第20話 幻が見せる希望

 グランドバーン地区の教会は、冒険者ギルドから二町程離れた先に建っている。


 私とシェーナは、美しい白馬に跨って堂々と表通りを進むウィンガートさんに徒歩で付き従いながら、その場所へと向かっていた。私達の他に、総長警護の任を帯びている四人の守護聖騎士団員がこちらも全員徒歩で随行しており、道行く人々は皆好奇の視線を投げかけると共に、私達が一定の距離まで近付くとさっと素早く脇にどいて道を開けた。


 野次馬の中には「総長閣下!」、「主教様!」と黄色い声援を贈る人達も居て、ウィンガートさんは白馬の上から如才無く微笑みや手振りで応えてゆく。そんな柔らかい態度に、観衆から上がる熱は増す一方のようだ。


「凄い人気……」


「総長閣下は人望の厚い御方でいらっしゃるからね。シッスルだって、初対面の時に赤くなっていたでしょう?」


「あ、あれはっ!? 別に、違くて……!」


 シェーナの指摘で思い出してしまった。たちまち頭に血が上って顔が熱くなる。わたわたする私に対し、シェーナがさっと人差し指を唇の前に立てた。


「取り乱さないで。今は総長閣下に伴われている状態なんだから」


 シェーナの所為でしょ!? ……という言葉を私は懸命に飲み込んだ。確かに、ウィンガートさんに恥をかかせる訳にはいかなかったし、そもそも今は個人的な思い出に浸っている場合でもない。


 デイアンさんに、ミレーネさん達に会いに行く。そのことを意識した途端、一時は軽くなりかけていた肚の奥にずどんと重い塊が落ちたような気がした。熱にボケた頭が瞬時に冷え、より明晰に周囲の声を認識出来る。


「総長様、西のダンジョンで冒険者さんがやられたっちゅーのはほんまのことでっか!?」


「何でも魔族が魔物の大群を引き連れて攻めてくるらしいじゃないの!」


「この街は安全ですよね!? ね!?」


「主教様! 今ころ守護聖騎士団のお力を、何卒!」


 黄色い声に混じって、いやそれらを押しのける勢いで次々と上がる心配と不安の声。風聞を耳にして激しく動揺している、アヌルーンに住む人々。


 これも、私の失敗がもたらした結果のひとつだ。奥歯をぐっと噛み締めて、耳を塞ぎたくなる衝動に耐える。


「皆さんのご不安はひとつひとつご尤もです。ですが、どうか安心して下さい。我ら守護聖騎士団のある限り、悪しき魔の者共は一歩たりとて皆さんには近付けさせません」


 ウィンガートさんは何処までも穏やかに、何処までも揺るがない自信を込めて大衆の浮足立った心を鎮めてゆく。彼の自若とした姿によって、周囲から上がる悲痛な声は次第に収まっていった。


 参考にしよう。ウィンガートさんのやり方を、今の内に学んでおこう。私も、教会に着いたらきっとあれと同じことをしなければならないのだから。


 ゆっくりと進む道中で、私はひたすらに白馬の主に意識を集中させていた。




◆◆◆




 イル=サント大教会とは比べるべくもないけれど、グランドバーン地区の教会も中々立派な佇まいだった。


 丁寧に清められた玄関アーチを潜り、中庭に面した正面玄関を抜けると、吹き抜けになった高い天井を持つ礼拝堂が厳かに展開されていた。左右に設けられた長椅子の列を割って中央の床に伸びるのは埃ひとつ落ちていない真紅の絨毯であるし、その終着点に鎮座する祭壇も立派なものだ。壁に掛けられてある聖画も厳粛な雰囲気を引き立たせてあるし、祭壇の奥に飾られてある【アンク】も綺麗に磨かれていた。


 ちなみに、【アンク】とはマゴリア教国で定められた正式な宗教的シンボルだ。直角に組み合わせた縦棒と横棒で十字を形作り、突き出た縦棒の頂点に真円を備え付けた造形をしている。『主神ロノクスに仕えて最初の神託を受けたいにしえの聖人、リングマードを象徴したものと言われているわ。彼が事切れる際の姿勢を模したからああいう形になったみたいよ』とはシェーナの談だ。


 その神聖極まる有り難いシンボルの前に、きちんと清潔に整えられた法衣を纏うひとりの老牧師が居る。アンクに背を向けて祭壇に立ち、聖書を開いて厳かに祈りの文句を唱えていた。


 そして一番前の長椅子に座ってその聖句を聴いている三人の人間。


 カティアさん、モードさん、……そしてミレーネさんだった。


「……」


 私達は無言で礼拝が終わるのを待った。シェーナやウィンガートさん、それにお付きの騎士団員達は神に仕える者達らしく敬虔に作法を守ってお祈りしていたが、私は礼拝の間中ずっとミレーネさんが気にかかっていた。生気の抜けた背中がひたすら虚しく、抜け殻になったかのような印象を受ける。


