ザ・地味・変テコリックス・エクスペリエンス

川谷パルテノン

地味男、変テコ女に出会う

 親方! 空から女の子が!

  ─ 『天空の城 ラピュタ』


 彼女は空から降ってきた。その身体は一糸纏わぬ剥き出しの素っ裸だった。兎にも角にも僕、平嶋玉爾ヒラシマタマジは生まれついての根性なしで、内気で陰気で根の暗いうだつの上がらぬ男だったから、こういったシチュエーションはもっと主人公格の人が巡り合うべき瞬間だと一瞬目を背けたのだ。ところが目を背けた矢先から折角ならともうちょっとだけおっぱいが見たくって再び視線を戻した次第。先に言ったとおりのどうしようもない人生である。なんの悪戯か僕はその棚ぼたならぬ棚女子に夢を見てしまった。その時にはもう彼女が眼前数センチにまで迫っていて、次の瞬間にはとてつもない衝撃と共に全身の痛覚が寝ているはずのその寝室のドアを全て叩いて回られて、だから僕はきっとこの時に死んでしまったのである。なんと悲しき人生だったか。楽しみにしていたゲームの新作。それだけが後悔だった。たったそれだけの。

 死後。きっとこれはそういう物語だ。なぜならここから起こったことは全て僕らしからぬ出来事の連続である。

「もしもーし、大丈夫ですか」

「ぬあ、なんなんだ君はッ。は、裸。どういう。死んだか、僕は。いや、死んだッ」

「圧倒的な生に満ち溢れていませんか」

「夢だな。違いない。僕の人生に、裸の女だと。なわけあるかよ。夢なら揉んでいいよね」

「法律をご存知でないですか」

「知っとるわいッ。アッもうッ着ろよコレ」

「なんですかコレ」

「学ランだよ見りゃ分かんだろないよりマシだろなんでスッポンポンなんだよ」

「夜風が気持ちよかったからです」

「イかれてんのかッ。法律をご存知でないのそっちだろ」

「死ぬ前くらいは好きにしたいから」

「なんて。死ぬとは。何」

「私、自殺するところだったんです」

 僕の全身に風が吹き抜けた。やはり僕は死んでしまったのだろう。それでもって彼女は死のうとして僕がいた所為で失敗し僕が代わりに死んで彼女は生きて、もうワケがわからんなった。聞けばこんな夜中に校舎の屋上から降ってきた彼女はこの学校の生徒で磐前鶴子イワサキツルコ、僕と同じ十七だった。

「自殺だなんて、そんな、何がそんなに。イジメられてたとか」

「やんなっちゃって、人生」

「やっぱり何か酷いことされたのか」

「ぶつけたんです。左足の小指」

「は」

「寝起きざまに襖の角で」

「それで」

「やんなっちゃって、人生」

「馬鹿じゃないのかッ。誰が小指ぶつけたくらいで死にとうなるんや。僕は」

「平嶋さんは小指ぶつけたことないんですか」

「あるよッだからなんだってンダッ。とにかく自殺なんて止せ」

「冷えてきましたね」

「着てないからだろッ。ちょっと待ってて。すぐ近くにコンビニあるから。なんか着れるもん買ってくるからちゃんと待ってろよ。死ぬな、な。な」

 そう言って出てきたものの下着はオトコ物しかなく、そこそこ高い。財布がすっからかんになってしまった。足早に戻ると磐前はまだそこにいて、僕は買ってきたシャツとパンツを渡した。これからどうすんのと尋ねてみれば「ちょっと生きてみます」とわけのわからんことをまた言う。「このコーヒーがあったかいので。ありがとうございます」そう言って笑う磐前の顔がコンマ五秒で脳裏に焼きついた。僕は根性もなければろくでもない人間で半裸の少女を家まで送ってやる甲斐性もなく間抜け面で見送った。ただただ死ぬなと胸のうちでは祈りながら。さてさて僕は死んだワケなのでこれからどうするかあぐねいているところをしっかりおまわりさんに職質されて、考えてもみればコンビニでパンツ買えた時点でひょっとしたら生きてるのかとも思ったがどうやら死に損なったみたいだった。「学ラン、持ってかれちゃったな」夜空はエゲツなく綺麗で星の瞬く光と光の隙間が僕を吸い込んでいく。朝にならないでと多感に多感を重ねながら僕はとぼとぼ帰路についた。


 新しい朝がきた。まだ疲れが残っている。行きたくなさがある。学校。制服も上着がない。仕方がないのでカッターシャツ。「仕方なカッターーッ」鏡の前で気合いを入れた。登校の道すがら、一番会いたくない奴に出会す。こういう時の引きの悪さはずば抜けていい僕だった。

