悪夢から始まる恋愛モドキは彼の懺悔より終わりを告げる。

藤前 阿須

爪痕はワインのインクでメイクして

「ハァハァハァ」

 最近、同じ夢を見る。

「う、ううぅう」

 暗い密室に閉じ込められ、よくわからない『ナニカ』に怯えるそんな夢。

「わあぁぁぁー!!??」

 床や天井を関係なく這いずる爪の音、腐食した肉の匂い、時折垂れてくるインクのような液体とそれを舐めてくる触手のような肉塊。何より

[わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ、わしゃしゃしゃ…]

 よくわからない笑い声がその部屋中に響いていることがとてつもなく怖い。身体を横切るナニカも口や鼻から出てくるナメクジのようなナニカもこの夢事態も早く消えてくれと願うばかりだ。

「キャァァァァァァアぁぁぁぁあぁああ‼︎‼︎??…………ハッ!」

 そうして、いつも夢から覚める。そして、悪夢を忘れて何事もなかったかのように仕事へ急ぐのが、本田千栄のいつもの習慣だ。頭痛で怠くなる日もある。私はこれを二ヶ月前から繰り返し、もうこの正体不明を見ることに慣れてしまった。慣れてしまったが、それはあくまで生活の一部として受け入れただけであって不快な悪夢であることは変わりないのだ。



****1



 仕事終わりに飲みに行くことが多くなった。もともと酒は嗜み程度に飲むけれど、最近は悪夢を見るせいか、酒の量も増えた。しつこい油のように残る悪夢の気持ち悪さは私の心を蝕んでいくようで怖かった。

 だからだろうか、最近出会った男性とよく飲みにいくのが日課になっているのは。

私はワイングラス片手に隣の三つ上の男性と会話をしている。

「でさぁ、吸血鬼ってあんまり怖くないんじゃねと思ったわけよ。」

「そんなわけないと思うけどなぁ。吸血鬼って人からしたら、十分脅威だと思うよ。人、食べるし。」

「いやそれはグールだよ、千栄さん。」

 最近、飲み友となった彼の名は大蔵幻弥。大手広告会社の社員で趣味はワインの飲み比べ。大人っぽい見た目だが、話題が想像的で子供地味たところもある男性、身長は私より10cm高く、顔はそこそこだ。顎に髭を生やしていて老いてもダンディーな見た目を目指しているそうだ。

 ちなみに彼はワイン検定一級と日本酒検定二級を持っているそうで酒のことは私よりも詳しい。

 彼との出会いは偶然だった。1年間付き合ってた彼との仲が発展せずに別れたあの日、行きつけのバーで呑んだくれていた私に声をかけては別れ話を淡々と聞いてくれたのが、大蔵幻弥という男だった。彼も最近、彼女と別れたらしく互いに話の馬があった。そこから、仲良くなり、こうして飲み仲間となったというわけだ。





