空中騎兵

海猫

新型機

 スペイン内戦が勃発して3ヶ月経った頃、バルボの元へ米国駐在中の元部下から9月に就航した新型機の報告書が届いた。


 同封されていたパンフレットや写真等からも判明した事は、


 ・従来の1.5倍、21人を輸送可能


 ・上記と関連するが最大2.4mの幅員


 ・貨物型は最大2.7t積載可能


 という物だった。


 大西洋編隊横断飛行を成し遂げた国民的英雄である彼には、空軍を退きリビア総督に転じた後も空軍時代の人脈がまだ生きていたのである。


(サヴォイア社が新型旅客機を開発していたな……)


 彼は数日後にサヴォイア社の担当者を呼ぶと、こう尋ねた。


「今君の会社で開発中の機体を、ダグラス社の新型機を参考に改造したとしてL3戦車を載せられるか?」


 発言の背景には前年のアビシニア危機の際、対立していた英国にスエズ運河を封鎖されそうになった事があった。


 船は物資を大量に輸送出来るものの、英国にチョークポイントを抑えられている上に海上戦力で劣り、陸空より低速の為本国からリビア、アビシニア、果ては職権を逸脱しているとはいえスペイン等遠隔地への緊急展開には海運は不向きだったのである。


 担当者は提示されたL3戦車の要目から、車両の軽量化と搭載する機体の形状を変更すれば可能と答え、それに満足したバルボは退室を命じると早速ムッソリーニと連絡を取った。


 本国から飛ばした筈のバルボから突然連絡を受けたムッソリーニは最初は驚き、話を聞くに従い影響力に気付いて不快感を抱いたが話その物には反対しなかった。


 ムッソリーニもスエズ運河通行の危険性についてはバルボと認識が一致していたのである。


 翌日、ムッソリーニは米独駐在武官を通じてダグラス社にDC-3のライセンス生産、ドイツに溶接技術支援を要請。


 L3戦車を製造していたフィアットには、生産数低下を忍んでも軽量化の為溶接に戻すよう命じた。


 DC-3の実機が年明けに到着する頃には、先に届いた図面の単位換算が済んでいたので開発は順調に進み、初号機は同年11月に完成。


 SM.75と命名され同月に初飛行を行った。


 要目は


 全長:19.66 m

 全幅:28.96 m

 全高:5.1 6m

 翼面積:91.7 m2

 客室容積:高さ1.7m、最大幅2.43m、奥行き9.1m、床幅2.14m

 空虚重量:8,064 kg

 最大離陸重量:13100kg

 最大速度:362 km/h

 巡航速度:278 km/h

 操縦乗員:2名

 乗客数:3列席21人、4列席28 - 32人(2720㎏)

 エンジン:アルファ・ロメオ126RC.34 9気筒空冷(750馬力)×3

 巡航高度:6,250 m

 航続距離:1,720 km


 で、翌38年初頭に第1ロット6機が完成。


 民間に5機、軍用に1機配備され好評を博した。


 内製化する際、エンジン出力が原型機より劣っていた為双発から三発機に変更されたにも拘らず一年少々で完成に漕ぎ着けた事は称賛に値する。


 初飛行前には全溶接され2.7tと軽量化されたL3も生産されていたが、この頃には既に弱武装軽装甲の車両が最前線で活動する事が困難になり、牽引火砲による火力支援や後方警備、原点回帰として補給に用いられるようになると牽引火砲毎載せるか、より強力な車両を運用する為、搭載量増加が求められるようになった。


 ただ現地の航空機牽引車を利用すれば、牽引重量2t未満の火砲を地上でも運用人員や弾薬共々運べた為、使えないという訳ではなかった。


 本機はそもそも軽車両単体の輸送が目的である。


 汎用性への欲求と戦訓が当初の想定を超えていたと見るべきだろう。


 貨物機や人員輸送機として評判が良かったので、ハンガリーでライセンス生産が行われ独日も関心を示した。


 ハンガリーはトルディ軽戦車に更新され始めていたがL3を運用しており、独は大型金属機の製造ノウハウと2線級部隊に配備されつつあったKfz.13、14装甲偵察車(各々2.2、2.7t)を保有し、フォルクスワーゲンの軍用版、キューベルワーゲン(1t)を開発中だったのである。


 日本は陸軍が38年1月から受領したフィアットのBR.20を、イ式重爆撃機と呼称し運用していたものの、評判が悪く時期も合わなかったが海軍が意欲を見せた。


 日本海軍もDC-3のライセンスを取得していたが、単位変換に手間取り初号機の製造に難儀していたのだ。


 見返りとして日本は開発したばかりの超々ジュラルミンを提供。


 既存企業はスペイン内戦や支那事変で余力がなかったが、新型機開発の為サヴォイア社の子会社として10月にミラノで合弁会社が設立された。


 サヴォイア以外の参加企業はイタリアがフィアット。


 ドイツがユンカース、ツェッペリン。


 日本が三菱、住友金属


 であった。


 フィアットは搭載車両がメインだったが、準戦時下で牽引車両その他を用意出来るメーカーは他に無かった。


 ユンカースと三菱は大型機製造ノウハウがあり、ツェッペリンはヒンデンブルク号爆発事故で将来を悲観したスタッフの移籍先として入社。


 住友金属は欧州に販路を拡げたかったのだ。



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