第2話 軋む命運

『ブリッジより第306護衛群、アトモバス411便が量子航行クォンタム・スキップを開始。護衛群全機の発艦を許可します』


 暗闇に光る灯火のように、計器類とスイッチが発光し始めた。正面の黒い壁に光の罅が入ったかと思うと、瞬く間に実現ディスプレイに切り替わる。


 燃料温度、機体温度、主機稼働率、量子電荷量、重要な項目を一つずつ念入りにチェックし、必要とあらばステータスボードのキーを摘まんで最適な状態へと仕上げる。


「起動シークェンス、最終確認」


 微弱だけれども確かな振動が機体ないしコクピットに走り、まるで生き物の腹にいるような錯覚をした。


 彼女、ヴィクトリア・カーターは一つ深呼吸を打ち、操縦桿に手をかけた。冷たい金属の棒を強く握り締めると、自然と鼓動が高鳴り不安と緊張が最高潮に達する。


『ブリッジより第106護衛群のコールサイン・カリバーンへ。カタパルトスリー・クリアードフォーテイクオフ』


「……了解。カリバーン機、クリアードフォーテイクオフ」


 小さな電子音が発進許可と、前方に長く続くカタパルトレールを示した。

 吸って、吐く。この世に生まれ落ちてこの方続けてきたプロセスを今一度強く繰り返した。小脇に光る電磁レール起動用のボタンを勢い良く押す。


「ぐ……!」


 どっ!と全身に殴られたような、凄まじい後ろ向きの圧力がかかり、瞬寸の間呼吸が止まる。身体中が悲鳴と苦痛を訴え背中がシートに打ち付けられ、それでもヴィクトリアは確かな光を持った瞳で正面を見つめる。


 超電導リニアレールは彼女の宇宙艇───真空機動軽戦闘機エンガルフを加速させ、星々散らばる彼方への1歩を後押しする。レール脇にある誘導灯が凄まじい速さで後方へ流れ、やがて衝撃と浮遊感が発艦を報せる。


 一つ間を置いてゆっくりと首を回せば、宇宙に浮かぶ宇宙艦艇の母艦が陰に沈んでいて、シグナルとナビゲーション・ライトの煌めきが重なって見える。

 しばらくの間世話になった艦載機キャリアー、ウラジミル級艦艇母艦スペースキャリアーに一瞥を寄越すと、ヴィクトリアはステータスボードに目を戻した。


「……カリバーンよりブリッジ。機体、着装無人機共に問題無し」


 ヴィクトリアが操縦桿を握り、また彼女の一部となっているのは真空機動軽戦闘機エンガルフ。槍の穂先か、はたまた鏃を切り取ったような形の宇宙船である。

 当然、開発経緯は至ってシンプルで、人類の八割が無重力か地球以外の重力に浸かる今でも武力への固執を辞められない事にある。


 実際ヴィクトリアも戦争や紛争自体は毛嫌いしていたが、彼女はパイロットで、今は任務中。操縦桿を固く握る理由はそれで充分だった。

 先行する友軍機の吐き出す、青白いホールスラスタの噴流が糸を引き、一種の飛行機雲を彷彿とさせた。


 と、搭載された人工知能が電子の言葉を綴る。


―――相互リンク、接続。


『…こちらハウンドドッグ、カリバーン機に問題はないか』


「カリバーン、異常なし」


 彼女は定形の挨拶を返し、前方の僚機を一瞥するとフットペダルを更に踏み込んだ。


 茫漠たる闇を突き進む宇宙艇の勇姿は、永遠と思われる影を切り開く光の矢にも見えた。詳しくを、月面産第2世代真空機動軽戦闘機エンガルフのルナダガーと言う。


 太陽系、アルトリウス系問わず人類の活動圏である大枠、人類存在圏に広く普及し主に民間軍事会社や警備会社に多用される宇宙艇である。

 かくいうヴィクトリアもアルトリウス系を市場とする民間軍事会社の一員であり、現在敢行中の警護任務も良くある仕事の1つだった。


『なに、いつもの警護だ。無駄な肩の力を抜いておけよ中尉』


 通信の向こう側から馴染みの軽口が飛んできた。

 今後2日間、警護任務を同じくするハウンドドックこと見知った人物である。


「分かっています。でも大尉はもっと緊張したほうが良いんじゃないんですか?」


 少し口を尖らせてこれまた大仰に返すと、控えめな笑いが作戦リンクに広がった。何度もツーマンセルを組んだ相手であるが、彼女にとっては至極やりやすかった。


 気のいい頼れる上司というには少々おちゃらけた気概を持った人物だが、それもまた親交の良い起爆剤となっている。なんにせよ、彼女が対人関係で困るような人物ではなかった。


『48時間後には重力にありつけるんだ、口笛を吹きたい気分だよ』


「その軽口、アルトリウスまで持つといいですね」


『これは手厳しい……さて中尉、仕事にとりかかろう』


 他愛もない会話を低いトーンで断ち切ると、ディスプレイにシグナルが追加された。


───アトモバス411便、量子航行終了


 どっと湧いた光が空間を埋め尽くすと、青白い閃光がコクピットを抱き込んだ。人工的なフィルタ機能によって抑えられた眩しさに、それでもヘルメットの奥でヴィクトリアは目を細める。


 彼女にとっては何度も目にした、量子航行クォンタム・スキップに伴われる燐光である。最終段階でかなり減速しているとはいえ、淡い衣を纏った白胡麻のようなものが急激に大きくなった。


「アトモバス411便…」


 湧き上がった小さな私情を抑え込むと、彼女は両手でグリップ倒し旋回機動を取った。

 旅客船アトモバスは外見は19世紀の飛行船にも似ていた。母なる海に居るとされた白鯨にも見えるそれは、側面に無数の窓を貼り付けて悠々と宇宙の空を泳ぐ。


『フルムーンセキュリティ第306護衛群よりアトモバス411便、今よりアルトリウス星系ポートゲート付近まで警護を担当する』


 無線に先程の軽い調子が嘘のような、神妙なハウンドドッグの声が響いた。彼女らにとってはいつものアナウンスで、最早聞き飽きたと行っても良い。


 仕事の一環として聞き流そうとした時、彼女は一つ小さな違和感を覚えた。

 微かに───ほんの微かに不自然な振動をヴィクトリアの勘が捉えた。


「…?」


 機体のトラブルシューティングの実行ボタンに手をかけた時、またハウンドドッグも疑問を上げた。


『……アトモバス411便、聞こえるか』


 2隻の流星は白く巨大な船体を挟んで併走を始める。彼女は巨大なクルーザーの両翼に位置するように、規定のポイントへ移動する。


「ハウンドドッグ?」


『おかしいな…無線が故障しているかもしれん』


「量子通信はどうです?」


『待て……使える。だが相対距離が短すぎるな』


 ヴィクトリアは困惑して眉を寄せた。脳の内側でぐるぐると疑問符が渦巻いた。ルナダガーに搭載された通信装置は無線式と量子式の切り替え型であった。前者は短距離用、後者は長距離用として場合によって使い分ける。


 操縦桿から手を離し、機体状況のチェックを始めたヴィクトリアは続いて戦いた。


「待ってください大尉…ウラジミル級のブリッジも反応しません!」


『なんだと?……まさか!』


 つまりはアトモバス側の故障では無く、カリバーン機とハウンドドッグ機の問題ときた。そして通信装置は無事、ただそれが繋がらないとなると導き出される彼女らの結論は───。


『通信ぼうが』ビー!!


「っ!カリバーン、ロックオンされた!」


 どこか遠い所で、運命の歯車が狂う音がした

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