試作機完成
各国の搭載予定車両が完成する中、新型機が初飛行したのは第二次世界大戦突入後、1939年11月の事だった。
SM.82と名付けられたそれの要目は、
全長:21.60 m
全幅:29.68 m
全高: 6.05 m
翼面積:118.60 m2
翼面荷重:155.2 kg / m2
空虚重量: 8,852 kg
全備重量: 18,410 kg
客席部分容積:高さ2.75 m ×最大幅 2.91 m × 奥行き11.1 m(床の幅2.56m)
武装 12.7mmブレダSAFAT機銃*1 7.7mmブレダSAFAT機銃*3~4 爆弾最大4,900kg
発動機 アルファ・ロメオ128 RC21 空冷星型14気筒 950馬力×3
最高速度 370Km/h(4,000m)
巡航速度 325Km/h
実用上昇限度 6,000m
航続距離 3,000km
乗員 5名 兵員50名(貨物8,800㎏)
で、物資搬入がやりやすいように低翼から高翼とし、飛行その他に問題はない事を知ったドイツは早急な生産、戦力化を望んだ。
開発陣の一員であるユンカース、ツェッペリン両社に工場の生産ライン転換を命じると共に、イタリアから月産機数の半数を購入したいと要望を出した。
要望の裏にはポーランド侵攻時に入手したR35戦車に対し、自軍の装備するPak36が威力不足である事が判明。
黄色作戦を控え、より強力な砲を非力なⅠ号戦車に載せたⅠ号対戦車自走砲(全高2.25m、6.4t)の生産を急いでいたのである。
しかしサヴォイアの生産ベースが月産4機という返答に失望したドイツは、空挺部隊の規模縮小と搭載車両の選定に入った。
日本は3発機に馴染みが無く、完成したばかりの火星エンジンが好成績を示したのでそれの双発とした。
エンジンと武装の合計重量や馬力が原型のイタリア機より軽く強力で、翌40年に零式貨物輸送機と命名。
独やハンガリーも同年にSM.82の生産に成功。
イタリアは数が揃うまで生産設備の整った本国に同機を留め置き、戦力化に励んだ。
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