第3話 歪な戦場

 何故!?

 最初に思い浮かんだのは疑義と不審、そして戸惑いだった。


「右に旋回機動!」


 ロックオン・アラートによって白紙に戻された頭の隅の理性が叫んで、ヴィクトリアはやっとの思いで声を張り上げて操縦桿を右に振り切った。

 間近に感じる死の気配。嫌になるほど静かなこの真空で、自らの心臓と肺のボルテージがコクピットを満たしてゆく。


『レーダーに反応がない、一体どこの誰だ!』


 彼女は加速していく呼吸のリズムに悪寒が走った。

 はっはっはっは!と異常な息遣いに異常と気づかずに。けれどもローリングに耐えながらも彼女はしかと見た。


「大尉っ…!無人機です、着装された無人真空機動軽戦闘機エンガルフが!」


 真空機動軽戦闘機エンガルフ、殊に彼女たちの駆るルナダガーは戦闘支援用の無人攻撃機をドッキングしている。多角的な戦闘と疑似的な僚機の再現で、非常に高度な人工知能を積んだものである。


 ハウンドドッグ機の鏃のような機体の上面と下面から、黒色の何かが分離すると煌びやかな推進器を起動させ、流れ星のような光の糸を描き出した。


『コントロール…応答なし!えぇい、してやられた!』


 ハッキングか、細工か、なんにせよ彼女は全身が冷や汗に漬かるような気持ち悪さを感じる。


「あの微弱な振動の正体はこれか…!」


 何しろこんな状況は初めてで、脳裏に浮かぶのは緊迫と胸の高まりのみ。絶対的な機械のパートナーが敵性行動を見せるなんて想定すらしていなかった。


 そして一つ、戦いの火蓋が切られた。

 不穏の陰に吹き飛ばされないよう、強く操縦桿を握ったまま喉をごくりと鳴らしたその時に、破壊の雷を報ずる電子音が耳を劈いた。


「なっ……! 宙対宙誘導弾ミサイル!?」


『回避しろカリバーン! ハウンドドッグもロックオンされた、何者かによるジャックと想定して緊急発砲許可だ!』


 だが彼らはプロであった。鋭い一喝とアラートに彼女は現実に引き戻され、細く息を吹いたかと思うと、目まぐるしく思考を回転させる。背面の状況を確認しながら、彼女はとあるスイッチに手を伸ばす。


「パーフルオロカーボン・インジェクション。カリバーン、戦闘機動形態アサルトモードに移行!」


『同じくインジェクション、ハウンドドッグ戦闘機動形態アサルトモード


 無重力とはまた違う浮遊感が肉体を支配する。コクピットに生温い肌触りが這いよって、ポンプとフィルタの駆動音が伝う。


 パーフルオロカーボンとは、いわば液体呼吸用の特殊な液体である。彼女らパイロットの肺と心臓に施された人体改造は肺腑と血液に人工的な酸素の溶けた液体を流し込む。ただなにも、溺れさせるわけでは無い。


 ヴー…と脇に電気的なテンポが二つ沸いた。彼女らのあばらには効率良く液体と気体を交換する小型ポンプが埋め込まれている。


 液中に溶けた酸素が彼女の体を隅々まで満たすメカニズムで、宇宙空間の高速戦闘において今の時代に必要不可欠である。胸の中が重くなるような、鉄球を飲み込んだような違和感に思わず噎せ返りかけた。


 しかし何も呼吸方法を切り替えるわけではない。今や水槽のようにコクピット全体に満ち足りたそれは彼女の体を加速から守る鎧となる。


 例えば空気抵抗のない真空では途轍もない速度の実現と維持が可能で、それは加速度という形でヴィクトリアの肺の空気を圧迫し、脳の血液を押し潰す。けれどもそうならないための液体呼吸で、人体改造だ。


 瞬時にうがいに似た浸透適応行動を取ると、カリバーン機を急旋回機動させた。


「フレア投射」


 木片が高速で打ち合わされたような軽い連続音が液体を伝って彼女の耳に届く。誘導弾の照準を狂わせ欺瞞し、戦闘機の被撃墜を免れる為の金属片の盾だ。幸い距離が空いていた為、幾ばくかの距離で爆発した事をサブディスプレイが伝える。


 慣性と推進方向に苛まれながら更なる加速を自機に命ずる。背中をぴったりシートに付け、フットペダルを無理やり押し込む。エンジンの唸りと鼓動が大きくなり体にかかる加速度圧力が跳ね上がる。


 計器には20Gとあった。常人どころか、前世紀の訓練された宇宙飛行士でさえも耐えられない圧力。流石の全身に細工された身体改造に加え、肺を液体で満たしているヴィクトリアにとっても長時間は耐え難い。


「く…ああぁ!」


 機体の振動も共鳴するように煩くなる。ぽつぽつと小さな気泡が生まれては背面に流れて行く。


 戦闘機動形態アサルトモード巡航警戒形態クルーズモードとは異なる加速上限の解放に加え、独立した人工知能による戦術サポート。確かな強化だが、彼女にとっては鋭いだけの枷にしか見えなかった。


 セオリーをなぞるように回避機動を無作為に展開し、その度にかかる横殴りの圧力を何とか乗り越えながら彼女は必死に無人機を引き剥がそうとした。


───何故追ってきている?


 アトモバス411便の乗客が狙いなら、最初から人命の勘定の無い無人機を使い潰して自爆特攻なりなんなりすれば確実な破壊と殺傷を促すだろう。


『背後に2機に着かれている、注意しろ!』


「っ、了解!」


 いや、気にしている場合では無い。雑な気の回し方をすれば堕とされるのは自分の方だ。


 現在の所無人機はカリバーンとハウンドドッグにしか目がないように見える、けれど目的は単なる1パイロットの命とは思えない。散らかった目的を縛り束ね上げる。


 まずは合計4機の暫定敵機を撃墜する。話と対応はそれからで、生きる為の最も適した手段だ。


「ピッチ回頭……宙対宙誘導弾ミサイル………!」


 メイン推進器のパワーを一時停止、機体を彼女から見て上方に回転させて慣性のまま進みながらも機首を追跡者に向ける。ミサイルオペレーションが起動し、ポインタが正面に踊り狂う無人の亡霊共を追尾する。


 遙か遠方にぼんやりと浮かぶアトモバスの巨大な船体と、ハウンドドッグ機とそれに追従するような加速の光を捉えた。こんな歪な戦場だと言うのに、不穏を煽るのはロックオン・アラートだけで、右も左にも散りばめられた星の海に一瞬心奪われるも。


 かち、と軽い音がトリガーの安全装置の外れた音を奏でる。


 宙対宙誘導弾、元より地球で空対空誘導弾として扱われていた概念は真空でも通用する。敵機を把握し、体当と自爆を仕掛ける中型のロケットミサイル。


 測距レーザーと照準レーザーをフル回転、確実な朽ち果ての未来を見据えてじっと後方へ機体を進ませ続ける。


 ピッ「投下!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アルトリウス戦線記 OOO @Itose_Q

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