桃源郷ー3

『あれは、妖狐の木蓮ではないか?』

『すでに死んだと聞いたが』

『いやいや下界で隠遁生活をしているのですよ』


木蓮についてのヒソヒソ話で議場があふれた。

木蓮はというと相変わらず飄々とした笑みを浮かべ、犬の散歩でもしに来たような気軽さで議場に入って来た。


「一体何をしに来たのかね?」

木蓮よ、と議長が溜息まじりに尋ねる。


「私はこの瑞穂さんがここに来ている間、彼の家で留守番を仰せつかっていたのですが、そこに泥棒が現れましてね。ただ捕まえてみると、これがまた面白いことを言うのです。ぜひ皆様にも聞いていただこうと思って、ここに連れて参りました」


木蓮がくいっと手を動かすと、仮面鬼たちは、議場のど真ん中に引きずられるように移動した。


「俺たちは、悪くない! そいつに依頼されてやっただけだ」


仮面鬼が署長を指さす。


「何を依頼されたんです?」

木蓮が仮面鬼に問いかける。

「そこにいる神さんの家にある薬を取ってこいと」

「他には?」


仮面鬼は一瞬ためらったのち、口を開く。


「他に依頼された仕事は、神堕ちの誘導だ」


議場は騒然となった。


「神堕ちをどこに誘導したんですか?」

「刀根沼、御古九谷、タマナノミコト…そこの神さんも」

瑞穂は仮面鬼と目が合った。

「神堕ちは誰から手に入れたのです?」

「俺たちは廃神社で神堕ちを受け取っただけだ。顔を隠してたから誰かは知らねえ。でもそこにいる鼠はいた。匂いで覚えてる。ほんとだ、俺たちは嘘は言わねえ。だから、もう許してくれ」


仮面鬼は霊力の高い妖だが、あまり知能が高くなく基本的に思想などをもって行動する妖ではない。たいていは、その高い霊力を活かして危ない仕事を請け負い生活している。


そんな仮面鬼が身を震わせていた。


木蓮は絶えず微笑みを崩さなかったが、彼らを見下ろす目は全く笑っていなかった。


「木蓮。もうよい。よく分かった。署長の身辺を調査し、後日改めて尋問にかけるとしよう。皆もそれでよろしかろう?」


署長の顔は醜く歪んでいた。爪が食い込みそうなほど硬く握った拳は小刻みに震えている。


「わたくしは何も悪いことは行っておりません」

「話は調査の結果を踏まえて――」

「いいえ。わたくしは調査などされる謂れはございません。わたくしは…ただ、この世のことを思って、志高く行動してまいりました」


「罪のない者を陥れることが世のためなのか?」

瑞穂は自分でも気づかぬうちに声がもれていた。


「罪のない? 罪のない者だと?」

署長は急に大声で笑い、天を仰いだ。


「お前のような神は、存在自体が罪だということが分からないのですか? おまえは神でありながら何をしているのです? 妖の治療でしょう。なぜ人を救おうとしない。しかも風が吹けば消えてしまうような弱い妖ばかり。弱者は淘汰されるべきなのです。それが自然の摂理で、世が正しくあるための自浄作用」

「だが君だって、弱い女性たちの支援をしていただろう。弱者は淘汰されるべき、というのなら、なぜ女性たちを助けていた?」

「女性は弱いものではない。お前たちが、『弱いもの』として蔑んでいるだけだ。弱い儚いといって、鳥かごに閉じ込められれば、鷹とていずれ空を飛べなくなる。わたくしがしているのは、その鷹を空へ解き放つこと。女性たちが本来の強さを発揮できるように支えることだ。だがお前は、消えるべきクズまで救って自己満足にひたっている」


「それは違う!」

ヨシノモリが声をあげた。

「彼のしていることは、けっして自己満足などではない。少なくとも我は、瑞穂殿のおかげで救われた」


署長はヨシノモリを憐れむような目で見た。


「しかし本来、神は人を救うものです。皆様方もおかしいとは思いませんか。なぜこのようなものが神でいられるのでしょうなぜ、彼が神で、私は…私はどうして神になれない。この身も心も、世のために全て捧げてきたというのに」

