第6話 被災地便乗アート/無縁の巡礼者達
無縁の巡礼者達の作る神像は
異国の神々の意匠の寄せ集めだ
苦言を呈する者はいない
無能ゆえに故郷を追われた彼らに
継ぐべき伝統もないのだから
2011年3月11日の東日本大震災発生直後の時期。
筆者を含む、東京の有象無象の自称アーティスト達は浮足立っていた。
被災地で何かアートをやれば注目を集められるかもしれないと。
海外からの認知度など無きに等しかった東北地方の太平洋岸に、今や世界中の視線が注がれている。
当時普及し始めていたSNS「Twitter」に投稿された津波の画像は何万回もリツイートされ、避難所の窮状を訴えるアカウントのフォロワーは瞬く間に膨れ上がる。
遠い外国でなく、カネの無い自称アーティストにも手の届く距離。終わりなき日常に降って湧いた非日常的風景と、自然の猛威に抗う人々。自分もその戦列へ加われば大義を背負った何者かになれるのではないか?
無能ゆえに故郷に居場所無く、東京の安アパートで夢想するばかりであった我らの功名心に、あの災害は火をつけたのだった。
爛熟した資本主義は、創作そのものも商品とする。
東京では画材も美術大学も貸しギャラリーも、均しく商品棚に並んでいる。買い物しかできないのだ。
地方の芸術祭にフロンティアを求めても、次の日には新商品のラベルが貼られている。
あらゆる「外部」を取り込む無謬の資本主義構造に、しかし大災害は空白をもたらした。
東北地方の東沿岸は東京から北へ向う大動脈の1つであったが、その入り口を塞ぐように福島の原発事故が起こる。被災地域へ向うには未だ冬が居座る山脈を迂回せねばならず、進むほどに交通、物資、通信の寸断は苛烈さを増す。
そこから先は貨幣の統治の及ばぬ辺境。
現代美術が恋焦がれた、宿命的に手の届かない未開の地だ。ボランティアでも取材でも自警団でも言い訳は何でもいい。ただ、早くそこへ行きたかった。
急がなければ。その聖域が再び資本主義に併合される前に。
被災地が「復興」してしまう前に。
レベッカ・ソルニット著「災害ユートピア」で分析されている通り、極限状況下には特有の利他的な共同体が発生する。
NHK仙台放送局のヘリが撮影した津波の映像と、SNSを通じてリアルタイムに共有された災害の風景は、遥か遠隔の地にまで共同体の変容を伝播した。
とある下世話な社会実験の話をする。
「ボランティア」と「有償」の2つのグループに同じ作業を行わせるというものだ。
結果として、報酬が与えられないボランティアのグループのほうが作業効率が高かったという。
限定的な状況下の結果である。しかしそれは確かにヒトの本質的な特性。
報酬に計量されない状況でこそ、十全の能力を発揮するヒトの在りよう。
資本主義社会に空白をもたらす大災害は、だからこそヒトを惹きつける。我ら、ヒトの本当の姿を取り戻せる場所だと感じるからだ。
現実には、その熱意の一部、あるいは大部分が空回りに終わるということに悲劇はある。
1995年の阪神淡路大震災から16年の間、携帯電話とインターネットの普及により、情報の伝達速度と絶対量は爆発的に増大した。
行政と自衛隊の支援能力を圧倒する被災範囲の広大さと被害の深刻さは、大手メディア以上にインターネットを通じて共有された。
テレビのニュース画面にくらべTwitterやFacebookに書き込まれた情報は、友人や近しい隣人の声として感じられる。
ヒトは隣人の言葉を重視する特性を持つが、テクノロジーの進歩が生んだ距離の倒錯は、根拠の不確かな情報やデマをも拡散することになった。
災害発生地の居住者同士の間で、平時の利害関係や社会階層を超えた協力関係が立ち上がる現象が「災害ユートピア」であるとされるが、そこへ外部からの人員、物資、情報が無秩序に流れ込む。
処理能力を超過した役所ではあらゆるモノの交通整理が滞り、自前のガソリンと食糧を万全に用意していない救援者は行動不能に陥る。
避難所に積み上げられたダンボールの山には、需要に合わない支援物資の衣類が詰め込まれていた。
彼の地の混沌もまたインターネットを通じて伝染し、Twitterにあっては偽善者を探し出して誹謗中傷を投げつけ合う地獄と化したりもした。
東京の有象無象のアーティスト達が、徒手空拳で被災地に向かおうとする仲間を諌めつつも、イベント事の自粛により失った仕事の愚痴をこぼし合っていた時期、いち早く被災地でのボランティアに参加していた遠藤一郎を囲んで小さな集会が開かれた。
遠藤は「未来へ」と大きくペイントされた黄色い車両に居住しつつ日本各地でライブペイント等のパフォーマンスを行っており、持ち前のフットワークを生かして最前線の情報を持ち帰ってくれたのだった。
エキセントリックな外見と車両とは裏腹に遠藤は極めて良識的で、かつ良心的な作家だった。
やり場の無い高揚と焦燥に無意味に苛まれ続けるアーティスト達に、現状できることは無いということを諭してくれた。
あれから10年以上が過ぎた。
いろいろな事があった。
多くの被災地関連アートプロジェクト、ドキュメンタリー映画。被災による喪失と、回復をテーマとした作品群。
筆者の実家は宮城県山元町にある。あの震災の日の一週間後には高校の美術部の同窓会が予定されていた。
もしあの日、実家に居たら、大津波の警報を聞いて海辺まで津波を見物に行っていたと思う。確実に。
津波など見たことがなかったから、どれだけ大きくともコンクリートの堤防を越えるはずは無いと思っていただろう。
その堤防と、背後に広がる鬱蒼とした砂防林は更地になった。
あの日に、グラウンドゼロで立ち会いたかった。
故郷の苦難を共にすれば、あぶれ者であった自分も胸を張って「故郷」に居場所を取り戻すことができたのではないか?
地方芸術祭を渡り歩くアーティスト達は皆、土地に根差さぬ無縁の流れ者だ。
現代アートという異郷の神の像を奉る彼らには、守るべき伝統もしがらみも無い。
だからこそ彼らは「外なる者」として、古い時代の漂泊の聖職にも似た職能を担えるのだろう。
雛人形の古い原型は、人型の紙や木片に災いを移して川へ流す呪術であったとされる。
遠藤一郎の運転する「未来へ号」は車体全体に寄せ書きが成されていた。訪れた先の人々が好き勝手に夢を書き込むことができるのだ。
奉納絵馬にも似るそれは、祭りが終われば別の土地へと去ってゆく遠藤にだからこそ託せるもの、あるいは押し付けることができたものなのだろう。
我ら無縁の巡礼。
土地の利害の外にありて、災害、疫病、負の歴史、呪いを載せて流れ去る。
地方芸術祭とネット怪異譚 酒井貴史 @koukanjyo
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