技術交流

 会社設立とは別に各国の豆戦車や装甲車、軽戦車その他がミラノに集められ比較された。


 イタリアはマルコーニを擁していただけに無線機の軽さは群を抜いており、他にFIAT3000の砲塔後部に設けられた乗降口は、九四式軽装甲車の車体後部に設けられたそれと共に敵弾に対する乗員防護という点で一線を画していた。


 エンジン火災時の脱出は極めて危険ではあったが。


 空挺化だけでなく被発見性を下げる為にも軽戦車は他の戦車以上に低車高が要求され、搭載重量は未だ不明だが車高は既存車両以下を要求される事になる。


 ドイツはというと、溶接による生存性が既にスペインや中国で実証されていたので、ハンガリー以外感銘を受ける事はなかった。


 トルディ軽戦車の生産時にリベットで妥協していたハンガリーは、32年以降溶接技術を独から学んでいたが中々物にならず、小麦や石油、ボーキサイトの対独輸出拡大と引き換えに鉄鋼共々本格的に入手する事となる。


 最も注目を集めたのは37年にドイツ空軍がフンボルト・ドイツに開発させたディーゼルエンジンで、55kgの重さで158馬力を発揮。


 最初は驚愕を持って迎えられたが軽合金を多用していた為、価格や資源、技術的に到底他国でもおいそれと生産出来る物ではなかった。


 日本の装甲車両に見るべき点は殆ど無く、九四式軽装甲車のレイアウトを『体感』したフィアット技術陣は設計中の装甲車、後にAB40と名付けられるそれのエンジンと乗員の間に隔壁を設ける事に。


 唯一の例外は九四式四屯牽引車に搭載された空冷ガソリンエンジンで、元は米国のトラック用エンジンである。


 46.8kgの重さで定格71馬力、最大91馬力とドイツの新型ディーゼルエンジンには工作精度共々及ばないが、これは手の届く範囲だった。


 車格にしてはやや出力不足ではあったが二基連結すれば良い。


 大きさは兎も角エンジン重量は参加国の中で最も軽かった。


 Ⅱ号戦車に搭載された水冷ガソリンエンジンが140馬力で540kgなのに対し、持ち込まれてはいないが八九式中戦車甲型の同じく水冷ガソリンエンジンは118馬力で330kgだった。

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