第18話 事後処理
私の意識が戻ったのは、それから丸一日が経過した後だった。
「あ、目覚めましたかシッスルさん! 良かったです~!」
私の顔を覗き込んでいた、例のグランドバーン支部に勤めている眼鏡のギルド職員がそう言ったのが、頭で認識出来た最初の情報だった。
「此処は……?」
「グランドバーンのギルド支部です。気絶したシッスルさんを介抱するようにって、騎士団の方々から言われてまして。色々と大変だったみたいですけど、もう大丈夫ですよ!」
「ギルド……? 騎士団……? 私は、どうして……?」
「少し待っていて下さい、今シェーナさんを呼んできますから!」
「あ……」
呼び止めたいと思ったけど、既に眼鏡の職員さんは立ち上がって踵を返している。部屋を出ていく彼女の背中を見送り、ぼんやりを周囲を見渡しながら私は懸命に記憶を呼び起こそうと努力した。しかし、どうしてか濃い霧の中に迷い込んだみたいに、手がかりとなる突端すら掴めない。じりじりと謎の焦燥感が込み上げてきて、私の背筋を擦る。
「シッスル!」
うんうんひとりで唸っている内にシェーナが飛び込んできた。彼女の息せき切った、それでいて安堵を全身に押し出した様子を見て、頭の中の霧が一気に晴れ渡る。オーガと繰り広げた死闘の一部始終が、追体験のように鮮烈な記憶となって蘇ったのだ。
「シェーナ! 皆は!? カティアさんやミレーネさん、それに……!」
寝かされていたベッドから転げ落ちる勢いでシェーナに縋り付く。だが、最後の名前だけがどうしても出て来ない。忘れたんじゃない。忘れられるものでもない。
彼の名前を口に出せなかったのは、雪崩のように押し寄せる悪い予感に必死で抗っていたからだ。
「彼、は……」
シェーナは喉を詰まらせて声を震わせ、いたたまれないように私から視線を逸らした。
その彼女の態度が、全てを物語っていた。私は、自分の顔から血の気が引いていく音を聴いたような気がした。
「う、そ……! まさか、よね……?」
シェーナの答えは無情なものだった。ただ黙って首を横に振ったのだ。頭を動かすのに酷く抵抗があると見て取れる、重々しい動作で。
痛いほどの沈黙が室内に満ちる。私は、闇を漬け込んだどす黒い井底から、満杯に水を溜め込んだ桶を引っ張り出そうとするかのように辿々しく言葉を紡いだ。
「カティアさんは、カティアさんの治癒は……? あの人が居れば、どんな怪我だろうと治った筈じゃ……!」
「間に合わなかったのよ。カティアが治療しようとした時には、デイアン殿は既に……」
私の脳裏に、今一度あの惨劇が生々しく蘇る。私を庇ってオークの爪に貫かれたデイアンさんの姿が、滴る血の臭いと一緒にせり上がってきて、思わず口元を抑えた。
「うっ……! ぐ、ぇぇ……!」
「シッスル!」
えづく私に、シェーナは急いで駆け寄って背中を優しくさすってくれた。彼女の柔らかな手が、私に少しずつ落ち着きを取り戻させてくれる。
「はぁー……! はぁー……! シェーナ、教えて……! あの時、何が……!?」
「シッスル、それは……」
「私なら、平気だから……! お願い、知りたいの……!」
シェーナはそれでもしばらく逡巡するように口籠っていたが、やがて意を決して深く息を吸い込んだ。
「シッスル、落ち着いて聴いてね? 実は……」
――それからシェーナは、あの後の顛末を簡潔に話してくれた。
オーガは、串刺しにしたデイアンさんを投げつけるように爪から引き抜くと、直後に自らが出てきたあのオーロラもどきに向かって行った。そして、光の銀幕に吸い込まれるように姿を消してしまったというのだ。オーロラもどきもまた、役目を終えたかのように掻き消え、全ては最初から何もなかったように元の部屋に戻っていた。
まるで、幻のように……。
しかし、現場に残された戦いの痕跡が、胴体を貫かれて無造作に地面に投げ捨てられたデイアンさんの存在が、今しがたの出来事が現実であると無情に告げていた。
カティアさんは急いでデイアンさんに駆け寄って傷を治療しようとしたけど、時既に遅くデイアンさんは事切れていた。殆ど即死だったらしい。
ブロム団長率いる騎士団の本隊が到着したのは、それから間もなくだった。
私達は彼らに救助されて、ようやく地上へ帰ることが出来たのだ。
「団長閣下への報告は私がやっておいたわ。後でシッスルにも事情聴取があると思うけど、簡単な事実確認で済むと思う」
説明してくれているシェーナの口調は、実に淡々としている。意図的に、努めてそうしていることは私にも理解出来た。私に注がれるシェーナの目の奥に蟠る暗闇が、どんな言葉よりも雄弁に彼女の内心を物語っていた。
「西のダンジョンは現在封鎖中。今後の対応については詳しいことは分からないけど、しばらくは騎士団の手で徹底的に管理することになりそうね」
「あの、オーガは……?」
「見つかっていないわ」
緩やかに首を振り、大きく息をつくシェーナ。
「実のところ、本当にオーガの仕業だったのかどうか疑問に思う声も上がっているみたい。二層目に居た筈のオーガと、一層目で遭遇するなんて変だと考える人が多いのかしらね」
「そんな……! 私達は確かに……!」
「分かってる。私もカティアも、彼処で起きたことは全て洗いざらい報告したわ。戦闘の痕跡だってあちこちに残っているんだし、少なくとも団長閣下は私達の報告を事実と仮定して動いてくれているみたいよ」
それでも”仮定“なのか、断定ではなく。私は暗澹たる気持ちになった。
「あの、オーロラのことも?」
「勿論、そこも含めて。ただ、それが殊更に疑惑の目を集めてしまっているようね。ダンジョンにオーロラが出たことも、そこからオーガが出入りしたことも前代未聞だもの」
「私だって信じられないよ……。でも、この目で見たものは本当だった。嘘でも幻でもなく」
「そこは疑いようも無いわ。私もカティアも、間違いなくシッスルと同じものを見ていた。ただし、あれが本当にオーロラだったかどうかまでは確信が持てないけどね」
それはシェーナの言う通りだろう。私達が目の当たりにしたあれは、確かに首都圏を囲むオーロラ・ウォールに良く似てはいたが、それがそのまま本物のオーロラだとは断定出来ない。オーロラを模した別のなにかだと考えた方が自然ではある。
しかし、私の心の奥から湧き上がってくる声はそれでもこう告げていた。『あれは正真正銘のオーロラだ』――と。根拠も無いくせに、何故かそんな確信めいたものを抱いている自分に少なからず戸惑いを覚える。
ただ、これらの疑念を追求するのは後回しにするべきだ。今、最も大切なことは……
「ミレーネさんは、どうしているの?」
勇気を出して口にした問い掛けに、シェーナの綺麗な眉がより一層痛ましげに歪んだ。
「デイアン殿の、傍に居ると思うわ、今も。葬儀の手配は、カティアとあのモードという仲間の冒険者の二人が中心になって進めているみたい」
“葬儀”という言葉が、痛みと重さを伴って私の心に落ちる。私はぐっと奥歯を噛み締めた。
「会いたい……会わなきゃ、ミレーネさんに」
「まだ駄目よ。先に総長閣下にお会いしなきゃ。シッスルが目を覚ましたら連れてくるよう、彼から言われているのよ」
「ウィンガートさんが? でもさっき、事情聴取は後で良いって……」
「団長からの事情聴取は、ね。総長閣下も、今回の顛末には大変お心を痛めておられて、気絶したシッスルを直接励ましたいと仰せになったの。偶然居合わせただけのあなたに、過ぎた責任を負わせたとお考えのようね」
私は騎士団の統帥権を司るあの優しげな風貌の聖職者を思い出した。ウィンガートさんの気遣いはありがたいけど、今はとにかくミレーネさんが気がかりだ。出来れば丁重にお断りしたいけど、そうもいかないだろう。となると、なるべく早く済ませるしかない。私はため息をつきたくなるのを我慢してシェーナに言った。
「分かった、何処に行けば良いの?」
「閣下は今、このギルドの所長室にいらっしゃっているわ。ギルト長と善後策を協議しておられると思うけど、私達が訪いを入れればすぐ応じて下さると思う。もう立てるの、シッスル?」
「ええ、大丈夫。だから連れて行って、シェーナ」
シェーナは頷き、無言でそっと私に手を差し伸べてくれた。
◆◆◆◆◆
「だから……! ……ど、言語道……!」
所長室に近付くと、内側から怒声のようなものが僅かに漏れ聞こえてきた。扉は太くて頑丈な楢の素材を金属でコーティングしたような重厚な造りだし、壁も上質な石材で形成されてかなりの防音性を誇ると思うのに、それさえも貫いてくるような激しい怒りがこの向こうで渦巻いているようだ。
「はわわ……! あの人、まだ怒鳴ってる……」
私達を此処まで案内してくれた例の眼鏡職員が、扉の向こうから流れてくる声に二の足を踏むようにたじろいだ。
「ありがとう職員さん、此処までで結構ですよ。後は私達で勝手に訪ねますので」
私がそう告げると、彼女はホッとした表情を浮かべて一礼するとそそくさと足早に去っていった。
「誰があんなに怒鳴っているんだろう?」
まさかウィンガートさんではないだろうから、もしかしてギルド長が? と思っていると、
「ユリウス大主教、総長閣下の先達に当たる方よ」
シェーナが言葉少なに説明してくれた。その抑揚のない喋り方から、彼女がこの声の主を快く思っていないことが分かる。
「失礼致します! シェーナ・クイ、シッスル・ハイフィールド、総長閣下にお目通りを願うべく只今参りました!」
扉の前に立ったシェーナが声を張り上げると、中の喧噪が俄に止んだ。ややあって、
「ああ、待っていたよ。遠慮せずに入ってくれ」
ウィンガートさんの返事が微かに聴こえた。それを受けて、シェーナが取手に手をおいてぐっと押し込む。
意外にも滑らかに動いた扉の先に居たのは、相変わらず穏やかな笑みを絶やさないウィンガートさんとその隣に立つ厳しい顔付きの年老いた聖職者、そして机に身を伏せるようにして困憊し切った顔を見せる中年男性の三人だった。
「わざわざ来てもらって済まないね、シッスルくん。どうしても一度、こうして直接会っておきたかったからさ」
「いえ……」
会ってすぐに足労を謝すウィンガートさんに、私は曖昧な返事を返す。と、そんな微妙な雰囲気などお構いなしとばかりに隣の老聖職者がビシッと鋭く私を指さした。
「貴様か、ジェイムズの言う魔術士というのは! 汚らわしい異端者め、よくも守護聖騎士団の名に泥を塗りおったな!」
「え? え!?」
いきなり敵意むき出しに責められて、私は困惑の声を上げる。聖職者に嫌われているのは大教会に赴いた時から肌で強く感じていたけど、流石にこうもストレートに罵声を浴びせられたのは初めてだ。
「まあまあ、落ち着いて下さいユリウスさん。此度の件はシッスルの責任ではありません。彼女はむしろ、私によって半ば強制的に貧乏くじを引かされたようなもので……」
「ジェイムズ! 魔術士を庇うのは止せ! こやつらは魔界の手先、魔族の同類なんじゃぞ!」
随分な言われようだ。いくら魔術士が危険視されているとはいえ、こうまで露骨な嫌悪を示す人が居るとは思わなかった。それも身分は大主教、マゴリア教国の重鎮に等しい人間が。
「此度の一件も、どうせこの者が裏で糸を引いておったのであろう!? オーガを操り、騎士団を誘き寄せて一気に叩こうと算段しておったに違いない!」
「ええ!? ち、違いますよ!」
とんでもない言いがかりだった。なんでこの人はこんなことを言うんだろう? 冷静さを欠いているのは一目瞭然だが、頭に血が上る余りに妄想に取り憑かれたのだろうか?
「では訊くがな、貴様らの報告では撤退途中に突然オーロラのようなものが現れて、さらにそこからオーガが出現したという話じゃったな!? これだけでも眉唾ものだが、騎士団員が二名、証人として存在しておる為に事実であると認めよう。問題は、そのオーガが出入りしたというオーロラじゃ!」
ユリウス大主教は、被っている立派な冠が怒気でずり下がるのも厭わずに荒い息を吐き続けた。
「周知の通り、オーロラ・ウォールとは首都アヌルーンを含むこの地域一帯を護る聖なる結界じゃ! ダンジョン内部に生じるなどありえぬこと! ましてや、魔族の移動経路に使われるなど、与太話でもあってはならんことじゃ! 故に貴様らが見たというオーロラ
「そんな乱暴な……!」
言いたいことは見えてきた。つまりこの人は、私達が見たものを真っ直ぐには信じられないのだろう。私の所為ということにした方が色々と楽なのかも知れない。心情的にも、責任の所在的にも。言いがかりをつけられている身としては溜まったっものではないが。
「ジェイムズ、すぐにこの者を拘束して牢獄へ送れ! すぐにも法廷を開き、然るべき裁きを受けさせねばならん!」
「性急に過ぎます。仮に貴兄の仰ることが事実だとしても、現段階では余りに不明な点が多くて裏付けが取れません。『罪の裁定は、全ての証拠が出揃った状態においてのみ開くことを許される法廷で、厳密かつ慎重なる審議を重ねた末に決すべし』――。教国法刑法第五条にそうあるではありませんか」
「む……!」
ウィンガートさんの穏やかな反論を受けて、ユリウス大主教がとうとう口ごもる。
「ご心配には及びません。事態は必ず、我ら守護聖騎士団が明らかにしてみせます。報いを受けるべき咎人も、遠からず白日の下に晒されましょう。このシッスルは今や騎士団預かりの身、こうして常に専属騎士が付随する立場なれば何処にも逃げられぬというもの。ユリウス大主教猊下に置かれましては、何卒お心安らかに続報をお待ちいただきたく存じます」
形式張った口調で仰々しく先達を敬うように述べるウィンガートさん。彼のそんな謙った態度を見て、ユリウス大主教の頭も段々冷めてきたようだ。
「……ふん! まあ良いジェイムズ、此度の一件が騎士団の沽券に関わるとそなた自身がしっかり認識しておれば儂もこれ以上は言うまい。ここらで引き下がろうでないか。まあ、先の結果は見えていると思うがな」
そしてジロリと私を睨めつけると、これ以上魔術士と同じ部屋の空気を吸っていたくないとばかりに足早に部屋を出ていった。
「せいぜい今の内に身の回りを整理しておくことだ、異端なる《幽幻》の弟子よ」
最後に吐いた捨て台詞で、私の心に激しいささくれを残しながら……。
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