重輸送機の設計と人間工学
各種車両がイタリアに持ち込まれる中、新型機の設計は滞り無く進んでいた。
会社設立以前から、イタリア空軍内部では搭載出来る車両を増やす為SM.75の胴体を拡張する計画があり、全高2.4mのランチアIZM装甲車が上方に35㌢の空間があれば乗降出来る為、75より95㌢高い機内高2.75mとして設計が進んでいたのである。
全長は19.6mから21.6mに伸び、幅はSM.75より座席1列分、48㌢広く2−3の5人掛けが可能な2.91mとなった。
SM.75の幅員2.43mは確かに従来の機体より広かったものの、乗用車の乗り降りに0.6mの空間が必要で床の幅も2.14mと狭い為、重量及び上方空間と共に車両搭載のネックになっていたのである。
装輪車両はフェンダーが、装軌車両は履帯がドアやハッチより飛び出ている為その分乗降空間は減らせるものの、車幅1.3mのくろがね四起や1.42mのL3は兎も角、全幅1.6mのキューベルワーゲンや1.7mのkfz.13シリーズで限界なのが判る。
九四式軽装甲車は幅が1.63mだが、乾燥重量が2.65tと搭載量2.72tのSM.75には運転手を一人付けるのが精一杯で火力のないトーチカにしかならなかった。
話を新型機に戻すと、計画では搭載量が8.6tだったが、超々ジュラルミンの採用で機体が160㎏近く軽くなったお陰で8.8tとなり、燃料の搭載量によっては9t以上の貨物を積む事が出来た。
もし木製機のままだったら積載量は6.2tに落ちていただろう。
これでも同じ時期にピアッジオで開発していた4発機、P.108の4tより上で、エンジンが3発少ない為低速ではあったが搭載量で凌いでいた。
イタリア空軍はP.108のスペアとして新型機、SM.82を設計していたが上手くいけば高速のP.108を爆撃機、低速かつ搭載量の大きいSM.82を輸送機として用いる事を計画していたのである。
エンジンはドイツからの出向者がディーゼルを推したが、
・採用国の一つであるハンガリーが全くディーゼル化していなかった事。
・ディーゼルを推すドイツも空軍はガソリンとディーゼルの混用で、陸軍は民間から徴用した車両の一部がディーゼルと混乱が見られ、海軍と奪い合いになっていた事。
・日本も車両はディーゼル化が進んでいたが航空機はガソリン一本で、混乱を招くと反対。
・イタリアも陸軍はディーゼルに関心を示していたが、試作中のエンジンが液冷、105馬力で825㎏とドイツ製で同じ液冷のガソリンエンジンより300㎏以上重く、空冷には更に不利だった事。
……等から38年末に燃料体系はガソリンに決まった。
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