空挺戦車

 燃料体系が決まった頃、各戦線からの戦訓が反映された新規車両が姿を現しつつあった。


 中国ではZB26の7.92㍉弾が八九式中戦車の15㍉装甲を貫通。


 スペインではソ連の45㍉砲が猛威を振るい、その対策として12月にロールアウトしたⅢ号戦車E型は、今までの倍以上の30㍉装甲を施されていた。


 空挺戦車には重量の関係で全周に30㍉以上の装甲は施せなかったが、チェコの機関銃に悩まされた日本と、チェコが仮想敵国のハンガリーは試作車両の全周に最低でも16㍉の表面硬化装甲を施す事に決定。


 硬化処理を施す分、通常の防弾鋼板より製造速度もコストもかかったが、性能はそこそこ高く中口径の砲弾を圧延鋼板の2/3の厚さで防げたのである。


 16㍉の表面硬化装甲ではPak36には500m以内、45㍉砲には1100m以内のどの角度からでも貫通されたが、小銃弾を完全に防ぐ事が出来た。


 ハンガリーは13㍉から16㍉に増厚した他に溶接を全面採用した物をトルディ軽戦車Ⅱと命名。


 ノックダウン生産した物を採用したトルディⅠではなく、Ⅱでは国産化も果たした為エンジンは日本のエンジンの連結式ではなく、155馬力の液冷ガソリンで1号車は39年4月に完成。


 イタリアでは38年5月にアンサルド社が総重量11tの自走砲を完成させていたが、溶接を全面採用した上で日本製エンジンを搭載すれば、合弁会社で開発中の機体に搭載可能との試算から設計を変更。


 実機はまだ完成していなかったがモックアップはあり、30年に購入した車格の近いヴィッカーズ6t戦車やFIAT2000を参考に旋回砲塔とした。


 試算は当たり、40口径37㍉砲を装備し車体、砲塔共に正面装甲が30㍉もありながら、搭載量とほぼ同じ8.6tに収まった。


 M8と命名され、1号車は39年5月に完成。


 日本は九八式軽戦車を開発していたが、これを空挺用にガソリンエンジンヘ換装。


 1号車はノモンハン事件終了後の39年9月に完成した。


 ドイツはⅡ号戦車の初期生産型であるa型(7.6t)、b型(7.9t)が既に生産されているので空挺戦車の新規開発はされなかった。

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