桃源郷ー1
「それで、この屋敷では何か見つかったのか?」
「まあまずは順を追って説明しよう」
ゴンはわざとらしく咳払いした。
「土産物屋のやつらの話じゃ、こそこそと屋敷に何か運んでるやつらを見たらしい」
ゴンは得意げに言った。
「いつ頃の話だ?」
「私たちも参加したあの式典のすぐあとくらいよ」
「それから、祭りの前にも出入りしてた」
「いったい何を運んでたんだ?」
ゴンはしたり顔で瑞穂を見る。
「酒だよ」
「酒…? そうか!」
妖雇用監督署の三百年記念式典では酒が配られていた。
そして、式典の直後から検挙率がうなぎ上りになっている。
狐魂祭では酒饅頭も配っていた。
「酒に術を仕込んでいたのか」
だが、それならば不特定多数のものに術をかけてしまうことになる。
「狙った相手には術をかけられないな」
ゴンは、いそいそと戸棚から紙の束を持ってきた。微かに呪詛の香りがする。
「これ見てみろよ」
紙束には呪詛の紋様と、様々な神や妖の名が書かれていた。刀根沼の神と神使や、鶴の雪峯、そして、瑞穂の名も載っている。
「酒と呪符で呪いが完成するのか」
「みたいだな」
「でも、おれたちは無事だった…」
瑞穂にも、楓とゴンにも呪いは発動していない。
「俺ら、誰も酒飲まなかっただろ?」
そう、あのとき、楓が自分とゴンの酒をひっくり返してしまったのだ。
「こんな屋敷に誰も来ないと思ってたんだろうけど、俺たちを連れてきたのが運の尽きだな」
ゴンは得意げに鼻を鳴らした。
この件が露見すれば、署長は間違いなく神たちから査問を受ける。そうすれば彼女を解任できるかもしれない。
「天界の神たちに召集をかけよう。おれは顔が利かないから、雨音に取次を頼む」
楓とゴンが嬉しそうに立ち上がった。
「だがその前に、やってみたいことがあるんだ」
二人は首を傾げる。
「この屋敷の穢れを祓ってやりたい」
「あの切り株、燃やしちゃうの?」
楓が悲しそうに言う。
「そんなことはしないさ」
瑞穂はゴンに頼んで、適当な木の枝を炭に変えてもらった。本来の霊力が戻ったとはいえ、やはり火を扱うことはできないようだ。
その炭を粉々にすり潰して、術をかける。
「炭って穢れにも使えるのか?」
「そのままじゃ駄目だが、今穢れを吸うように術をかけたから、これで強力な穢れでも吸着できる」
瑞穂は、炭の粉を、即席でつくった神水に溶いた。神水も以前よりずっと速くつくれるようになっている。やはり基礎の霊力が上がっているのだ。
切り株にその炭液をかけると、屋敷に充満していた瘴気が徐々に消えていくのが分かった。
「すごい効果だな!やっぱ瑞穂力強くなってるじゃねーか」
「鼠たちに勘づかれるかもしれない。急ごう」
瑞穂たちは、屋敷を出た。
出るとき、ありがとう、と声が聞こえた気がした。
雨音たち水神姉妹が住むところは天界だ。天界に行くためには、鳥居を探さねばならないが、どうやら屋敷周辺にははなさそうだった。一旦、診療所の辺りまで戻らないといけないかもしれない。
夜になって吹雪いてきた山道を三人は急ぎ足で下っていた。
遠くの方から、鳥の鳴き声が聞こえる。こんな夜中に野鳥が鳴くのは珍しい。妖だろうか。
「ねえ、なんか鳴いてない?」
鳥は段々と近づいてきているようだ。
あ、とゴンが空を見上げた先には、大きな翼を広げた鶴の姿があった。
鶴は瑞穂たちの元へふわりと舞い降りる。
「ご無沙汰しております!」
鶴は人の姿に変化すると深々と頭を下げた。
背に大荷物を背負っている。
「どうしてこんなところに?」
「診療所に伺ったら、こちらにいらっしゃると聞いたもので」
木蓮が伝えたのだろう。だがなぜ、鶴を危険な屋敷に仕向けるようなことをしたのだ。
「診療所が営業停止になったと聞き、僕、居てもたってもいられなくて――」
そう言いながら鶴は背負っていた荷をほどいた。
すると風呂敷の中から、数えきれないほどの紙きれが雪崩のようにあふれだした。
