第6話
突然の申し出に脳内は困惑を極める。
「一体何を……」
彼女の清々しい表情を少しの間見つめて、ジャージの袖で目元を拭う。向き直ると彼女は小さく咳をした。
「君は悩みを持っている、が誰にも相談出来ないとみた。だから、私が君の話し相手になろう」
「そんなことでどうにかなる問題じゃないです」
「だが現状より悪くなることはあり得ない、そうは思えないかな?」
混乱する脳内を整理する。コンビニに来た俺は酔って眠る彼女に声を掛けた。すると煙草をねだられて、酒に付き合わされた。浮世離れの仙人か、はたまた社会の爪弾きか。得体の知れない雰囲気とこちらを見透かすような目に、つい弱音を吐いて泣き崩れた俺を彼女は救うと申し出た。
素人以下の物書きが描いたと思う他ないドラマチックな展開をこちらは受け入れら
れないというのに、依然として彼女は落ち着き払っている。
「……何が、目的ですか?」
口を吐いたのは未だ拭えない疑問だった。すると愚問とばかりに顔をしかめられる。
「私のモットーだと言ってるじゃないか。これで三度目だからな、もう言わないよ」
「……煙草一本で随分と気前が良いんですね」
解消しない謎に皮肉を口走った直後、ふさわしくない言葉だったと心の内で省みたが彼女もそこに追撃を加える。
「うーん、ここまで素直じゃないとは。君、相当重症だね」
まるで絶滅危惧種を見るような物珍しさと憐れみの視線。素直でないのは確かだが、向井合ってそう言われると癪に障る。思わず突き放すように言葉を返す。
「おかしいでしょう。友人ならともかく、初対面の人が急に助けてくれるなんてこと」
「……まぁ、そうか。そりゃそうか、それなら……」
すると彼女は納得したような、それでも少し表情に影を落とす。それでもややあって紡いだ言葉と声はより強く、そして底抜けに優しい響きだった。
「君を心配する一人の純粋な善意、とは受け取ってくれないのかい?」
その瞳は少しの潤いを含んで見えた。その様に再び鼻の奥がツンと痛くなって、俺は顔を伏せた。柔らかな声が耳を通り抜け、すっかり凍ってしまったはずだった心の扉をノックする。
「君が苦しそうに見えたんだ。届かない
呼吸の仕方を忘れたあの日以来、母の他にこんなにも優しい声を聞いたことは無かった。その事実がどうしようもなく俺の涙腺を刺激する。この半年近く、一度も緩まらなかった固い結び目が解けていく。この地獄で、目の前に垂らされた一本の糸。それを握るように恐る恐る口を開く。
「俺は救われていいんでしょうか……?」
「君はどうしたい?」
決まっている。今なら言える。ずっと、ずっと誰かに言いたかったこの言葉を。
「救われたいに、決まってる……!」
呟いた言葉の語尾の強さに自分でも驚く。でも間違いなく心から絞り出した本音。彼女がニヤリと笑って見せると、その笑みに鼓動が速くなる。
これは息苦しさでは無い、生きることを選んだ、その覚悟を背負った心臓の高鳴りだ。
「うん、ならそうしよう。今日はそれだけで充分だ」
そう言って席を立った彼女は伸びをして、袋を片手に歩き出す。俺もつられて立ち上がり、背を向けた彼女に問いを投げた。
「どこへ?」
くるりと振り向いた拍子に、やや明るいセミロングが揺れる。彼女の方から吹いた夜風が、煙草の残り香と少し甘い洗髪料の匂いを乗せて俺とすれ違う。
「今日は帰る。大概、夜はここに居る」
少し距離を詰め寄った彼女は、やはり妖しくて魅力的な笑みで俺にこう言った。
「また、会いに来てくれよ?」
かつての私と間際の君へ 汰一朗 @BossaNovaBox
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