 このままでは、いけなかった。


「やあ、お邪魔させてもらっているよ」


 牧師が祭壇から降りるのと同時に、ウィンガートさんがカティアさん達に声をかけた。


「あっ、総長!? なんで此処に……いえ、わざわざお越し頂き恐縮です」


 カティアさんは驚きながらもすぐに体面を整えて、恭しく礼をする。総長相手、しかも部外者の目もあるとなっては流石の彼女も不遜な態度は取れないようだ。


「葬儀の前に、一度は《鈴の矢》の皆さんに挨拶しておきたくてね。初めましてモードくん、それからミレーネくんも」


「お、おう……!」


 突然騎士団総長が登場したことで、さしもの益荒男なモードさんも圧倒されているようだ。だが、ミレーネさんの方は……。


「お、おいミレーネ、守護聖騎士団のアタマが来てるぜ。俺達に挨拶したいんだとよ」


 モードさんが小声で隣のミレーネさんの肩を揺する。それでようやくミレーネさんは私達の存在に気付いたのか、緩慢な動作で振り返って顔を上げた。


「あ……。どうも……」


 その声と、持ち上げられた彼女の目を見て絶句する。


 ――暗い。彼女の瞳からは、一切の光が失われていた。デイアンさんの存在が彼女の中でどれ程大きかったのか、改めて突きつけられる。


「……すまねぇ。こいつ、まだ本調子じゃなくてな。俺も礼儀なんてこれっぽっちもなっちゃいねぇだろうが、目を瞑ってくれると助かる」


 モードさんが気まずそうに頭を掻きながらそう言う。それに対して、ウィンガートさんは鷹揚に頷いた。


「私に対しては別に構いませんよ。ただ、葬儀に臨まれた時には最低限の儀礼を遵守して頂きたい。デイアンくんを気持ち良く主の身許へ送り出してあげる為にも、ね」


 デイアンさんの名前が出た時だけ、ミレーネさんの肩が細かく震える。しかしそれもすぐに収まり、また虚無の状態へと戻ってしまう。


「今日は私達だけではなく、シェーナとシッスルくんも伴いました。彼女達もデイアンくんの最期に立ち会った仲です、積もる話もお有りなのではないですか?」


「……! あんたら……!」


 私を見たモードさんの目に一瞬怒りの色が灯った。が、すぐに自制心を取り戻したのか、今度は感情を爆発させることなく一度天井を振り仰いでから大きく息を吐いて気を静めた。


「……話は聴いてる。色々と言ってやりたいところだが、やめとくぜ。デイアンだって、そんなこと望んじゃいねえだろうしな」


「モードさん、この度は――」


「やめてくれ」


 謝罪しようとした私を、彼は押し殺した声で制止した。


「俺たちゃ冒険者だ。元から生命の危険は付き物、いつ何処で死んでもおかしくねぇ、……そんな仕事だ。デイアンは自分でこの道を選んだ。そして、それを最期まで貫いた。知り合った当初から、あいつは自分より他人を気に掛けるような奴だったんだ。あんた達を守って生命を散らすなんざ、実にあいつらしい生き様だったと思うぜ。冒険者としても上等な結末じゃねぇか」


 モードさんは、まるで自分に言い聞かせるようにその言葉を噛み締めていた。


「だからよ、謝るんじゃねぇよ。謝るくらいなら礼を言え。葬儀の時にでも、デイアンに言ってやれ。その方があいつも喜ぶ。……俺達だって、きっと納得できる」


 モードさんは、様子を伺うようにそっとミレーネさんを振り返った。


「そうだろ、ミレーネ?」


 その呼びかけに対する答えは、とうとう無かった。



◆◆◆



 デイアンさんの遺体は、地下の納骨堂に隣接している霊安室に安置されてあった。


 ひんやりとした薄暗い殺風景な四角い部屋の中央で、清められた彼の遺体が立派な棺に収められている。そうするようカティアさんが手配をしてくれたのだ。無論、守護聖騎士団の費用持ちという形で。お陰でデイアンさんは、葬儀の日まで不浄に侵されることなく此処で眠っていられる。


 私達は、全員でそこへ降りてデイアンさんとの対面を果たした。


「彼の葬儀は二日後よ。関係者への招待状はこれから用意するところだけど」


 棺に向かって簡易的な祈りを捧げている傍ら、カティアさんがそっと教えてくれる。働き通しだったのだろう、目には疲れの色が濃く滲み出ていた。デイアンさんの死それ自体についても、大いに思うところがある筈だ。それでも、彼女は弱音を吐かない。


