第弍話 現実と虚構。

 時折、普段は視界に入っても気にも留めない抽斗や押入れやなんかを無性に漁りたくなる。それは過去を回顧したいからなのか、それとも何か別の要因が存在するのか…。私にはまだまだ解らない人間の不明な思考と行動である。

 

「ハハッまだまだだなぁ…これ…」

二十年前に自分が書いた小説「流れる彗星、慌てる弱者。」と云う題の小説を押入れから見つけだし、麻岡冬彦あさおかふゆひこは呟いた。

「しかもこれ……そうだ…書いてる途中に先の展開に詰まって完結させずそのままにしたんだ」

麻岡は今年三十六歳になる。これは丁度二十年前に書かれたものだからつまり麻岡が十六の頃に書いたものだ。

「…まぁ今もしていることはこの頃と変わらないか…主人公のニヒルな性格も………」

麻岡は今居る自分の書斎を見廻す。本棚には森鴎外、江戸川乱歩、西村賢太、ツルゲーネフ、アーサー・C・クラークなど時代、ジャンル、国を問わず様々な小説家の小説が大量に並んでいる。麻岡は小説家である。海沢咲馬うみさわさくまの名で小説やエッセイ等を連載している。何故この名を筆名としているかと云うと、懸賞に出す時本名で出すのは憚られたので咄嗟に昔の親友の名を捩ってそれがそのまま筆名として定着して現在に至る。そしてその親友の名と云うのが前述の小説に出てきた森澤咲真もりさわさくまである。職業小説家になった今は勿論知り合いの名をそのまま作中に出す事など無いが、昔小説を書いていた時分は世に出す気などさらさら無かった故に作中に知り合いの名をそっくりそのまま出すと云う事が度々あった。

「あいつ元気にしてるかな…」

森澤とはもう十と…幾年か会っていない。懸賞に応募する時名前が出てきて捩って筆名にしようと考えたのも永らく会っていなかったから本人や周りの人間にばれる事も迷惑を掛ける事も無いだろうと安易に考えたからである。しかし今になり些かの後悔がある。別に即席とは云え名前自体は気に入っているのだが、今後森澤と再び会う機会があるかもしれないし、もし自分の名前を捩っているとはいえ勝手に使われてそれが世間に流布しているとなると、迷惑がかかるのではないかと。

 意味も無くもう一度押入れを見回す。すると小学校の頃の卒業アルバムを発見した。そこには今ではあり得ない、各生徒の住所や電話番号が載っていた。

「………かけてみるか」

永く会っていない旧友に久々に会いたいと云う単純明快な思いと一抹の後ろめたさを含みもちつつ卒業アルバムに書いてある森澤の電話番号を見ながら受話器を手に取った。

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これ程にない星 夜野影存 @kageariyoruno

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