本質、問うは他人か己か
「あなたは何ができますか?」
「あなたはどんなことができますか?」
「あなたはどんな人間ですか?」
今日日ありふれた質問。
就職、面接、日常会話、自己紹介での質問。
どこでも聞くことができるものではあるが、この質問に即答できる人物は少ないと思っている。
案外人間という生き物は自分のことは客観的に見れていない。
分かっているつもりでもいざ明確に言葉にしようとすれば口ごもり、悩み、最後にはありきたりな回答をしてしまうものだ。
こう話しているが、私自身も自分のことなどさっぱりわかっていない。
親から見た自分、友人から見た自分、大人から見た自分、子供から見た自分。
聞けば返ってくるだろう。「君は〇〇な人だよ」という回答が。
ということで私も古くからの友人に声をかけて聞いてみた。
結果として、碌な答えは返ってこなかった。
「わかんねぇよ」だの「お前はお前だろ?(キリッ)」だのマジで何の参考にもならない回答が返ってきた。
この回答を聞いて、空っぽな回答だとは思わない。
それこそ「〇〇な感じだよね」とか言われた方が、適当、空っぽに感じる。
これに関しては私の感性が大いに関係しているわけで、上記のような回答するような人物が嫌いなわけではない。
閑話休題
私は自分のことが全く理解できない。
めんどくさがりなのだと思っていれば、たった一つの些細な物事のために10時間かけて万全の準備をすることもある。
非情なのかもしれないと思っていれば自分を犠牲に親しくない人物を助けたり、道理に合わないことを行う。
ありのままで生きていきたいと思っているのにもかかわらず、偽り、着飾り、気取り、少しでも良い印象を持ってもらおうと必死になる。
創作が好きなのにも関わらず、気が乗らないといつまでも行動を起こさない。
矛盾に塗れた生き物であった。
自己分析シートなるものが存在するが、あれも所詮自分が思う自分を書き出しているだけであり、本当の自分は見れていないのだ。
結論として批判や誤解を恐れずに言うのであれば人間の本質は虚飾にあると私は思う。
偽り、飾る。自分のいいところを見てもらいたい。よく評価してほしい。
そんな欲の集合体が人間だ。
故に人間の本質、性根の根本は長く、長い付き合いがあって理解できるものだと思っている。
人間に必要なのは自分の本質と話し合うこと、理解すること。
自分はどのような人間なのか、なぜ嘘をつくのか、今までどのように接してきたのか。過去のすべてを理解して尚、自分のことを完全に理解したとは言えない。
なぜなら未来の自分がどんなことをするのかがわからないからだ。
結局のところ人間は自分自身の探求をそれこそ死ぬまで続けなければ自分のことは何もわからないのだ。
人、我ら人、かくあるべし リズリンザ @satuki001
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