署長はまた天を仰いだ。


瑞穂は自分がどうして神になったのか、今でも分からなかった。分かるはずもない。自分が生まれてきたことの理由を知るものなどいないのだ。

だから我々は、生まれてから、理由を探す。

理由があって生まれるのではなく、生れてからその意味を探しはじめる。

それが生きるということではないのか。

なら――。

「おれは不完全で、自分が神として生きる意味なんてないんじゃないかと思ってた。でも、足りない部分は周りに助けてもらっていいんだって気づいたんだ。だからおれは、誰に何と言われようと、妖を癒す。それがおれの生きる意味だから」


署長は声高らかに笑い出した。


「さすが間抜けな神の言うことだ。私の立場でも同じことが言えるか? 女鼠が監督署の署長になることが、どれほど過酷な道か、お前には想像もできないだろう。女の鼠など、子を産むことしか能がないと思われている。誰も期待しない、誰も助けてくれない。周りは足を引っ張るどころか、切り落としに来るような奴らばかりだ。私は、どぶの水をすするような思いでここまでやってきた。そうやって、ここまで登りつめた。それを、お前のような神に…」


今にも瑞穂に飛びつかんとする署長の前に木蓮が立ちはだかる。


「私は、あなたのような女性、好きですよ。私の妻も皆様ご存じのとおり、人でありながら天界で絵を売るような強いひとでしたし」


また議場がざわめく。木蓮はわざと神々の好奇心をくすぐって遊んでいるのではないかと思う。


「ですが、あなたが嫌っている者とあなたは所詮、同じ穴の狢。あなたが、女鼠としての運命に苛まれたように、あなたもまた、瑞穂さんに神はこうあるべきという運命を押しつけているのですから」

「違う! わたくしは!」

「もうよい。やめよと言ったであろう。そなたは、調査が終わるまで鉾神のところで身柄を拘束することとする。申し開きがあるなら、尋問会で述べよ」


署長は鉾神に連れられ議場から去っていった。去り際、彼女は絶対に瑞穂と目を合わせようとしなかった。


「おつかれさまでした」


集まった神たちが議場から去ったあと、残った瑞穂たちに木蓮が言った。


「署長さんどうなるのかな」

楓がつぶやく。

「署長の任を解かれるのは間違いないでしょうが、そのあとは神様方の気分次第でしょうね」

「署長と一緒に神堕ちを持ってきた奴らは何者だったんだよ」

「さあ、それは分からない」

「もしかして、本丸の署長も関わっているのかしら」

「それはないでしょう。今回の件、神様に利はありません」


だが、神堕ちを署長に与えた協力者がいるはずである。鼠の妖が神堕ちほど強力な魔物を扱えるとは思えない。ましてや調教するなど――。


木蓮は仮面鬼のもとへ向かうと縄をほどいてやった。

「なんで逃がすんだよ」

「彼らはあれ以上、情報を持っていない」


またいずれ利用できる時もあるだろう、と木蓮は一目散に逃げていく仮面鬼たちの背中を見つめて言った。


「では私は帰りますね。そろそろ揚戸与が限界でしょうから」


寺の子どもたちは揚戸与に預けていたらしい。


「ありがとう、木蓮」


今回監督署の署長の悪事を暴けたのは、木蓮の協力があったからだ。瑞穂たちだけではおそらくかなわなかった。


「まだ貸しが一つ残っていること、忘れないでくださいね」


木蓮は国を傾けそうな笑みを瑞穂に向け、去っていった。

監督署の署長などよりずっと厄介なものに目をつけられてしまった、と瑞穂は思う。


「おれたちも帰ろうか」


最寄りの鳥居から瑞穂たちは下界に降りた。



下界はちょうど、黄昏時。

夕陽がすべてを赤く染めていく。

いつかの憧憬がにじむその光は、まだ瑞穂の心を締めつける。

でも――。

と、瑞穂は診療所の扉を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神のあやかし診療所 奏汰あきゅう @akyu_2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