卸売市場のレギオン

ぶざますぎる

卸売市場のレギオン

[1]

 曩時、私は卸売市場でバイトをしていた。

 ある日の仕事あがり、私は、市場裡の食堂にて粗飯を済ませた際、何の気なしに、食後の祈りを、ボソリと唱えた。

「父よ、感謝の裡に、この食事を終わります……」

 すると、少し離れた席に座って居た中年男が近づいて来、「あなた、牧師先生ですか」と、私に訊ねた。

「違いますよ」と私。

「牧師さん。生きるって、お笑いですよ」と男。

 会話にならない。

 そもが病疾めいた癇癪持ちである私は、思わず嚇っとなり、このイカれ男のことを、怒鳴って追い払おうとしたが、不図、男が着ているワイシャツの、その袖口を見、そこに、がのぞいているのを確認した。明らかに、この男は、普通の世過ぎをしていない。

 ――おヤクザ様だぁ……。……私は心底から恐怖し、顫えた。

 そも私は、自分よりも強い人間に対しては徹底して従順であり、復、ある種の忠犬ハチ公的な至誠を発揮する、驚愕のヅケ取り人間でもあった。

 なので私は、曩の行き腰を即座に抑え込み、今や、己よりも圧倒的な強者であることが判明したヤクザ男に、改めて、度外れに慇懃な態度と口吻で以て、返答した。

「はい。私めは牧師でございます。旦那さま、何かご入用でございましょうか」

 少し間があった。男は黙って俯いていた。それから、何か、体の痛みに苦しむ様な呻きを漏らして、やっと口を開いた。

「お笑いですよ、牧師さん。人生ってね、お笑いなんですよ」喋りながら、何故か、徐々に男は、涙声になった。「でもね、おれは、笑えないんですよ」

 そもが他人の苦しみや悲しみに対して、ひどく冷淡に出来て居る、無感覚な殺人サイボーグ的気質がある私も、その悄然とした男の様子に、曩の恐怖も忘れ、些か、憐憫の情を刺激された。

 何か、この哀れな男に、親切をしてやりたいと思ったのである。

「安かれ。汝の信仰、汝を救えり。汝の罪、赦されたり」とつおいつ考えてから、私は言った。

 残念なことに、そもが度外れの低能糞馬鹿である私は、このズレたトンチンカンな呆けセリフの他、気の利いたレスポンスが思い浮かばなかった。

 私は、男の反応を窺った。

 併し、聞こえなかったのか、はたまた無視したのか、男は特段の反応も見せず、ブツブツと何かを呟きながら、自分の席へと戻った。

 それで、すべては御仕舞であった。

 ――まぁ、他人さまには、それぞれ、よく理解らねえ事情があるわな。対手の身の裡をオーバーホール出来る訳でもなし、考えた処で、答え合わせなぞ、土台、無理だわな。となりゃあ、ハナ共感だの同情だのは、ナルシスティックな徒労に他ならねえし、無意味なことに決まってらぁな。……男の挙動が皆目理解出来なかった私は、雑な結論をした。 


[2]

 だが、これを叙する今、あの男の心中も、僅かながらに察すること位は出来るのだ。否、無論、答え合わせが出来ぬ以上、それは私の己惚れが多分に入った、ただの思い込みに過ぎぬが……。

 だから、より正確に言わば、男の「人生はお笑い」というセリフの意味が、今では、何となく、理解る様になったのである。

 つまり、私は無駄に歳を経てて来、今や、完全にヤキがまわってしまって居るのだった。実際、この惨めさと、ぶざまさは、十字架にかけられて居る様なものだ。自分では逃れられないが、とは言い条、助けの当てなぞ無い。

 今は、単発や短期のバイトで糊口をする日々。バイト先では、年下の社員に怒鳴られ、年下の同僚たちに嘲弄され、疎まれ、邪慳にされる。

 息抜きで書く小説は、ここの処、大した反応も得られず、スベりっぱなし。 

 棚ぼたを希ってパチンコを打てば、負ける。濡れ手に粟を所期して馬券を購めれば、外す。

 生活の裡に落莫を覚え、それを解消せんとおとこ一匹、風俗へと淫購に赴けば、己が度外れの気色悪さが因となり、嬢からNGを出され、畢竟は店から出禁を告げられる。

 でもたまに、一寸好いことがあって、あら、ついに私の生活も有卦に入ったかしらと、浮かれる。だが、それも束の間、些末な蹴躓きで、曩よりも、もっとひどい状況になる。これの繰返しである。その度に、嚇っとなって、誰ぞを責めようとするが、やはり悪いのは手前ひとりであって、責を問う人間なぞ居やしない。

 こうした馬鹿踊りを、友も恋人も居ない孤独な私は、幾分か自己陶酔をしつつも、他に仕方無く、続けて居る。

 未来は存在しないが、あるとしたら、きっと暗い。エリ、エリ、レマ、サバクタニ、である。

 

[3]

 ただ、絶望をしている訳ではない。絶望するなかれ、仮令絶望しても、絶望の裡を歩め、という奴だ(そもが度外れに魯鈍な私には、絶望なぞという、高度な情動は無縁なのだが)。

 

 何ぞ茲に坐して死ぬるを待つべけんや。

 動かず居ても確実に死ぬだけ。

 糧を探しに出、そこに糧が無ければ、やはり死ぬだけである。

 併し、探しに出れば、賭けに値する一縷の希望は生まれる。

 出先で鬼に遇っても、見逃されれば生き、殺されれば死ぬだけ。

 私は賭けた、私は勝った。

 私は賭けた、私は負けた。

 それだけなのだ。

 どうで、既に人生を棒に振っているのである。

 どうで、いずれは死ぬ身なのである。

 どうで、結句は ""お笑い"" なのである。

 出て、賭ける他無いのだ。

 何とかやれるだろう。

 アーメン。

 

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卸売市場のレギオン ぶざますぎる @buzamasugiru

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