「タマ菌、無視すんじゃねえよ」

「してないよ、おはよう寒田くん」

「あああン、目ェ逸らしたろ確実にッ」

 ウザすぎる。寒田勲サワダイサオ。コイツのせいで僕の高校生活は無茶苦茶だ。名前を弄って執拗にタマ菌と呼んでくるのも最悪だ。しかし僕は歯向かえない。なぜなら、弱いから。寒田は空手をやっていてカンフー映画が好きで弱い者イジメが好きすぎた。僕はその恰好の的だった。出会い頭はなんならそうでもなかった。僕もブルース・リーが好きでリーのシルエットが入ったTシャツを愛用していたからそんなキッカケで初めは仲良くしていた。それがいつからか上下関係がはっきりし始めて今ではこのとおりだ。お金取られるとか、机に一輪挿しが置かれるとか排便中に水ぶっかけられるとかその類いのことは受けてこなかったけどなんというか精神的にチクチクくることをやめてくれないので真綿で首を絞めるような緩やかな不快感が僕の心を蝕んだ。なので学校には行きたくないだとかそういうしんどさの原因はすべて寒田のおかげである。いつだって今日こそ言い返してやると思い続けて早一年。僕は未だ一歩どころか数ミリも踏み出せていない。なぜこんなふうになってしまったのか。原因は分かっている。僕のブルース・リー知識が寒田のそれを超えていたからだ。だからなんだと言われたら本当にそれなんだが、そんな些細な優位性が寒田のプライドを傷つけてしまった。以来タマ菌であるところの僕はどうにかこうにか寒田を回避することばかりを考えていた。

「タマ菌、お前わかってんだろな」

「わかんないよ何も。タマ菌はやめて」

「黙れッ。タマ菌が感染るだろ」

 このとおりだ。難癖すぎる。まあいい。寒田に関しては僕が大人しくしてればどうということはないのだから。ただ偶に思い出す。楽しくやれていた頃の寒田を。そうでないことが少し寂しい、それだけ。

「おはようございます」

 問題はコッチだ。ややこしさでは寒田の比ではない。磐前鶴子。服を着ている。

「昨日はありがとうございました」

 手渡された学ラン。寒田が虚をつかれた顔をしている。マズい、そう思った。

「タマ菌ッ」

「玉金?」

 磐前、その顔立ちについて申し上げると見方によっては悪くない。寧ろ全然いい。出会いが最悪だった。それを差し引いてもまだおっぱいチラ見の貯金がある。だがしかし小指をぶつけただけで弾けて混ざりそうな女。軍配はマイナスに上がる。とはいえこの状況。またもや何も知らない寒田は必ず見た目可愛い女子に感謝されているとしか見えない僕にヘイトを向ける。死神のトライフォース。寒田のブローが僕の腹に。「来たか、ボディ。グ」僕は悶絶しその場に突っ伏した。寒田はそのまま行ってしまった。

「大丈夫ですか」

「どう見ても大丈夫ぁないジョバーナ」

「生のボディブロー、初めて見ました」

「どこに感動しとんねん」

「保健室行きますか」

「ほっといてくれ。もう構うな」

「平嶋さん」

「なんだよッ」

「玉金って」

「うるさいうるさい、ウルサイッ」


 その日は一日中最悪な気分だった。磐前が降ってきた瞬間の映像がフラッシュバックし続けて頭を抱えた。キーンコーン、カーンコーン。もう放課後かよ。結局僕は何も出来なかった。寒田との関係性は悪化する一方で、おまけにコブ付き女とのルートまで出来上がり、僕はそれに流されるままの出来損ないのNPCだ。自分で自分がコントロール出来ないなんてクソゲーも甚だしい。駐輪場に辿り着くと自前のチャリンコのサドルがなかった。僕は世界の中心で愛を叫ぶ。

「僕は、僕は、生粋の切れ痔なんだぞーーーッ。肛門にザンギエフの肩みたいな傷痕があるんだ。助けて、ください。助けてください」

「タマ菌」

 サドルを抱えた寒田が立っていた。映画『アルマゲドン』のロケットに乗り込む前みたいな風貌だ。

「その、今朝はなんつうかワル」

「平嶋さん、一緒に帰りませんか」

 寒田は舌打ちするとそのままサドルを投げ捨てて走り去ってしまう。何がしたかったんだ。帰り道、磐前はずっと切れ痔の痛みについて聞いてきた。全部無視した。

「平嶋さん、じゃあまた明日」

「もう絡まんでください。お願いします」

「平嶋さん、そういえばどうして昨日あんな時間に学校にいたんですか」

「お前が言うなッ。それは」

 それは、僕だってやんなっちゃったんだよ。磐前のことを馬鹿に出来ない。何をやっても上手くいかない。産まれる瞬間に自らヘソの緒を巻きにいこうとした僕だ。おつかいを頼まれてもキャベツと間違えてバケツを買って帰った僕だ。死にたがってた女の子を偶然助けちゃったり、たった一人の親友と昔みたいに仲良くも出来ない僕だ。だからやんなっちゃったんだよ。あとは磐前、お前と一緒。あと数分巡り合わせが違えば、僕もお前も死んでたのかもな。当然そんな話は切り出せない。ポカンと見つめる磐前の顔は無邪気で呑気で本当に死にたがってたのかよと思うと僕はなんだか可笑しくて笑いが止まらなかった。意味を知ってか知らずか一緒に笑ってる磐前にちょっと救われて、ちょっと好きになってしまいそうになるから困る。また明日。僕は構うなと言いながら磐前にそう告げた。