「なあ、ありがとうよ。わざわざ葬儀の前に来てくれて」


 モードさんも、いつもの剛毅を抑えて殊勝にお礼を言ってくれた。


「俺達はまだこれから準備の続きをやらねぇといけねぇんだが、まあゆっくりしてってくれ」


 そう言いつつ、モードさんはミレーネさんの様子をそっと伺う。それから、諦めたようにため息をつき、


「……あとよ、出来ればミレーネのことを頼むわ」


 と私達に小さく頭を下げた。


「モードさん……」


「それじゃ、私達はもう行くわ。モード、あんたもサボらずに何通か書きなさいよ?」


「ああ、わーってるって。けど俺、あんま字って知らねぇんだよなぁ……」


「教えてあげるから。デイアンはあんた達のリーダーだったんだから、あんたの言葉で葬儀のことを伝えないよ」


「……おう、そん通りだな」


 最初の頃よりも角が取れたやり取りをしながら、カティアさんとモードさんは部屋を出ていった。


「私も、今日のところはこれで失礼しましょう。シッスルくん、シェーナ、ではまた葬儀の日に」


 そう言ってウィンガートさんも去ってゆく。忙しい時間を割いて私達に付き合ってくれた彼の背中に、私は黙って頭を下げた。


 部屋に残されたのは、私とシェーナとデイアンさん、そしてミレーネさんだけだ。


「……」


 ミレーネさんは私達の方を見ようともしない。無視しているのではなく、意識する力も失くなっているのだ。彼女はただぼんやりと佇んだまま、デイアンさんの眠る棺を眺め続けている。


「ミレーネ殿……。その、モード殿も言っていたが、デイアン殿は立派なご最期だった。守護聖騎士として、シッスルの友人として、私は彼に惜しみない賛辞と感謝を送りたい。……こんなことを言っても、慰めにはならないかも知れないが」


 シェーナが慎重に声をかけるけれども、ミレーネさんはそれでも反応を示さない。彼女の心を捉えているのは、ただひとりだけだ。


「……とにかく、今はどうか心ゆくまで兄上殿と一緒に過ごされるが良い。落ち着いたら、是非とも一度お話したい。その機会を頂けることを、願っている」


 これ以上何を言っても無駄だと判断したのか、シェーナはくるりと身体を翻して私を促した。


「私達ももう行きましょう、シッスル」


「……ええ」


 私はシェーナに従って霊安室を後にした。ゆっくりと閉まる扉の向こうにミレーネさんの姿が見えたが、閉まり切るまでやはり微動だにしなかった。


 シェーナは後ろ髪を引かれるように憂いを帯びた視線を扉に注いでいたが、やがて振り切るように廊下を歩き出した。私も少し遅れてその後に続く。


 ――が、数歩も行かないうちに私は足を止めた。


「……先に行っててシェーナ。私はもう少しだけ、此処に居る」


「シッスル……?」


 シェーナが私を振り返って怪訝な表情を浮かべる。リョス・ヒュム族の長い耳が、こちらの意図を探ろうとするように小刻みに動く。


「大したことじゃないの。ただデイアンさんに……ゆっくり会えるこの時間に、ちゃんと言っておきたいことがあるから、さ」


「……分かったわ、上で待ってる」


 しっかりと私の目を見て、シェーナは察したように頷いた。それから踵を返し、私を置いて廊下の奥へと歩いて行った。心なしか、その足取りはさっきよりも少し軽くなったような気がする。


「……良し」


 シェーナの背中を見送って、私は肚に力を込めながら霊安室へと引き返した。数歩分しか離れていない距離を大股で詰め、そっと扉を押して中の様子を確認する。


 相変わらず、棺に向かって立ち尽くしているミレーネさんの姿があった。


 私は腰の革袋から、例の緋色の粉末を取り出す。幻術の触媒、嗅覚と視覚を刺激して、対象に幻を見せる魔法の粉。


「……」


 こんなやり方、邪道なのは分かっている。デイアンさんは死んだ、それが厳然たる事実だ。死者は決して蘇らない。二度と話をすることもない。


 ただし、それでも――私は、幻術士だ。


 どんな幻も、思い続ければ現実となる。


 私は指の間に握り込んだ緋色の粉末を、部屋の中へ向かって投げ入れた。


 飛翔する粉末は重力に逆らって意思を持ったように動き、ミレーネさんの周囲を取り巻いた。自分の周りに現れた薄い緋色のベールに彼女は気付いただろうか?


