【3-12】 降将の悲哀

【第3章 登場人物】

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【地図】ヴァナヘイム国 (第1部16章修正)

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 ウルズ城塞を囲んだまま、ブレギア軍は手が出せず、1週間が過ぎようとしている。


 攻め手が決定打を欠いたことで、戦場を静寂が支配していた。


 城塞守備兵たちは、凍てつく土嚢どのうの向こう――そこかしこで小さな焚火を起こし、タバコを回し飲みしている。さも旨そうに。


 ブレギア兵たちは大鍋に凍った馬乳酒を入れて火に当て、解凍してはとやっている。さも大事そうに。しかし、ものの数分でコップのなかの乳白色の液体は、再び凍りはじめた。



 ブレギア軍総司令部の置かれた天幕にも寒風が吹きつけていた。大帥旗も飛雪にはためき、濃紺の地に描かれた金色の馬も凍えている。


 燃料となる羊糞ようふんが少ないのだろう――天幕内は冷え冷えとして、それでいて重苦しい雰囲気に包まれていた。


 帝国軍の後詰ごづめを率いた総指揮官が、防御陣構築に一枚かんでいたことを、ここに至りブレギア軍もつかんでいる。情報源は新聞各紙の報道というお粗末な事情であった。


 だが、そのような情報を得たところで、ブレギア軍の事態好転にはつながらない。今回ばかりは、帝国陸軍大将・ズフタフ=アトロンの置き土産の前に、手も足も出せないでいる。



 いよいよ、ブレギア領内では、牧畜と麦作が繁忙期を迎えようとしている。


 撤退までのリミットが過ぎたいま、ブレギア軍は攻め手の糸口が見つからない城など、諦めるべきだろう。


 御親類衆と宿老衆は、珍しく一致した見解のもと、先代国主の遺児に視線を向ける。



「……ラヴァーダは3週間だったな」

 周囲からの視線を気にする様子もなく、レオンは白い息を吐いた。


「は?は……」

 突然の若君のつぶやきに、宿将・ナトフランタルは、返答に詰まった。


 かつてウルズ城塞を攻撃した折、ブレギアの名宰相は城の弱点をいち早く見抜き、水源を断つことで降伏せしめた。わずか3週間という電光石火の出来事であった。


 一方、レオンは攻撃を開始して1週間が過ぎようとしているのに、水道橋に近づくこともできないでいた。


 ブレギアの諸将は、煉瓦造りの水道橋を見やっては、そこを流れている流水が氷結することを祈っている。しかし、橋中を通る配管は、要所要所で暖気が当たるよう設計されており、そのような期待も望み薄だろう。



 レオンはそのまま黙して語らず、若者と老人のやり取りはそれだけだった。


「……」

 若き主君の背後に立つ筆頭補佐官・ドーク=トゥレムは、その様子を鋭い視線で眺めていた。



 日没後、寒風は鳴りをひそめたものの、覆い被さるような冷気が、辺りを支配している。


 その夜、ハウグスポリ、スキルヴィル、それにフレーヴァングが、トゥレムの陣幕に呼び出されていた。


 3名とも国境付近を領していた旧ヴァナヘイム国人であり、先のヴァーガル河の会戦後、ブレギア軍に降伏した者たちである。


【地図】ヴァナヘイム・ブレギア国境 第2部

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330668554055249



 補佐官独自の軍服と同様に、黒と銀を基調にした調度品に囲まれ、旧ヴァナヘイム辺境領の者たちは、どうにも落ち着かなかった。


「卿らにお越しいただいたのは、ほかでもない」

「「「はっ」」」

 3人ともトゥレムに頭を下げたが、警戒の色を薄めていない。


 ヴァーガル河会戦後、軍事面の主導権を握った若君・レオン――その筆頭補佐官は、実質この国のナンバー2といえる。


 この癖のある黒毛に瘦せぎすな男の冷徹ぶりは、内外に広まりつつあった。下手なことを口にすれば、どう揚げ足を取られるか分かったものではない。



「私としては、卿らを厚く遇したいのだが……良からぬ風聞が横行しておりましてな」


「良からぬ風聞……」

 トゥレムの言葉をフレーヴァングが復唱する。


「さよう。卿らが再び帝国側に走るのではないか、と」

 筆頭補佐官はよどみなく言い切った。


「そんな」

「我らが寝返るとでも」

 ハウグスポリ、スキルヴィルが一斉に反発する。


「卿らの大切なご子息、ご息女は、我が国の首都ダーナでの生活を始められている。私としては、そのような根も葉もない噂、取り合うつもりはない」


 トゥレムは両手を拡げ、降将たちをなだめつつ続ける。


「だが、総司令部では、ジャルグチ閣下などが、卿らを作戦を組み込むことに反発なさっておられるのだ」



 筆頭補佐官は、怜悧な光をたたえた両目を下げ、さも「不憫な」という表情を浮かべている。


 彼らは、国境の領土をめぐって、ブレギアとは先代国主の頃から何度も剣を交えてきた。ブレギア領民から疑惑の目を向けられても致し方ないだろう。


 だからこそ、先日、トゥレムに命じられるまま、彼らは子どもたちをブレギア首都に差し出したのである。だが、人質程度では、疑惑の塊は氷解しないということか。


「そ、そんな……」

「帝国は、我らの祖国を滅ぼした敵」

「ブレギアの皆様に受け入れていただけなかった場合、我らは行く場所がありません」

 降将たちの悲哀を帯びた叫びが続く。


 彼らは、それぞれ血族を抱えている。己が身だけの安泰を図ればよいというわけにはいかなかった。


 祖国ヴァナヘイムは滅ぼされ、祖国の仇帝国に捨て駒のように扱われた。降伏した旧敵ブレギアにも疑いの目を向けられたままでは、一族もろとも荒野を彷徨さまようことになるだろう。



「何とか、良からぬ風聞を一掃する機会をいただけないでしょうか」

 フレーヴァングの最後の一言に、トゥレムは満足そうにうなずいた。





【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


知恵者という一面だけでなく、したたかな一面ものぞかせた筆頭補佐官・トゥレムが気になる方、🔖や⭐️評価をお願いいたします

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レオンたちの乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「同族同士の肉弾戦」……。


「うろたえるな!これまでどおり、ブレギアの連中を引き付け、野砲で粉砕しろ!敵が乱れたところを、銃兵が狙っていけばよい」


土嚢どのうの狭間では、城塞防御指揮官・ビフレストが揉み上げからあごにかけての立派な髭をいからせ、だがあくまでも冷静に命じていた。


しかし、戦闘途中で斥候兵から手渡された潜望鏡で、寄せ手を確認した際、彼は思わず沈黙した。


たちまち、銃剣で顔面や喉を突き合い、サーベルで相手の腕を切り落とすなど、凄惨な白兵戦が始まった。

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