「まぁ現代に吸血鬼がいるかもしれないとたまに思うわけですよ。いたらいいなってね感じでね。」

「ふ〜ん?いたら幻弥さんに何かメリットがあるんですか?」

「そうだねぇ。不老不死になれるチャンスを得られる事かな?眷属になれば、永遠の命を得られるとか言うじゃん。」

「ゾンビになることもあるんでしたっけ。」

「その説もあるんだよなぁ。ふむ、もし僕がゾンビになったら千栄さんは僕をどうするんだい?」

「えぇ〜?それは困るなぁ〜。だけど今まで通りの幻弥さんなら、このままの飲み友の仲を続けるかなぁ。幻弥さんって男前だし。」

「僕はそんなに男前じゃないだろ。」

「いやいや謙遜しちゃって。私から見ても十分魅力的な男性ですよ、幻弥さんは。」

「嘘でもうれしいよ。」

 そう言った彼の顔はなんだか少し寂しそうだった。




*****2




「ふぅ、空気が美味しいよ。」

「あー、飲んだ飲んだ!幻弥さん、2軒目行きましょ!」

「2軒目は行かないよ。」

「え〜なんでよ。私飲み足りないぃ。」

「まったく、君は可愛いな。」

 そう言って私の頭を撫でる。少し酔っているせいか、すごくいい気分だ。もっと撫でてとせがんでしまう。彼はそれに応えて撫でるのを続けてくれる。とてもいい人だ。

 私の思考はIQ143かな。頭がおかしいらしい。

「場所を移そうか。たしか付近に公園があったはずだから……」




「ふぅ。」

「千栄さん、落ち着いた?」

「おかげさまで。水を被ってさっぱりです。」

「そう。それはよかった。」

 酔いが覚めた私は彼の隣に座る。そうしていると、彼は私を見ずに話し始めた。

「千栄さん、最近無理してませんか?」

「え?」

 唐突にそんなことを言われたものだから、答えるのにタイムラグが生じた。

「……なぜいきなりそのようなことを?」

「なんとなくです。深い意味はありません。」

「……そう」

 私を気遣ってくれているのだろう。酒の量も飲むたびに増えている私を心配しての発言だと思った。私は正直に話すことにした。

「実はですね。最近、何度も悪夢を見るようになったんです。」

「悪夢。」

「怖い夢です。暗い部屋に閉じ込められる夢で、その部屋を不気味な生物らしきナニカが蠢いているんです。変な音を出したり、私を触ってきたり、笑い声らしきものをあげたり……」

「……」

「朝起きたら、大体の夢の内容は忘れるんです。だけど、胸の中にあの気持ち悪さが残っていて……。今でもあの夢を見るんでじゃないかと寝るのが怖いんです。」

「…………」

「ハハ。なに私こんなこと相談しているんだろ。解決策すらないのに、ハハ。」

「………どきか」

「え?」

 彼がぽつりと呟いたその内容を私は聞き取ることができなかった。

 彼は立ち上がり、私に静かに告げた。その言葉がどういうことか私にはわからなかった。

「千栄さん、すみません。その悪夢、僕が原因なんです。」

「え?」

 困惑する私にさらに謎めいたことを告げる。

「僕、吸血鬼モドキなんです。」




******3




 彼はゆっくり丁寧に説明してくれた。

「話をするにあたって、まず僕と千栄さんの出会いから整理すら必要があるのですが、千栄さんは覚えてますか?」

「え?えぇ勿論。今日行ったバーで私が元彼と別れた悲しみにくれたところ、幻弥さんが隣に座ってきてなだめてくれた時でしょ?私を哀れんで声をかけてくれたんでしょう。」

「ええまあ、飲み友の関係を持ったのはそれがキッカケでしたね。だけど、僕はそれよりも前からあなたのことを気にしていましたよ。」

「?」

「タイプだったんです。一目惚れってやつですかね。あのバーは前々から僕も行きつけだったんでよくあなたのことをチラ見してました。」

「なっ!」

「だけど、その時には千栄さんに彼氏がいたので、本当に見るだけでしたけど。」

「……。」

「だから、勝手な話。あなたが彼氏と別れた時は内心結構うれしかったんですよ。僕にも付き合える権利が巡ってきたわけですから。悲しみにくれたあなたに声をかけたのもあなたと縁を作るためです。」

「…………。」

「だけど、僕は女性を口説くのは得意ではなく、かといってユーモアがある紳士でもなく、自分に自信と魅力を感じられなかったので仕方なくいつもの手で女性を堕とそうと考えました。」

 その言葉に疑問を持つ。

「いつもの手?堕とす???」

「それが即ち、吸血鬼の力。吸血です。」




*******4




「吸血鬼、またはヴァンパイアというのは、不死身だの眷属を作るだの日光に弱いだの言われていますが、それらは吸血鬼の真祖一人が持っている体質だそうです。だが、遺伝であれ、眷属であれ、一貫して吸血鬼となったものは吸血衝動が備わります。それは一カ月間隔で他人の血を少量飲むことで抑えられるものですが、あまりにも長い期間、血を飲んでいないと精神が狂ってしまいます。言わば狂人状態、なりふり構わず、人を喰う化け物となります。だから、吸血鬼は一生、定期的な血の摂取が必要なんです。」

「それと今までの話と何の繋がりが……。」

「実は僕、千栄さんに吸血したんです。別れ話を聞いたあの出会いの日に。」

「……………ッ‼︎‼︎」

「吸血鬼には、吸血をしやすくするために一度吸血した人にマーキングウイルスを感染させるんですよ。その感染者は吸血されていればなんの症状は出ませんが、二日以上吸血されていない場合、悪夢を見たり、頭痛がしたりする症状が発症するそうです。

吸血鬼モドキとはいえ、僕もそのウイルスを持っているわけですから、吸血したあなたにも自ずと感染することは明白でしょう。」

「……どうして………どうして、私を吸血したの?私は……吸血するための……エサ…………。」

 訳がわからず、震える私を彼はしっかりと私の両肩に手を置き、言った。

「あなたを吸血したのは。あなたが。僕が本田千栄さんのことが好きだったからです。だから、あなたを僕に惚れさせるために吸血した。気を逃してしまいそうで、か細い縁があの日で切れてしまいそうで、僕の不安と不信から吸血を、しました。今までしてきた手っ取り早い、簡単で手馴れた最短で確実な手段だから。あなたを堕とす嘘偽りなズルい手段であなたと関係を築いてきました。全てはあなたに僕を好きになってもらうために。」

 両肩に置かれた手がひいていく。それと共に彼は隣のベンチにドッと腰を下ろした。私は静かに彼を見つめていた。彼はまた、俯いている。

「……マーキングウイルスは時に相手に恋心を抱かせると錯覚させることに使われることがあるんです。長い歴史の中で吸血鬼だと社会に悟られないように生き延びるためにそういった使い方もあったそうですよ。悪夢にうなされ、弱った彼ら彼女らを甘い言葉で恋に堕とす、現代で言う[吊り橋効果]と言うものですかね。僕は僕自身に甘んじてあなたに吸血してしまった。本当に申し訳ない。」

 以上が彼からの説明だった。彼は語る内に私へと懺悔しているようで私は彼を可哀想に思えていた。被害者である私が加害者である彼を憐れむなんてとんだお門違いな気もするが、彼にとって隠しておきたいこの話を真摯に正確に教えてくれたのだ。それくらいの救いをあげてもいいと思う。

 私は彼の頭をそっと撫でてあげた。彼は何も反応することなくただじっとしていたため、なでなでは長い間、続いた。




********5


「どうして私に秘密を教えたんですか?黙っていれば何も知らずに私を堕とせてあなたにとっては思惑通りなのになぜ?」

 私の頭に整理がついた頃、とても単純で重要な問いを切り出した。

 彼は自嘲気味に諦めたような口調で言った。

「……負目でしょうか。自分への罪悪感みたいなものがずっとあったんです。ずっと千栄さんを貶めているのはヤダったし、やっぱり千栄さんとは対等な関係を築いていきたいと思ったんですよ。ハハ。酷い人間ですよね、僕。」

「幻弥さん……。」

 彼はポケットから十数粒の錠剤が入った小瓶を取り出して、私の手の中に置いた。

「マーキングウイルスはこの錠剤を飲めば治ります。1日二錠で一週間ほど飲み続ければ悪夢は見なくなるでしょう。」

 彼はスッと立ち上がった。その顔には作り笑顔が張り付いていた。

「それでは僕は帰ります。今度はニ週間後に会いましょうか。場所はいつものバーでいつもの時間で。それじゃあ。」

 そう口早に言い残して彼は夜の闇に消えていった。街灯に照らされたベンチに座る私はしばらく動けなかった。




*********6




ニ週間後、私は彼、大蔵幻弥に会いにバーへ行った。

 その頃には私はすっかり悪夢を見なくなっていた。

店に入ると奥のカウンター席に幻弥が座っていた。優雅に白ワインなんて飲んでくつろいでいる。

「よっ!久しぶり。」

「……久しぶり。」

 いつになく元気な幻弥を見て多少緊張していた私は反応が遅れてしまう。私は彼の隣席に座る。そして、いつものカクテルを注文する。

「で、どう?あれから。」

「おかげで悪夢は見なくなったよ。目覚めスッキリだ。」

「そう、それはよかった。」

 彼はグイッと白ワインを煽る。ちょうど、私が注文していたカクテルが側に置かれる。

「そういえば僕、会社辞めたんだ。」

「…………え?」

 何の前触れもなく、彼が告げた内容に頭が混乱する。

「実は言ってなかったけど、親が酒蔵業やってるんだよね。代々続いている日本酒造りの職人でさあ、僕もいい年だし、そろそろ家業を継がないかって誘われてたんだよね。今まで踏ん切りがつかなかったけど、諦めて受けたんだ。」

「え?それって脱サラして酒造職人に転職したっことですか。」

「まだ見習いだけどねー。」

信じられないと頭を全速力で巡るは回る。

「どうして急にそうしようと思ったんですか?」

私がそう尋ねると彼は気まずそうにぽつりと言った。

「……失恋のヤケクソ。」

「え?」

「だから、失恋のヤケクソ。あなたと別れるための理由付け。」

「え?何でよ!もしかして、まだ私に吸血したのを気に病んでいるの?」

「ああそうだ。僕は最低なことをした。人の恋心を操ろうとしたんだ。被害者であるあなたから加害者である僕は消えた方が……」


パチンッ。


 彼の言葉を遮った鋭い音は彼の赤くなった頬に移る。私の手のひらがヒリヒリする。

「…………いったぁ。何するんですか!!」

「……私がいつ、幻弥さんと別れたいなんて言いました?」

「いやそれは関係な…」

「私はそんなこと望んでません。」

 私の声は荒げていた。恋人でもない飲み友としての別れに私は苛立っていたのかも知れない。

 置かれたカクテルを一気飲みする。そして、私は無礼にも彼の胸ぐらを掴んで寄せる。

 無性に苛立っていた。

「もう一度言いますけど、私はあなたと別れたくありません。」

「僕はあなたに悪夢を見せた張本人ですよ。」

「知ってます。」

「弱みに付け込もうとした最低な男ですよ。」

「わかってます。」

「こ、告白すらしていないのにあなたを……。」

「ええ、そうですね。幻弥さんは私を恋の沼に堕そうとしましたね。罪深いです、はい!」

「ッ!そこまでわかっているんだったら何で僕なんかと縁を繋ごうとするんですか?僕のことッ、好きなんですかッ!?」

「はい、好きですよ。」

「ハ?」

彼は虚をつかれたような驚きの顔をしていた。全く、何をそこまで驚いているのやら。

「そもそも、幻弥さんのことが嫌いならここには来ていません。顔すらも見にこなかったでしょう。」

「……ハハハ、何の冗談だ。僕は人として、最低なことをしたんだぞ。」

「わかっています。だけど、それ以上に話相手として、かなり好きだったんですよ。吸血されなくてもキッカケさえあれば、飲み友になってたんじゃないですかね。」

「それは話の馬が合うだけじゃないか。」

「あら?私にとってはかなり大きい要素ですよ。結婚するにしろ、付き合うにしろ、やっぱり側にいて楽しい人がいいなって思ったんですよね。」

「僕といて楽しいか?」

「まあまあそこそこですかね。」

「……。」

「幻弥さんが吸血鬼であろうと吸血鬼モドキであろうと変な人間であろうとそこは関係ないんです。むしろ、私に吸血するほどの魅了を感じてくれているところを評価すべきだと思ったんですよ。私は幻弥さんにとって魅了的ですか?」

「……まぁそうだね。」

「私のことが好きだとか一緒に暮らしたいだとか思ったりも……?」

「しなきゃ吸血なんてしない。」

「ならいいじゃないですか。私を愛せるほどの好感度を持っているということで。」

「……何がいいんだよ。こんな男に好かれてあなたに何のメリットが……。」

「幻弥さんは自分のことを卑下しすぎです!幻弥さんは私にとって魅了的ですよ。」

「!?」

「何より、自分の都合の悪い秘密をわざわざ喋ってくれたじゃないですか。あの時は理解が追いつきませんでしたけど、あれは私を想って話してくれたんですよね。」

「気づいていたのか……。」

「幻弥さんの配慮に私が気づかない筈ないじゃないですか。こうした優しく細やかな配慮ができるところも幻弥さんの魅了の一つなんですよ。覚えておいてくださいね。」

「ハハ。わかった、覚えておくよ。ハハハ。」

「ふふ。幻弥さんって可笑しい。」

「ハハハ。千栄懺悔こそどんな恋愛観持っているのさ、ハハハハ。」

「ふふふ。あなたも大概ですよ、ふふふ。」

 ひとしきり笑い合って互いに一息つく。互いの胸の内を知れてホッとした安心感によるゆったりとした空気が流れていた。

「じゃあ、その仕切り直しといいますか、告白し直してくれますか?」

「ああ、喜んで!」

 それから、彼から愛のプロポーズを受けて私は「はい」の二言で返した。そして、彼と私は…………のでした。


〜fin〜






 

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