 翌る日、朝から磐前の姿が見えなかった。無論、これまで磐前鶴子などという同級生がいたことも知らずに過ごしてきたわけで、たまたまということもあるだろうと敢えて探してみるのだがこれも見つからない。なんで僕が探さなきゃならんのだという思いから平静を装ったものの煮え切らない感情がある。夜中に全裸で歩いてたんだ。風邪くらいひくだろう。そう言って聞かせたがその翌日になっても磐前は登校して来なかった。そこから一日二日経っても、一週間が過ぎても磐前は来ない。いよいよ一ヶ月が過ぎたあたりで僕は僕でおかしくなり始めていた。どこにいっちまったんだよ。おかしな女だった。会話もまともにしたことのない、いつも意味不明なことばかり言ってる、小指一本ぶつけた程度で絶望した彼女。それが存外、僕の中では大きくなっていて、たかだか一日二日過ごしただけなのにと誰かは言うかもしれないけれど、僕は今すぐにでも磐前と会って話がしたかった。気づいた時にはいつも遅い。本当は私学に通うはずだった。会場で受験票がないのに気づいてパニクった。それも事情を説明すればなんとかなったのかもしれないのに、僕は取りに帰るため電車に乗っていた。当然の不合格。逃げてきた先がこの学校で着るはずだったブレザーは学ランになった。僕は制服の胸ぐらを自分で掴んだ。まだそこに磐前がいるような気がした。違う。居てほしかったんだ。

「オイッ、どこ行くんだ平嶋ッ」

 授業中。関係あるか。教室を飛び出した。磐前を探しに行く。どこへ。知るか。絶対に見つけ出して連れ戻す。絶対にだ。

「タマ菌」

「寒田」

「お前の彼女どっかいっちまったみてえじゃん」

「サドル返せ」

「お前なんか好きになるなんて頭おかしいんじゃねえのかあの女。だいたいタマ菌」

「どけよッッ」

「なんだとテメェ」

 僕はケンカが弱い。したこともないさ。でも舐め腐った相手には負ける気がしない。PvPは得意なんだゲームなら。寒田の腰のあたりにタックルをかました。寒田は不意を突かれてすっ転ぶと体を起こそうとうつ伏せに転がった。

「お前のせいでなッサドルめちゃくちゃ抜けやすくなったじゃねえかッ」

 サドルの根本を寒田のケツにぶっさすと仔犬のように鳴いた。

「もうお前には屈しない。いつでもかかって来いよ。いつだって死亡遊戯やってやるよ。でも今はダメだ。やらなきゃいけないことがある」

「玉爾、テメェ」

「じゃあな勲」

 

 サドルを寒田のケツにぶっさしたままだったので立ち漕ぎする羽目になった。まあいい。スピードが出る。僕は磐前の名前を叫びながら町中を走った。間抜けでいい。馬鹿でいい。磐前、死ぬな。絶対に連れて帰る。どこにいる。帰って来い。土手沿いに夕陽が沈みかけ、この辺で一番デカい川の流れが僕をせせら笑っているように見えた。うるせえ。

「イワサキーーーッ。どこだーーーッ。返事しろーーーッ」

 喉は枯れ果て焼けるように熱く、それでも絞り出せるだけ出すと今度は目元に熱が溢れ出る。息が出来ない。いろいろボロボロだ。叫べども叫べども磐前はどこにもいない。また遅かったのか。また間に合わなかったのか。

「神様。おねがいします。人生で一度でいい。今だけ、空気読んでくださいッ。磐前ーーーッ」

「呼びました」

「磐前ーーーッ出てきてくれーーーッ」

「平嶋さん」

「ちょっと邪魔すんなッ僕は磐前を探し、さが、磐前ッ」

「はい、どうしたんですか」

「どこ行ってたんだよッ」

「野グソの時間だったもので」

「野グソ。心配したんだぞッひと月も姿見せないで。まさかまた死のうとしてんじゃねえかって」

「やだな。死にませんよ」

「わかんないだろッ。小指ぶつけて絶望するような女ッ。分かんないよッ」

「だってコーヒー買ってくれたじゃないですか。あのとき言いませんでした私。ちょっと生きてみますと」

「コーヒーって、そんだけ」

「そんだけです。タダほど美しいものはそうありませんから」

「馬鹿ッいくらだって買ってやる。だからもう何処にも行くなッ」

「はい」

「絶対だぞッ」

「はい」

「なに飲むッ」

「いちばん量の多いやつで」

「馬鹿ッ。買ってくるから待ってろ馬鹿ッ」



 磐前は帰ってきた。今度一緒に映画を観に行く。タイトルは確か"Alice in the Burning KINKAKU"とかいって公民館でタダで演るらしいと磐前が嬉々としながらチケットを持ってきたのだ。あの日、空から降ってきた女。癪だけど彼女のおかげで消えかかってた僕の人生がようやく動き始めた気がする。どうやら今度ばかりは間に合ったみたいだ。


「平嶋さん。聞いてください。校内に犬が入り込んだみたいです」

 

 たぶんね。

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