岬にて
しらす
その背中があまりにも
「こんな高さじゃ死ねないぞ」
その少女に思わず声を掛けてしまったのはなぜなのか、自分でも分からない。どう見ても、声を掛ければその先数時間は面倒を見なければならない、そんな気配の漂う後ろ姿だった。分かっていたのに、痩せた細い肩も、海風に煽られる長い茶色の三つ編みも、呆然と日の沈む海に向かうセーラー服の背中も、私の足を引き留めて離さなかった。
「えっ、あ……そう、ですよね」
びくりと一瞬だけ肩を強ばらせ、振り向いた少女はぱちぱちと瞬きした。他に人が居ることに気づいていなかったのか、それとも声を掛ける者などいないと思っていたのか。
少女の目の前にはさほど高くないが、切り立った崖がある。その先に広がる海は、打ち寄せる波でどうどうと音を立てている。
振り向いた少女の顔に驚きが浮かんだ。と同時に、ほんのりと頬に朱が差した。
「でも、この寒さなら海も冷たいかな、って」
「まあ、そうだろうな。あ、いや……」
素直に同意してしまってから、しまったと思う。引き留めるつもりが、背中を押すようなものだ。
慌てて何か別の事を言おうかと思ったが、何も言葉が出てこない。ガシガシと頭を掻いていると、ふふ、と少女が笑う気配がした。
「変なおじさん」
「まだおじさんって歳じゃないぞ!」
いきなりのおじさん呼ばわりに、反射でそう声をあげると、少女は今度こそ声をあげて笑いだした。
「何があったのか、聞いてもいいか?」
「話してもいいですけど、つまらない事ですよ。きっとこんな話、よくある事ですから」
「よくあるつまらない事なら、死ぬほどじゃないだろう。お前さんとっては、死ぬほどの話なんじゃないのか?」
そう言うと、微笑んでいた少女の瞳が突然ふるりと震えた。そのまま顔に手をやり、口もとを押さえ、俯いた。
「お、おい」
あ、泣く。と身構えた次の瞬間、少女はくしゅんと小さなくしゃみをした。その瞬間、いつの間にかゴムが外れていたらしい長い三つ編みの先が、ばらりとほどけて広がった。
私は反射的に上着のボタンを外すと、急いで少女の背に着せかけた。寒そうだ、というのもあったが、風にふわふわとほどける波打つ髪が、なぜかとても目に毒な気がしたからだ。
「ありがとう、ございます」
顔を上げた少女は、素直に私の上着に腕を通した。細い体にはぶかぶかで、指先は袖の中だったが、その手の先を口もとにやると、少女はほぅ、と息を吐いた。
「よく考えたら、私、寒いのすごく苦手なんです。死ぬまで寒いのなんて、さすがに嫌ですね」
「おい」
ふふ、と儚く笑う少女に、ため息をつきつつも、私も何となく笑ってしまった。諦めなのか、安堵なのか、それとももっと別の理由があるのかは分からないが、少女の瞳はぼんやりとしていながら、私の瞳にきちんと焦点を結んでる。そして笑っている。少なくとも、今この場では。
「ジャケット、ありがとうございます。お兄さんも寒いでしょう?早く駅に戻りましょう」
「そうだな、ついでに熱いコーヒーでもご馳走するよ」
歩き出す少女の背にそっと手を添えて、私も踵を返した。海風はどんどん冷たくなってきて、上着のなくなった体には堪えたが、少女の背に当てた手の先だけがほんのりと温かい。
日は早くも沈み、辺りには街灯が灯りはじめていた。
岬にて しらす @toki_t
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