桃源郷ー2

瑞穂たち一行は雨音が乗ってきた提灯小僧の車に乗り込んで、最寄りの神社に向かっった。


「天界に行ったら、まず緊急集会の招集をかけて欲しいんだ」


雨音は、天界の神が集まる常会に参加しているため、招集の権限がある。


「招集はもうかけたわ。ここに来る途中、鶴が文をくれて――」


雨音が持っていた文は、木蓮の筆跡だった。診療所に戻った鶴から、瑞穂たちが証拠を見つけたことを聞いたのだろう。


「文の内容を信じていいか悩んだけど、鶴があまりにも必死だったから」


信じてみることにしたの、と雨音は笑った。

雨音と木蓮は面識がないはずである。鶴に文を運ばせたのは、自分が行くより雨音が警戒しないと考えたのだろう。

とすると、瑞穂が祟り屋敷にいることを、蘭から雨音に告げさせたのも、木蓮なのかもしれない。

でなければ、蘭が心配性の雨音にわざわざ危ない屋敷に瑞穂が向かったと言うだろうか。


そもそも――。

(おれを祟り屋敷に行かせたのだって不自然だった)


神堕ちをいとも簡単に祓ってしまえる木蓮なら、祟り屋敷から楓とゴンを助け出すことなど難しくなかったはずだ。それでも瑞穂に行かせたのは、雇用主として二人を自分の手で助けてこい、という意味なのだと思っていた。

もちろん、その意味もあっただろう。だが、彼は最初から祟り屋敷に「何かある」と踏んでいたのではないか。

それを瑞穂に見つけさせ、蘭をつかって雨音が瑞穂たちに協力するように仕向る。そして天界の神々を集め、瑞穂たちに署長の横暴を暴露させる。


それらを木蓮がやってしまっては意味がないのだ。瑞穂が、瑞穂たちが自ら、己にふりかかった問題を解決することに意味がある。

木蓮は何だかんだ言ってもゴンのことを大事に思っている。そして、瑞穂には「貸し」をつくってまで

何かさせたいことがあるのだ。だから瑞穂が診療所を続けられるよう、続けたいと思えるよう仕向けた。

瑞穂が祟り屋敷に赴いてからここに至るまでの一連の出来事が、木蓮の書いた筋書きだとしたら、全てが腑に落ちる。


そう考えると、鶴が嘆願書を持ってきたのは、はなから三人を監督署に行かせるためではなかった。天界へと向かう瑞穂たちの士気をあげるためだったのだ。可哀そうに鶴はとんだ遣いっぱしりにされたわけだが、あれで瑞穂たちの気持ちが高まったのは間違いない。

(まったく…)

食えない狐である。


山間の集落にあった小さな神社で提灯小僧の車を降り、その神社の鳥居を拝借して、瑞穂たち一行は、天界へと向かった。


桃源郷と呼ばれる広大な庭園で、神々の集会は開かれる。


瑞穂たちが庭園の中に入ると、そこはまさに桃源郷と呼ばれるにふさわしい景色が広がっていた。

花が咲き乱れ、清らかな川には宝石のようにきらめく魚たち。

その圧倒的な美しさは、つい目的を忘れるほどだ。


「あそこに神たちが集まってるわ」


雨音が指さしたのは湖に浮かぶ東屋だった。東屋といっても、瑞穂の診療所の敷地よりもさらに大きい。

瑞穂たちは長い桟橋を渡って、その大きな東屋へと歩みを進める。

桟橋から覗く湖の水は、驚くほど透きとおっているが、底は見えない。ゴンが湖に吸い込まれそうになるのを楓が掴んで引っ張り上げていた。


東屋に着くと、すでに天界に住まう神々やその神使たちが集まっていた。

錚々たる顔ぶれだったが、その中にあろうことか、妖雇用監督署の署長である甲子がいる。


瑞穂は驚いて雨音を見るが、雨音も眉をひそめて首を横に振る。

どうやら雨音が呼んだわけではないらしい。ではなぜ彼女がここにいる?

