚を感じる「自分」がいる、というのを確認して、自分のアイデンティティを確かめたかったのかもしれません。子供のころも、今も済んでいるところは冬でも雨が降り、時々雪が降る、という地域です。もちろん冬は一ケタ台の気温で、「南国」ではありません。
この年になると、財布やら、スマホやら、濡らしたくないものが増えて、そうすることはなくなりました。年とともに、私の本質ではないものをどんどん身に着けて行っているからでしょう。
作者からの返信
読んで頂きありがとうございます!
自分のアイデンティティを確かめたかった、まさにそんな感覚でした。
たまには全部取っ払って、ずぶ濡れになるのも悪くないですね。
黒ずくめの一人と一羽への応援コメント
最近では野良犬を見ることはほとんどなくなりましたが、今から30年ほど前、所用で歩いて30分ほどかかるお宅に、夜、お邪魔することになりました。
自宅を出てからしばらくして、一匹の野良犬と出会いました。彼は私を見て吠えるでもなく、警戒心をあらわにすることもなく、かといってじゃれついてくるような親密さを見せることもなく、てくてく歩く私の後を、少し距離を取っててくてくと歩いてくるようになりました。
知人の家までの道のりのうち、20分は一人の男と、一匹の野良犬の散歩となりました。当方としても、何とも形容しがたい連帯感を彼に感じていました。知人の家近くで、「ほなね」と声をかけると、その言葉を理解したかのように彼はまた一人で去っていきました。
とある夜の、一人と一匹のお散歩の話でした。
カラスとの一瞬の気持ちの交流、その話を聞いて、上記の出来事を思い出した次第です。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
こういうことありますよね。なんとなく通じているような気がするんです。
弾けるソーダが飲みたくなったへの応援コメント
センスのよい心地良い文体に、とても好感が持てます。構成のバランスも良く、とても読みやすかったです。
哀愁を誘う内容も、まるで自分が体験しているような、どこかに忘れてきた過去を不意に開けた箱の中に見つけたような、そんな良い気持ちになりました。
私も久しぶりにソーダ、飲んでみようかな。
作者からの返信
素敵なコメントありがとうございます!
弾けるソーダが飲みたくなったへの応援コメント
ぱちぱちキャンディ
口に入れると、なぜか口を開いてしまう…
(パチパチの音をひとに聞かせたいから)
そんな子、いませんでしたか?
(*^_^*)
タイトルがステキだな、って思って、
読みに来ました。
作者からの返信
ありがとうございます!
僕もなぜか口開いてました笑
弾けるソーダが飲みたくなったへの応援コメント
企画からお邪魔しました。
子供の頃は食べたけど、今は食べなくなった飲まなくなったものって多いですよね。
私も今ではコーヒーばかり飲んでます。
ちょっと駄菓子屋に行ってみようと思いました(^^)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ぜひ駄菓子屋行ってパチパチしちゃって下さい!
ラムネと仮殿への応援コメント
ダーウィンの言葉だったと思いますが、「強いものではなく、変化に敏感なものが生き残る」という言葉を思いました。
長く続いてきた「伝統」は、「変わらない本質」と、「時代に合わせて変化するあり方」の集合体ではないか、と常々思います。
頑固に、フレキシブルに生きていきたいと思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます!