プロローグ2
煙草が切れていたことを思い出して、偶然見つけたコンビニに入る。最近、煙草の減りが早くなった。余裕がない証拠だ。誤魔化しばかりを求めている。そんなものに頼ったって死ねやしないし、希望は手に入らないはずなのに。
平和な電子音。「いらっしゃいませー」と、この時間にしては丁寧な挨拶で迎えられる。どんな店員なのか少し興味が湧いて、陳列された煙草を確認しつつ、レジに立つ人間に目を向けた。奥の方だからとわざわざレジの前を横切るように歩いてみたのに、仕事が忙しいらしく後ろを向いていた。残念。まあいいか。
しかしながら、レジに直行しなかったために惰性で店内を回ることになってしまったのはちょっとした誤算だった。不運に弄ばれているような感じがして気に食わない。誰もその実体を知ることができない何者かに目をつけられているような感覚すら芽生えてくる。思い通りにいかず、認められず、愛されず──そういう風に生きることを決められたこの魂に、一体なんの意味があるというのだろう。
いわゆる「持たざる者」ではなかった。むしろ持ちすぎていた。強い力と、美しい容姿──たぶん食べ合わせみたいなもので、致命的に組み合わせが悪かった。よく目立つぶん、必要以上に疎まれる。羨まれる。そうやって嫉妬も憎悪も敵意も、何もかもを一身に浴びて生きることになってしまった。
仕方ない、仕方ない──呪文のように、心の中で繰り返し唱える。過ぎたことはどうでもいい。今必要なのは、未来を見て今をやり過ごす精神力だ。だから、仕方ない。
今起きた小さな不運も同様にして通り過ぎようとすると、陳列された雑誌の見出しがふと目に留まった。
──運命の相手、教えます
普通の人間が見たら「くだらない」と一蹴するだろうか。少なくともみんながみんな飛びついたりはしない言葉ではある。運命の相手。
馬鹿馬鹿しいとは思う。それを唯一の希望にして探し歩いている自分すらも。
だが、それしか自分には残されていない。だからこう思う。雑誌に書いてあったら苦労はしない。……もしかしたら人間の心理も同じなのかもしれないが。
「…………」
くだらない、と一連の思考を一蹴する。何が正気の沙汰なのか、もはやわからなくなってきている。延々と同じ作業を繰り返すにも、精神は確実にすり減っていく。限界はすぐそこなのかもしれない。
少し落ち着こうと深く息をして、歩き出す。飲料類のガラスケースに映った自分の姿は、自分が知っているものと何も変わらない。赤い目、白い髪。決してそれだけでは「美しい」と判断されることはないというのに、僕の持つ「何か」が他者を狂わせる。一番狂うことを望んでいるのは自分自身だというのに、透明な板に映った自分の姿を見ても、僕自身は何一つ変わらない。募るのは理性を消滅させない程度の苛立ちだけで、何もかも壊してしまいたいという衝動さえもこの理性が飼い慣らしてしまう。身体が勝手に逃げ道を用意する。結果、衝動を発散させるためだけに手が動く。ガラスケースのドアを開けて、適当に中のものを手に取り、またドアを閉める。
その時だった。
「──────、」
前を向いたまま、瞠目していた。ガラスに反射する自分の姿。……の更に奥。現実の位置関係ならば僕の後ろ。遠い後ろだ。
視線を感じる。ガラスを介して目が合っているのではないか。そう錯覚するほど確実に、その相手はこちらに視線を向けていた。奇異の目に似て──そう、まるで僕の「本当の姿」が見えているかのような。
視線から逃れるように、慌てて棚に身を隠す。……といっても、たぶん気休めだ。身を屈めない限り、全身は隠れない。それでもいい。冷静になりたかった。
あの店員……思いがけず顔を見ることはできたが、ちょっと帰り際に会釈しようかなどと考えている場合ではなくなった。単純に万引き疑われたならまだいいが──どうせレジを通すことに変わりないのだし──悪魔の契約者という可能性もあるか。それなら僕の本当の姿が見えて、注目するのにも筋が通る。
けどな、と思い直す。それにしては「慣れ」というものが見受けられない。悪魔なんてみんな人間とは違う容姿だろうに。──魔力切れで本当の姿を晒してるとかでは……ない。もう一人の店員は何も変に思っていないようだ。気づいているのは片方だけ。
……まあいい。どうせレジには行かなければならないのだ。間近で見定められればそれで。
「あと、ショートホープを一箱頂けますか?」
例の人間が立つレジに迷いなく直進し、にこやかな外面でそう告げる。
「あ、はい」
意識的に避けているのか、目が合わない。不自然なほどと言ってしまえばそうだが、全体的に生気のないこの店員に関しては単にコミュニケーション能力がないというだけかもしれない。……その割には挨拶は丁寧というか、ちゃんとしていたけれど。……不思議な人だ。名札を見る。「まぶち」。本名だろうな、たぶん。最近は偽名使う人もいるとかいないとからしいけど。
名札を見ていると、だんだんと透けて見えてくる。魂が。命を燃やす炎の輝きが。すなわち意志のエネルギー。……魔力。
決して質がいいとは言えない。確固たる信念や前向きな希望よりも、ネガティブな感情を募らせやすいタイプ。意志が弱いというほどではなさそうだが、自分に自信は持っていない。そんなところか。……まあ、普通。あるいは普通以下。一般人だ。
──ならどうして。
悪魔は人間の世界に問題なく溶け込むため、表層に魔力を常時展開している。それを解除するのは契約を持ちかける際、「悪魔が現実に存在する」という証拠を示す時ぐらいだ。
だったらどうして見える。僕の本当の姿が。
……いや、違う。なんで「見せている」? なのか?
わからない。無意識に僕がこの人間に「見せている」のか、この人間が僕の本当を「見ている」のか。それはなぜ。なんのため。
──なぜ。
僕はこんなにもこの人間に興味を持っている? どうしてこの魂は歓喜に打ち震えている?
「こちらお釣りと……」
ふと我に返る。困ったように彷徨う目はどうしても合わない。
もう時間か。必要な会話もなしに見極めるのは、流石に難しかったらしい。
残念。まあいいか。煙草は黙っていてもすぐになくなる。
……だから。
「あ、ありがとうございましたぁー……」
また会いましょう。そう伝えるつもりで、笑顔で会釈した。最初にし損ねたぶんも一緒に。
ドアが開く。平和な電子音を背景に、僕は久方ぶりに心からの笑みを浮かべた。
──また会いましょう。
あなたが僕の求めている人だとわかるまで。
あるいは、あなたが僕を満たしてくれるまで。楽にしてくれるまで。
その時がくるまで、僕はあなたを離さない。
アイソレイション・エレジー 蓼川藍 @AItadekawa
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