まさか木蓮が伝えたのか。


「やっと現れたか、水神よ」

彼が今日の議長よ、と雨音が瑞穂に耳打ちした。

「おぬしが緊急招集をかけるとは珍しい」

「して、我らを呼んだ理由は?」


雨音はその場ですっと背筋を伸ばすと、優雅に前に進み出た。顔つきが変わる。それは瑞穂が見たことのない、凛々しい雨音の姿だった。


「本日お集り頂いたのは、最近の妖雇用監督署について、お話ししたいことがあったからです」


穏やかな、しかし緊張感を感じさせる声だ。


「監督署、とな? 最近すこぶる検挙率が上がっていると聞いているが」

「その検挙が問題なのです。何者かが、故意に神とその神使を陥れ検挙している。つまり自作自演の疑いがあるのです」


議場が囁き声で満たされる。神々が、ちらちらと署長の様子をうかがっている。


「最近、神使が急に魔物と化したり、逆に神が神使を傷つけるなどの事件が多発していることは皆様ご存じでしょう」

「確かに近頃多いように思うが、それが監督署の仕業であると?」

「はい。正確には監督署の一部の者たちの仕業だと思われます」

「いったい誰の仕業だというのだ?」


雨音が署長の方に向き直る。


「監督署署長、とその取り巻きの者たちでございます」


今度はその場にいた全ての者が一斉に署長へと視線を向けた。

署長は驚く様子もなく、不敵な笑みを浮かべ雨音を見返している。


「わたくしが自作自演しているとは、面白いことをおっしゃいます。何か証拠でもあるのですか?」

「この者たちが見つけて参りました」


雨音が目で瑞穂を呼んだ。


「おれは、謂れのない疑いをかけられ、雇用契約を結んだこの二人の妖を拉致されました」


瑞穂はそこで一呼吸置き、続けた。


「監督署の鼠は、おれが二人に繰心術をかけた疑いがあると言って、その呪術鑑定をするために二人を連れて行きました。しかし、二人はぜかその後、祟り屋敷に監禁されていたのです」


神々は皆、神妙な面持ちで瑞穂の話を聞いていた。


「そこで二人は、ある酒と呪符を見つけました。その酒は記念式典で配られたもので、呪符には不可解な魔物化や問題を起こした神や妖の名が記されていました」


ゴンが議長に呪符を渡す。


「その酒とこの呪符には何の関係がある?」

「酒と呪符を組み合わせることで、術が発動するようになっていたものと思われます。酒を一度飲ませておけば、呪符を用いて術者の好きな時に呪いを発動させることができる」


議場内はざわめき出した。


「監督署署長、この者たちの話を聞いて、そなたは何か言うことはあるか?」


議長が署長に意見を求める。


「恐ろしい術でございますね。しかし、わたくしはとは一切関係ございません。もちろんわたくしの部下とも。その酒と呪符がわたくしの仕業であるという証拠はあるのですか?」

「俺たちをあの屋敷に連れて行ったのは、あんたたちだろ!」

「まあ怖い。わたくしは、危険な妖がいたので誰も近づかないところへ隔離した。と報告という報告しか聞いておりません」


確かに、これは状況証拠でしかない。土産物屋の者たちも、誰が酒を運んでいたのかまでは知らないのだ。

その時、ある神が署長と目を合わせたのを瑞穂は見逃さなかった。


「たまたま君たちを隔離した屋敷に、そのような物騒な物があったからといって、署長の仕業と考えるのは少々話が飛躍しすぎではないかね」


すでに署長はここにいる神たちに、裏で手を回しているのかもしれない。

となると署長を免職に追い込むのはかなり厳しい。何か決定的な証拠がないと――。


「彼らの証言は正しい」

後ろから瑞穂の知らない声が聞こえた。


振り返ると、そこには薄紫の水干に身を包んだ童が立っていた。瑞穂の知らない顔だったが、童の後ろにいる女には見覚えがあった。祟り屋敷にいた、檜の精霊である。

ということはこの童は――。


「我は、件の屋敷の主、ヨシノモリだ」


場内からまたひそひそと話す声が聞こえる。


「我と我が神使は、監督署の鼠共が、その酒と呪符を何度も運び入れているところを見ている」

議長がうむ、と唸った。

「署長、これについては?」


さすがに署長も、先ほどまで貼りつけていた笑顔が崩れ始めていた。


「監督署には数多の職員がおります。末端の者が行うことを全て把握することなどできません。職員が勝手に行ったことでしょう。わたくしは何も知りません」

「だが、部下が起こした不始末は、長であるそなたにも責任はあるだろう」


署長は黙り込んだ。すかさず先ほど署長と目を合わせた神が口を開く。


「検挙率向上への重圧をかけすぎたのだろう。署長は向上心が人一倍あるからのう。どうだろう、その下手人を差し出せば、署長にまで責を負わせずともよいのではないか? 本人も、つい部下の指導に熱が入りすぎただけじゃろうし」


トカゲの尻尾切り。これでは、署長はまんまと逃げおうせてしまう。


そのとき、また議場が騒がしくなった。今度は誰が来たのかと、瑞穂が周りの視線を追うと、拘束縄を巻かれた仮面鬼たちと、木蓮が桟橋を渡ってくるところだった。

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