第10話 憧憬

 

 二人はゲームセンターを離れて、駅へと歩く。大通りなので、念のためにゆずはフードを着用。プライズ品の入った袋を楽しそうにゆらゆらさせながら歩いている。


「そういやしゅーくんはそのぬいぐるみどこに置くの?」


「んー、本棚の空いてるスペースにでも置いとこうかな。流石に男子高校生が枕元にぬいぐるみを置いて寝るのはちょっとアレだし」


「寝る前にわたしの事思い出して悶々としちゃうから?」


「違うに決まってんだろ。逆セクハラって言葉知ってる?」


 思わず立ち止まってツッコミを入れる。きょとんとした顔でなんつーこと言ってんだ。

 あと芝居がかった表情なのに可愛いと思わされてしまうのが腑に落ちない。

 そんな反応が面白かったのか、ふふっと笑うゆず。

 そのまま一歩、二歩と前に出ると、


「まっ、色々と予想外の事はあったけど、今日はけっこう楽しかったよ」


 余った袖で口元を隠しながらこちらを振り向く。

 フードから覗く表情は蠱惑的であり、いたずらに成功した子どものようでもあった。

 その顔に一瞬意識を取られかけるがなんとか堪え、


「まあ、ほんとに色々あったけど、俺もけっこう楽しかったよ」


 ゆずの言葉をなぞりながら、一歩、二歩と距離を詰める。


「しゅーくんってちょっとした言葉遊びっぽい表現多いよね。その感性嫌いじゃないよ」


「改めてそう指摘されるとちょっと恥ずかしいから止めて……」


 そして二人は駅へと歩く。

 それはいつもより少し小さな歩幅で。

 それはいつもより少し大きな歩幅で。



 駅の改札前に到着する。話し合いの結果、念のため電車を一本ずらして帰る事になった。十分も待たずに次の電車は来るので、余計なリスクを回避しようという考えだ。


「それじゃ、お先に。またね」


 ゆずはひっそりと手を振った。秘密めかした様子にはグッとくるものがあったが、表情に出さないように堪える。


「じゃあまた。暇な時は連絡してくれ」


 そして小さく笑顔を残し、改札へと歩き出した。


「……普段からそんな風に笑ってたらいいのに」


 その後ろ姿を見てそんな言葉が溢れる。

 普段の彼女がムスッとした顔をしている訳ではないし、というかむしろ愛想はすごく良い。

 だが、彼女の笑顔はどことなく作り物めいているのだ。

 今日のゆずの笑顔を見て確信した。それが彼女の言う「演じる」という事なのだろう。

 引き留める意思はない独り言だったが、ゆずは足を止める。


「私はこれでいいの。だって、『白河悠月』ってとても理想的でしょ?」


 彼女は振り返らない。だがその声は何処となく淋しげに聴こえる。

 一体、彼女はどんな表情をしているのだろうか。


「そうだ、最初にも言ったけど念の為」


 先程とは変わって明るい声で切り出すとこちらを振り返る。

 その顔にはこれまで通りの笑顔。だが、その表情はこれまでとは違い、貼り付けられたもののように見えた。


「『ゆず』と『shu』の関係が変わらないように『白河悠月』と『大槻柊』の関係も変わらない」


 つまるところ、彼女は「自分に干渉するな」と言いたいのだろう。

 様々な感情が去来するものの、返す言葉が見当たらず口を噤む事しかできない。

 この沈黙を彼女はどう受け取ったのだろうか。


「じゃあね、しゅーくん」


 改札を潜り抜け、ホームに向かう。

 俺はただその背を見送る事しかできない。

 彼女がもう一度立ち止まることはなかった。



 * * * * *



「……ただいま」


 家には誰もいないのにこうした定型文を呟くのは、日本人の本能なのかもしれない。

 帰宅するとどっと疲れが押し寄せてくる。

 重い足取りで部屋に入ると、荷物を置いてベッドに倒れ込んだ。

 時間は午後5時、夕食の買い物もしなくてはならないが動く気が起きない。

 そのまま目を閉じると、彼女の言葉がリフレインする。

 彼女は明確に線を引いた。白河悠月には干渉をするなと言った。

 寂しいような、悲しいような感情を抱いたのは間違いない。

 だが何よりも気づいてしまったのだ。

 自分は彼女の事を何も知らず、自分は何者でも無い事を。

 彼女と触れ合って、普段とは異なる表情を見て。

 自分は彼女を知った気になっていた、何者かになれたような気がしていた。

 でもそれは間違いで。

 それが間違いだと気づいてしまえば、彼女の引いた線に対して声を上げる事は出来なかった。

 もしかすると俺の知った彼女の一面すらも仮面の一つでしかないのかもしれない。

 もしかするとゆずとの交流すらも泡沫の嘘なのかもしれない。


 それでも。

 それでも彼女の事を知りたいと思った。


 これはきっと憧憬だ。

 自分には手に入らない物を持つ彼女への。

 自分の諦めた物をを持つ彼女への。


 多くの者は、彼女は清く正しく美しい、非の打ち所がない人間だと言う。

 でも、きっとそれは正確ではないのだろう。

 彼女は清く正しく美しい、非の打ち所がない人間になろうとしている人間だ。

 彼女の事を知らなくても、それは理解出来た。

 そして、それが難しく、ともすれば空虚な生き方である事も想像できた。


 彼女は何故特別で在ろうとするのだろうか。

 彼女は何故強く在れるのだろうか。


 彼女の事を知りたいと思った。

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ネットで出会ったゲーム友達は学校一の美少女でした 熊野べあ @bea_

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