 たとえ気付いていなくても、五感は正直だ。


 ミレーネさんを包んでいた粉末が、彼女の正面に集まり始めて人の輪郭を形成する。簡素な人形に、魔力と念が注ぎ込まれて明確な肉体の姿を象った。


「……え?」


 流石にミレーネさんも気付いた。自分の正面に、いつの間にか誰かが居ると。


 それは紛れもない――


「に、兄……さん?」


 震える声に、透き通った姿のデイアンさんが頷いた。


『そうだよ、僕だ。ミレーネ』


「どうして……!? まさか、生きて……!?」


 縋るように兄に向かって手を伸ばすミレーネさん。だが、その手は無情にもデイアンさんの身体をすり抜けてしまう。


「……!?」


『ごめんね、ミレーネ。僕は死んだ、それはもう変えられない。済まないと思っている』


「そんな……! じゃあ、こ、これは……!? 私、確かに今、兄さんと……!」


『幽霊かも知れないし、君の願望が生んだ幻かも知れない。好きな方を信じればいいよ。重要なのはそこじゃないんだ』


 デイアンさんは軽く首を振り、慈しむような視線を妹へ贈った。


『ミレーネ、こんなことになって本当にごめん。もっと、兄として君の成長を見守りたかった。モードと一緒に、もっと三人で居たかったよ』


「兄さん……!」


 ミレーネさんが、震える手で口元を覆う。乱れた呼吸と嗚咽が、隠された喉の奥から漏れ聞こえてきた。


『君と一緒に両親の元から離れたこと、冒険者になったこと、僕は後悔してないよ。楽しかった。これまでずっと一緒に居られて、幸せだった』


 透き通った姿のデイアンさんは、何処までも優しく穏やかに妹に語りかけ続ける。


『ミレーネ、君を残して先に逝くのは悲しいけど、僕は何も心配していないんだ。だって君には、沢山の仲間がもう居るから』


「なか、ま……?」


 ミレーネさんは、兄の言葉を噛みしめるように繰り返した。


『うん。モードがそうだし、シェーナさん達がそうだ。今日知り合ったばかりだけど、彼女達は本当に良い人だよ。団長の指示に異を唱えてまで、ミレーネを救ってくれたんだ』


「……!?」


 ミレーネさんの目が見開かれる。


『彼女達が居なければ、ミレーネは救えなかった。僕は、掛け替えの無い大切な妹を、もう少しで永遠に喪ってしまうところだった。その運命を変えてくれたのが彼女達なんだ。きっとこれからも、ミレーネの力になってくれると思う』


「……」


 ミレーネさんはじっと、兄の言葉に耳を傾けている。形の整った大きくて綺麗な両目から、とめどなく涙を流しながら。


『だからミレーネ、お願いだ。僕が居なくなっても、人生に絶望なんかしないでほしい。幸せに生きてほしい。……兄の最後の頼み、聴いてはくれないか?」


「……分かっ、た」


 か細く、掠れた弱々しい声。それでもミレーネさんは、確かにそう言って頷いた。


『……良かった。ありがとう、ミレーネ』


 それを見届けて、デイアンさんは急速にその存在感を無くしていく。空気に溶け込むように、彼の身体は透明感を増していった。


「兄さんっ!?」


『さようなら、ミレーネ。最後に、話せて良かった』


「待って! 兄さ――」


 伸ばした彼女の手の先で、デイアンさんは完全に消えた。


「う、ううう……! うあぁぁ……!」


 ミレーネさんは力無くその場に膝を付き、さめざめと泣いた。心の奥底に押し込めた感情を解放するように、いつまでも――。



◆◆◆



 それから二日後。


 グランドバーン教会において、デイアンさんの葬儀がしめやかに執り行われた。


 総長ウィンガートさん、団長ブロムさんを始め、騎士団の主要な顔ぶれが揃って恭しく弔慰を捧げた。


 デイアンさんの両親も駆け付けてくれた。息子の棺を前に惜しみない涙を流し、ミレーネさんの手を取ってこれまでのことを侘びていた。喧嘩別れしても、お互いに愛情は残っていたのだ。


 モードさんも居た。カティアさんも居た。二人共、神妙な面持ちで葬儀の成り行きを見守っていた。


 私とシェーナも、並んでデイアンさんを偲んだ。葬儀の途中で、ふと私とミレーネさんの視線が合った。


 彼女はぎこちないながらも微笑みを浮かべ、静かに目礼してくれた。


 こうして、全ては滞りなく進み、デイアンさんの魂は主の身許へと送られる。


 私達はその事実を胸に刻み、顔を上げて前を向こう。今日を越え、明日もその先も生きてゆこう。


 それが、生命を永らえた者達の務めなのだから。

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独立不羈の幻術士 ムルコラカ @heibon-na-sakusya

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