最終話 甘くてスパイシーな侑李くんは、かわいくもある

 奈々ななとケンカしてから三日。

 結局のところ仲直りはできていない。

 レギュラーと他の部員はメニューが違うから話す機会はないし、クラスは離れてるし。なんだか連絡しにくいし。私は奈々ななと仲直りするチャンスを見失ってしまっていた。


有沢ありさわさん、まだ飯田いいださんとうまくいってない?」

「え、わかるの?」


 今日も私は佐藤さとうくんのお菓子を食べに来ていた。

 おいしいお菓子はもちろんのこと、彼はいつも優しく私の話を聞いて励ましてくれるから、とっても居心地がいいんだ。


「モヤモヤしてます、って顔してるよ」

「ごめん、せっかく呼んでくれたのに……」

「ううん。そういう正直なところ、かわいいよね。そんなときはお菓子を食べて元気出してよ」

「あ、うん……」


 佐藤さとうくんはキッチンに向かってお菓子の準備を始めた。

 彼ってたまに、ああいう反応に困ること言うんだよね。やっぱりモテるから、みんなにサラッと言えちゃうのかな?


「はい、今日はマドレーヌだよ」

「おいしそう、いただきます!」


 かわいい、貝殻の形のマドレーヌ。口に入れるとふわふわで、バターの香りとハチミツの甘さが広がって、幸せな気分。

 少しだけ、元気が出たな。


「よかった、ちょっと元気出た?」

「そんなこともわかっちゃうの?」


 目の前に座っている佐藤くんが、肘をついて目を細めた。

 なんでもお見通しと言いたげなその表情は、同い年の私よりずっと大人びて見えた。


「ううん、俺が有沢ありさわさんに元気になってほしいって思いながら作ったから」

「ありがとう、元気出たよ」


 私は佐藤さとうくんに笑顔を返した。

 そんなにやさしい気持ちで作ってくれたから、こんなにおいしいんだ。そういえば、このマドレーヌは食べると心の中がポカポカする気がする。


「そうだ、佐藤さとうくん! マドレーヌって作るの難しい?」

「え、いや、混ぜて焼くだけだから簡単な方だけど……どうしたの?」


 私はテーブルに手をついて立ち上がり、佐藤さとうくんに向かって身を乗り出した。


「お願い、私にマドレーヌの作り方を教えてください!」

「え? 有沢ありさわさんが作るの?」

「うん! お願いします!」


 急に勢いづいた私に、佐藤さとうくんは驚いたみたいで、眉を上げて瞬きしていた。そして、何かを察したように彼の表情は笑顔に変わった。


「もちろんいいよ。おいしくて思わず笑顔になるようなマドレーヌを作ろう!」

「ありがとう、佐藤さとうくん!」


 日曜日。部活が休みな今日、私はまた佐藤さとうくんの家に来ていた。


「いらっしゃい!」

「おじゃまします。佐藤さとうくん、朝から付き合わせちゃってごめんね」

「ううん、気にしないで! 俺、すっごく楽しみしてたんだから」


 生地を寝かせる時間が必要って聞いたから、朝の一〇時からお邪魔してしまった。佐藤さとうくんの両親はもうお店に出ているから留守みたいだけど。

 私が持ってきた紅茶の詰め合わせを渡すと、彼は「ありがとう」と言ってそれを受け取って笑みを浮かべた。


「さて、さっそく始めようか。本当に材料計るのとか全部自分でやるの?」

「うん、がんばってみたい」


 教えてもらうんだから、せめて全部自分でやらないと。心を込めて、最初から最後まで、丁寧に。


「了解! じゃあさっそく小麦粉やグラニュー糖を……」

「うん、これくらいかな?」

「あ、有沢ありさわさん、器の重さは引いて……」

「え! どうしよっ」


 教えてもらったのに序盤からいろいろトラブルはあったけど、その度に佐藤さとうくんは「大丈夫だよ」と言って根気よく教えてくれた。彼が笑うと、本当になんでも大丈夫になるから不思議だ。


「よし、一度生地を寝かせるよ」

「うん!」


 ここから二時間置いてから焼くらしい。

 その間に私は佐藤さとうくんとお昼ご飯を食べに出かけたり、ラッピングの材料を買って戻った。


「じゃあ、オーブンを一八〇度に温めて、生地を型に流そう」

「わかった!」


 ゆっくりと、丁寧に、心を込めて。私は型に生地を流してオーブンに入れた。


「うちのオーブンだと一八分にセットして……よし! 待とう!」

「うん!」


 待ってる間に私は道具の後片づけ、佐藤さとうくんは紅茶を入れる準備を始めた。

 そして、一八分後……。


「できたよ、熱いからオーブンから出すのは俺がやるね」

「ありがとう」


 粗熱が取れてから、ふたりでマドレーヌを食べてみた。

 ふんわりと、しっとりと、バターと蜂蜜の風味。幸せの味がした。

 これで私の気持ち、伝わるかな?


有沢ありさわさん、おいしいね。きっと飯田いいださんも喜ぶよ」

「なんで? 奈々ななに渡すって言ってないのに。佐藤さとうくんはなんでもわかっちゃうの?」


 奈々ななに笑ってほしくて、また一緒に笑いたくて作ったマドレーヌ。

 佐藤さとうくんにはお見通しだったみたい。

 彼は目尻を下げて紅茶を一口飲んでいる。


「わかるよ、有沢ありさわさんのこと見てたからね」

「え、そ、そっか……」


 また返事に困ることを言う。

 私は恥ずかしくなって、俯いて紅茶を飲んだ。


佐藤さとうくん、今日は長い時間付き合ってくれてありがとう」

「ううん。むしろ有沢ありさわさんの手作りお菓子が食べられて嬉しかったよ」


 佐藤さとうくん、今日はずいぶんこう言う発言が多いなあ。

 私はにっこりと微笑む彼にペコっと頭を下げる。


「ええと……あ、ラッピングも手伝ってくれてありがとうね」

「たいしたことしてないよ。うまくいくといいね、飯田いいださんと」

「うん。本当にありがとう。今度お礼させてね」


 佐藤さとうくんが真っ直ぐに私を見つめる。

 いつも笑っていることが多いから、こんなに真剣な顔って初めて見るかも。

 なんだか胸の奥がソワソワする。なんだろう……この気持ちは。


「じゃあ、もし飯田いいださんと仲直りできたら、俺のこと「侑李ゆうり」って名前で呼んでほしいな」

「え、名前で?」

「いつまでも「佐藤さとうくん」じゃよそよそしくて。俺も「あさひちゃん」て呼びたいし」

「あ、はい。わかりました……」


 あれ? 今、あさひちゃんて呼ばれて、顔が熱くなってきた。

 電車に乗って奈々ななの家に向かうまで、私はこの気持ちの正体を考えながら息が苦しくなった。


 そして次の日。部活帰りに私は報告も兼ねて彼の家に向かった。

 インターホンを鳴らして、出てきた彼にまずはお礼を言う。


侑李ゆうりくん、昨日はありがとう!」

「あ、あさひちゃん……」


 侑李ゆうりくんはいつもとは少し違う、とっても幸せそうに、嬉し泣きでもしそうなくらいに顔をくしゃくしゃにして笑った。

 私はそんな可愛らしい侑李ゆうりくんを見て、なんだか嬉しくて、胸の奥が熱くなって、自分の知らない何かが溢れてくるような気がした。

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侑李くんは、甘くてときどきスパイシー〜ふたりなら、きっとどんな夢も叶えられるはず〜 松浦どれみ @doremi-m

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