【3-26】 鱒のムニエル

【第3章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16818023211874721575

【地図】ヴァナヘイム国 (第1部16章修正)

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330656021434407

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「久しいな、お前1人で俺のもとに来るのは」

 扉の先に幼馴染の姿を確認するや、レオン=カーヴァルの青白い顔に喜色がさした。


 ブレギアの若君は、占領したウルズ城塞にて、旧城主の部屋を私室としていた。


 だが、ほとんど室外に出ていないらしい。デスクには未決の書類が山をなし、ベッドには読みかけの本が乱雑に置かれている。飲みかけのコップはあちこちに散見された。


「この度の戦勝、誠におめでとうございます」

 ケルトハ=ホーンスキンは、薄茶色の頭をわずかにかがめ、祝意を伝えた。


「ケル、堅苦しい挨拶はよせよ」

 若き国主は、旧友の単身訪問を心から歓迎しているようだった。しかし、言葉ほどに活力はなく、ひと方ならず憔悴しょうすいしているように見える。


「どうだ、一緒にメシを食べていかないか。今日は北の湖でマスが獲れたそうだ」

 そう言いながら、レオンは手を叩き、従卒たちに食事の用意を命じる。


 宿将と別れたあと、ケルトハは城壁の仕置きに手間取ってしまい、城塞主郭しゅかくへ足を向けた時には、陽が西に傾いていた。


【3-25】 御親類衆末席と宿老衆筆頭




 ケルトハとしては、少しだけレオンの様子をうかがうつもりだったが、夕食を共にすることになってしまった。でも、久しぶりに旧友と食卓を囲うのも悪くない、そう思い直す。



「新鮮な魚が手に入ってよかった。缶詰では味気なさすぎるからな」

 そう言いながら、レオンは淡水魚のムニエルにフォークをつきたてた。


 ブレギア軍は、西へ西へと旧ヴァナヘイム領を進軍してきた。その距離は、ブレギア西端の城塞アリアクから200キロ、首都ダーナからは700キロにものぼる。


【地図】ヴァナヘイム・ブレギア国境 第2部

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330668554055249



 輜重しちょう隊は、厳冬下の長大な荒野を走破するだけでなく、途中多くの山河も越えねばならない。自燃じねん、前線へは物資の補給が滞りはじめていた。


 最近では、羊肉の缶詰さえ兵士たちに行きとどいていないのだ。


 かろうじて届いたものも粗悪な加工が災いしてか、缶が膨張しているものが多く含まれている。もちろん、それらは中身が腐敗しており、食べることはできない。


「長期遠征により、我が隊も物資が枯渇しつつありますが、ほどなく本国から弾薬、食糧が届くようです」


「おう、そうか」


 トゥメン城塞発したブルカン隊が、間もなくリューズニル城塞に到着する。途中、首都・ダーナ、次いでアリアク城塞にて、これまでにないほどの輜重隊を率いて。


「はい。トゥメンにてラヴァーダ宰相が、アリアクにてドネガル将軍が、それぞれ調整に動いてくださっている模様です」


 それにしても、さすがはラヴァーダである。


 はるか東端、トゥメン城塞にてシイナ国と駆け引きしながらも、旧ヴァナヘイム領遠征軍の窮状を耳にするや、補給物資を調達し、西の戦線へ送り届ける算段をやってのけたのだという。


 戦力的にブルカン隊は、トゥメン城塞の主力であったはずだ。それを割いても、シイナ国軍にこれ以上侵攻させないとの目途がついたのだろう。


 自国の名宰相の健在ぶりに、ケルトハは自信と安堵が同居する想いであった。だが、旧友の感情が、自分と同じように安直ではないことも知っている。


「……ッ」

 湖魚のバター焼きを上機嫌に口に運んでいたレオンだったが、ラヴァーダの名を耳にしたとたん、その金色の眉を歪めた。


 そして、舌打ちとともに宰相の名を小さく吐き出したのを、ケルトハの耳はかろうじて聴き取れた。



 簡素な食事を終え、粗末な果実酒を酌み交わしながら、若者同士の会話は続いていた。酔いが回るとともに、2人の間に敬語や命令口調はなくなっていく。


「春が過ぎたら、また兵を出す」

 レオンはつぶやいた。葡萄かすの付いたグラスを見つめながら。


「もう十分な戦果を上げたじゃないか」

 ブレギア軍は、ヴァーガル河で帝国軍を打ち破り、スキルヴィル、ハウグスポリ、フレーヴァング等諸都市を平らげている。さらにリューズニル、そしてこのウルズと主要城塞まで相次いで陥落せしめた。


 しかも、それらをわずか5カ月間で成し遂げたのである。


再掲:【地図】ヴァナヘイム・ブレギア国境 第2部

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330668554055249



「……まだだ。まだ足りぬぁい」

 レオンは酒に弱い。頬から額まで朱色に染まり、呂律ろれつが回らなくなり始めている。


「俺なりのやり方で、ブレギア国主として認められてみせる。ケルの親父さんや、老人たちに――」


「……」

 気のおけない友にだけ見せるも、この小節にくると終曲が近いことをケルトハは知っていた。思っていることを早く旧友に伝えねばならない。


「ザガスを見殺しにした父やラヴァーダを、俺は1日も早く超えなきゃならないんだ……この城の者たちが……かばれん……」


「そのことなんだがな、レオン」

 ケルトハが口を開いたとき、レオンの手から果実酒の入ったコップが倒れた。


 ――遅かったか。

 様子うかがいの目的を果たせなくなったことを察し、ケルトハは溜息をついた。


 いつもは酔い潰れるまで、もう少し余裕があるはずなのだが。戦い抜いた5カ月間で、若き国主は、よほど心労がたまっていたものと思われる。


 テーブルに突っ伏して寝息を立て始めた幼馴染に上着をかけながら、ケルトハは昼間の老将軍バンブライの言葉を脳裏で反芻はんすうしていた。



 少の犠牲を多に優先なさる危うさ……10年以上前にも同じように。


【3-25】 御親類衆末席と宿老衆筆頭

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16817330662311674456




【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


偉大な国主の跡継ぎというのも大変なんだな、と思われた方、🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


ケルトハたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「間断なき再出兵」お楽しみに。


「将軍たちの言いたいことは分かった」


宿老4人——バンブライ・ブイク・ナトフランタル・ブルカンを前に、レオンは椅子から立ち上がりもせず、足を組んだまま続ける。


「だが、戦いには機というものがあるとは思わぬか。ヴァーガル河では、叔父上がそれを掴み損ねたからこそ、卿らを危地に陥らせた。そして今日、その機をつかんでいる我らは連戦連勝を重ねることができている」

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