「嘆願書を集めてきました」
瑞穂は紙切れを手に取る。そこには、診療所の再開を望む声や、瑞穂たちへの不当な罰則に抗議する内容が書かれていた。
「皆、あなた方にお世話になった者たちです。僕を含め、皆あなたたちが帰ってきてくれるのを待っているのです」
瑞穂は喉が熱くなった。こんなにもたくさんの妖たちが、瑞穂たちのことを思ってくれていたのだ。
「ありがとう。君も大変だったろう」
「なんのなんの」
鶴は自分の肩をさすりながら微笑んだ。そして拳を天に突き上げた。
「では! さっそく殴り込みに参りますか!」
「え?」
瑞穂たち三人は驚いて鶴を見つめる。
「あれ? 今から監督署に行くんじゃないんですか?」
だから嘆願書持ってきたんですけど、と鶴は悲しそうな目をする。
「俺たち、今から天界の神さんたちのとこへ行くんだ」
「わざわざ持ってきてくれて嬉しいけど、今はその嘆願書いらないかな?」
鶴は、そんなあ、と肩を落とした。
うなだれる鶴に礼を言って、嘆願書は診療所に持って帰ってもらった。
瑞穂たちは、先を急ぐ。
二人と一緒だと、吹雪の中でも辛くはなかった。身が切れるほどの寒さだというのに、なぜか暖かさを感じる。一人でないということは、こんなにも心強いのだ。
見晴らしのいい山道に出たとき、前から提灯の灯りが近づいてくるのが見えた。どうやら提灯小僧がこちらに向かって走ってきているようだ。
「瑞穂!」
車に乗っていたのは、雨音だった。
「どうしたんだ雨音?」
雨音は珍しくひどく焦っているようだ。
「蘭から、屋敷に向かったって聞いて」
「それでわざわざ来てくれたのか?」
「あのね私…瑞穂に謝らなければいけないことがあるの」
雨音は思いつめた表情でうつむいた。瑞穂がそんな雨音の顔を覗き込む。
「本当は私…、ずっと前から、瑞穂が人間だった頃のこと、知ってたの」
思いもかけない言葉に瑞穂は声が出なかった。
「初めて会った時に、雨を降らせてあげたでしょう? その雨に瑞穂の記憶が溶けて、でも…瑞穂は記憶をなくしちゃったから、だから」
雨音は知っていたのだ。瑞穂が人間だったとき、どのように生きてきたのかを。
でも、それでもずっと、瑞穂のことを見守ってくれていた。
「今まで心配かけたな」
雨音は感極まった様子で泣き出した。
楓が雨音をぎゅっと抱きしめる。
「それから」
「まだ何かあるのか?」
さっきから瑞穂は驚かされっぱなしで、もうそろそろ瑞穂は頭の容量が限界に近づいている。
「楓のこと、どこかで見たことがあるって言ってたでしょ?」
瑞穂は楓に初めて会った時、不思議な親近感を覚えたことを思い出す。
「楓はね、あなたの旧友である源四郎の子孫なのよ」
「ええ?」
瑞穂と楓、ゴンの三人は声をそろえた。
雨音は懐から巻物を取り出して三人に見せる。それは家系図だった。
「知り合いの神の伝手で、楓の先祖を辿ってみたの、そしたらほら」
出生の神が管理しているという家系録には確かに、源四郎から楓へと続く絆が描かれていた。
「だけど、源四郎は牢に入れられて――」
だが、その後、源四郎がどうなったのか瑞穂は知らない。
「遠い国の女性と結ばれてるから、追放されたか、逃げ出したか。でもとにかく生きていたのよ」
瑞穂は、胸がいっぱいになった。言葉にならない感情があふれだす。
源四郎が無事に生き延びていたこと、その子孫である楓が、瑞穂の前に現れたこと――。
「源四郎さんに、似てる?」
楓は照れくさそうに微笑んだ。
瑞穂は記憶の彼方にいる源四郎の姿を思いだす。彼はいつだって瑞穂のことを、ありのままの瑞之真のことを、理解して支えてくれていた。
屈託なく笑う源四郎と、楓の顔が重なる――。
「そうだな。食いっぷりがそっくりだ」
瑞穂は目から溢れてきたものを誤魔化すように言った。
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