第19話 総長の気遣い

「済まなかったね、こんな見苦しいところに巻き込んで。君達とは鉢合わせしないようにと思っていたんだが」


 所長室の部屋の扉が閉まってからしばらく間を空けて、ウィンガートさんが苦笑い混じりに言った。


「いえ……」


 曖昧に頷きながら、私はユリウス大主教が消えた扉から努めて意識を離した。ちょっとでも気を抜くと、心にもたげてきたドス黒い感情を視線に乗せて表に出してしまいそうだ。防音性能の高い重厚なこの部屋の扉でも、あっさり突き抜けそうな程に強い怒りがむくむくと身体の内側から湧き上がってくる。


「シッスル、落ち着いて」


 私の内心に気付いているのだろう、シェーナがそっと強張った私の手を握ってくれた。彼女から伝わる温かさが、自身に謂れのない中傷を受けた悔しさ、師匠をコケにされた悔しさを僅かながら緩和してくれる。


「ありがとう、シェーナ」


「ううん、私も同じ気持ちだから。サレナさんを貶めるようなことを言われたら我慢ならないよ。相手が大主教だということも忘れて、もう少しで殴りかかるところだった」


 おどけた感じに小首を傾げながら、ちろっと舌を出すシェーナ。


「《スキル》を使って?」


「うん、《スキル》を使って」


「あはは、シェーナが本気を出したら死んじゃうよ」


「だから一生懸命耐えたのよ、偉いでしょ?」


 そう言ってシェーナはそっと片目をつぶって見せる。本当にありがたい気遣いだった。


 ごほん、という咳払いが聴こえて正面に顔を戻す。私達の視線の先では、ウィンガートさんが苦笑いを一層深めていた。


「ユリウスさんの言ったことはどうか気にしないでほしい。あの人は昔から有名な反魔術士派だけど、実際に表立って君達魔術士を迫害したことは無いよ。他の大多数が、現状を良しとしているからね。件の幽幻の魔女……シッスルくんのお師匠であるバーンスピア殿だって、わざわざ相手にしようとは思わないだろう」


 確かに、これまで師匠からあの大主教の名前を聴いたことは無い。大層な肩書を持っているとはいえ、悪態をつくだけの相手なら端から問題にならないということか。そこまで思い至って、私の溜飲もようやく下がった。


「さて、変な流れになっちゃったけど、二人共改めて今回はご苦労さま。どうか気を落とさず……というのは難しいかも知れないけど、上手く切り替えて今後に活かしてもらいたいと僕は思ってるよ」


 苦笑いからいつもの微笑みに戻ったウィンガートさんが労いの言葉を口にする。


「ありがたきお心遣い、痛み入ります。騎士団員の端くれとして、必ずやあのオーガを見つけ出して討ち果たし、首都の脅威を取り除くとお約束致します」


「……私も、シェーナと同じ気持ちです。私の所為で死んでしまった、デイアンさんの為にも」


 シェーナに追従して口に出した言葉だが、言ってみるとすとんと腑に落ちた感じがした。そうだ、終わってしまったことを悔やんでばかりいても仕方無い。次にどうするかが、一番大事なのだ。どうやって今度の失敗を償うか。ミレーネさんに詫びる一番の方法は何か。


 デイアンさんの仇を討つこと。それが今の私が成すべき役目、果たすべき目標なんだ。


 私は急に、自分の中に芯のようなものが出来た気がした。大主教の暴言を浴びたのは不幸だったけど、此処に出向いた甲斐はあったと思う。


 現金なものだと自分でも思うが、呼び出したウィンガートさんに感謝の念を抱きつつ私は改めて頭を下げた。


「《鈴の矢》のリーダーについては本当に残念だった。しかし、彼の行いは立派で称賛されるべきものだ。その功績を鑑みて、《鈴の矢》には弔慰金の他に特別手当も出してはどうかと、ユリウスさんが姿を見せるまで此処のギルド長に掛け合っていたところなんだ」


 ウィンガートさんが部屋の奥に堂々と鎮座している大きな机を振り返る。その上で怖怖と縮こまっていた例の中年男性が、ハッとしたように背筋を伸ばした。


「総長閣下のお言葉は至極ご尤もだと自分も思うのであります! ……しかしながら、特に【魔痕まこん】等を持ち帰ってきたでもなく、オーガも取り逃がした上に自身が戦死されたという結果だけでは、ギルドとしても中々他への示しが付けにくく……!」


 薄くなった頭皮に吹き出る冷や汗を、震える手でポケットから取り出した水玉刺繍入りの小さなハンカチでせっせと拭き取りつつ、その中年のギルド長は物腰こそ遜りながらもどうにか話を拒絶しようとしていた。


 繰り返すが、【魔痕】というのは斃した魔物が主に落とす小さな結晶のことだ。冒険者達はこの【魔痕】を集めてギルドに提出することで、魔物討伐に関する報酬等を計量されて受け取れる仕組みになっている。


「弔慰金については無論騎士団の方で工面します。しかし《鈴の矢》は長きに渡って数々の【依頼クエスト】に務め、このギルドを通してアヌルーンの街に貢献してきたパーティです。ましてや今回は【任務ミッション】に従事した上でのあえない殉職。もし彼らが居てくれなければオーガの発見は更に遅れ、事態はより悪い方向に転がっていたかも知れない。現状の被害を最小限に食い止めたというだけでも、《鈴の矢》が果たした責務は決して小さくありません。無論行政府にも掛け合うつもりですが、彼らの献身に対して相応しい恩賞をギルド側からも与えたもうことは、主神ロノクスの御意志に沿う行いでしょう」


