各国の運用

 関係諸国はSM.82の数が揃うと早速実戦に投入した。


 イタリアはM8戦車をリビアや東アフリカに空輸。


 迅速な展開能力を実感した提唱者のバルボは誤射で死んでしまったが、米軍が本格参戦する42年8月まで制空権を確保していた事もあり、北アフリカでは上記のM8以外にも75㍉山砲を牽引したL3やL6、セモヴェンテL40 da 47/32、AB装甲車が活躍した。


 独は同機をクレタ島攻略までⅠ号対戦車自走砲の輸送に主用し、東部戦線ではマルダーⅠやRSOトラクター等を空輸していた。


 北アフリカ戦線ではフランスから鹵獲したロレーヌ・シュレッパーに10.5〜15㌢榴弾砲を載せた自走砲を送り込み、ロンメルを助けている。


 Sd.Kfz.221装甲偵察車(4t)に随伴して司令部と連絡を取る223装甲無線車(4.4t)をセットで、231装甲偵察車(8.3t)や250(5.8t)、251(8t級)を搭載可能で、どの戦線でも頼りになった88㍉高射砲は近距離であれば要員、弾薬毎輸送出来たが地上展開は現地車両に依存していた為、Me321輸送機の開発が急がれる事になる。


 日本は太平洋戦争突入後、フィリピンのM3軽戦車対策としてⅠ号自走砲を参考に開発したホルを緊急輸送。


 その後の島嶼戦でも守勢に転じた後軽戦車や重機を空輸し、陣地構築に貢献。


 他にも九四/九八式四/六屯牽引車や九○式野砲、九一式十糎榴弾砲等を輸送。


 硫黄島ではトーチカと化したホルやノモンハン事件で鹵獲したBT-7Aを参考にしたクセがM4戦車を撃破している。


 ハンガリーは軽量化されたトルディⅢが42口径40㍉砲、最大35㍉装甲と空挺戦車としては最高の性能を持っていたが、ソ連のT-34やKVシリーズに敵う物ではなく、T-70以下を相手取るのがやっとだった。


 連合側は英軍が他機により牽引したグライダーで7.5t前後のテトラークやM22ロウカスト軽戦車を用いた他はC-47に搭載したジープとM3対戦車砲のペアが限界だった事を考えると、活躍した期間は短いが低速とはいえ自力発進可能な機体による緊急展開可能な機甲、機動砲兵はそれなりに有効だったと言えるだろう。

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空中騎兵 海猫 @manntetsu

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