 ウィンガートさんが、この国で信仰されている神様の名前を出した。主神ロノクス。《かぎりの神》、または《秘園ひえんの主》とも呼ばれる存在だ。秘園はともかく、なぜ“限り”などと呼ばれているのか昔は不思議に思っていたが、私達のような寿命を持つ全ての生き物達の神様だから、という説明を受けて納得した覚えがある。


「それはもう、“お限り様”もデイアンくんの魂を安んじられることをお望みでございましょう、ええ。。ですが、こうした物事には相応の手続きというものがございまして……。私の一存で決めてしまうのはどうにも……」


「その辺りの便宜なら僕が取り計らいましょう。後で問題に発展することが無いよう、しっかり各部署と調整しますから心配しないで下さい」


「さ、左様でございますか。でしたら諸々の折衝もお有りでしょうからこの話は後日、また改めてということで……」


「分かりました。近日中に必要な書類を全て揃えて、改めてお伺いします」


「え……?」


「ギルド長殿におかれましては、手続きを途中で滞らせることが無きよう、しっかりと金庫の管理をお願いします。民政卿や税務次官は、先程まで此方に居られたユリウス大主教に負けず劣らず苛烈な御方ですので」


「ひっ……!?」


 表情を凍り付かせたギルド長に背を向け、ウィンガートさんが私達に向き直った。その顔には、相変わらずあの柔らかな微笑みが浮かんでいる。


「必要な話は済んだね。ところで君達、今日はこれからどうするの?」


「えっ!? い、いや、もう私達への用もお済みみたいだし、このままデイアンさんの葬儀に参加しようかなって……!」


 その笑顔に呑まれそうになった私は、慌てて今後の予定を告げる。ギルド長を一方的にやり込めたこの目の前の騎士団総長が、俄に恐ろしい存在に思えてきた。


「葬儀の日取りはまだ決まっていないよ。多分、一両日中になると思うけど」


 くすっと笑ってウィンガートさんがツッコミを入れた。無邪気な少年のように見えるそんな仕草にも、今は肌寒いものを覚えてしまう。


「あ、あはっ! そうですよね、私ったらな、何を慌ててるんだろ、あ……はは!」


 取り繕うように私も笑うが、所々で言葉が喉に引っ掛かる。そんな私の奇態を咎めるでもなく、ウィンガートさんは穏やかな声音のままで続けた。


「でも、カティアや《鈴の矢》のメンバー達に一度会っておくというのは悪くない。丁度良い、彼女達の居るグランドバーン地区の教会まで僕と一緒に行かないかい? 《鈴の矢》のリーダーの遺体は今そこに安置されていて、葬儀の予定地も恐らくそこになると思う。当日は僕も出席するつもりだから、事前に顔合わせをしておこう」


「総長閣下御自ら……!? それは流石に恐れ多いと申しますか、ご多忙の身を押して参られるとは……!」


 シェーナが驚いてウィンガートさんを仰ぎ見るが、当の本人は意に介さない。


「業務は後に回せるよ。今回の事態の責任者として、僕には出席する義務があると考えてるんだ。冒険者達の声を、直接聴ける機会でもあるしね」


「閣下……」


「さあ行こう。カティア達は今こうしている時も準備で忙しくしているだろう。素早く出向いて、挨拶は短めに切り上げないとね」


 そして私達の返事を待たず、ウィンガートさんはさっさと歩き出してしまう。私とシェーナは少しだけ顔を見合わせると、どちらともなく頷いて彼の後を追った。去り際にシェーナはギルド長の方に向き直って一礼したので、うっかり彼の存在を忘れかけていた私も慌ててそれに倣った。


 ウィンガートさんの足取りは思いの外早く、ギルドの廊下を小走りに走ってどうにか追いついた。


「あの、閣下。ひとつお伺いしても宜しいでしょうか?」


 痩せ型ながらも何処か泰然とした風格を漂わせるその背中に、シェーナが控えめに声をかける。


「構わないよ、何だいシェーナ?」


「先程のギルド長へ要請なさったことですが、本当に特別手当を支払わせるおつもりでしょうか?」


「そうだよ。シェーナも知ってるだろうけど、冒険者というのは割りを食いやすい仕事でね。ただでさえ民間の依頼主やギルド側から難癖をつけられて、報酬を渋られることも少なくないんだ。だけど、僕達守護聖騎士団が関わる【任務】ではそうはさせない。冒険者達は、危険で重要な第一線に臨んでくれる貴重な存在だ。使い捨てにしていい存在じゃないと僕は考えている。特に今回のような、殉職者を出してしまった場合にはね。――デイアンという名前だったね、《鈴の矢》のリーダーは。彼の死を無駄にしないとは、そうした意味も含まれているんだよ」


 私達を振り返ることは無かったが、ウィンガートさんの言葉は断固としたものだった。その声から感じられる力強さに、私は少なからず驚きを覚えた。まさかこの騎士団総長が、(魔術士ほどではないものの)世間的に立場の弱い冒険者というものにこれほど真摯な考えを持っているとは思っていなかったのだ。


 でも、これは歓迎されるべき事項だ。顕官という職位を担っている人にこうした考え方を持っている人が居るということは、私のような魔術士にとってもありがたい話だった。


 今度の失敗から完全に立ち直れた訳じゃないけど、ウィンガートさんの在り様は私に沢山の励みを与えてくれる。やはり、会って良かった。


 少しだけ軽くなった足で、私は教会への道を急いだ。

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