都市伝説なんて存在しない

サトウ・レン

あんなの嘘に決まってる!

「なんだかなぁ」

 と俺がつぶやくと、背後から、どうしたの、と声が聞こえて、思わず、びくっ、と肩を震わせてしまった。振り返ると、妻が首を傾げていた。


「いや、あぁいうの、信じるんだなぁ、と思って」

 と俺はテレビの心霊特番に夢中になっている娘を見ながら、言った。


『最後まで視聴したあなたには、本物の恐怖を』と予告で安っぽいキャッチフレーズが付いていたのを覚えている。何が、本物の恐怖、だ。


「あなたは信じないの?」

「俺は実際に自分の目で見たものしか信じないんだ。お化けも怪人も都市伝説も、一度も見たことが無いからな」

「ふーん」

 と妻が納得のいってないような表情を浮かべる。というかすこし怒っているようにも見える。


 こういう時の妻を刺激すると、色々と大変なことになる。実は一度、死にかけたことがある。妖怪なんかより、俺は怒った妻のほうが怖い。コンビニでタバコでも買ってくる、と伝えて、俺は逃げるように、マンションを出る。コンビニはマンションの一階にあり、俺と妻が出会った場所でもある。電話中だった彼女に一目惚れして、つい声を掛けてしまったのだ。いわゆるナンパなのだが、普段から誰彼構わず声を掛けているわけではなく、そんなことをしたのは、彼女がはじめてだった。


 コンビニに入ると、いつもの店長さんだ。実年齢は知らないのだが、四十代くらいの見た目の女性で、ひとの顔のことを言うのは大変失礼な話ではあるのだが、ほおがすこし腫れている。それがどこかひとの顔っぽい。友人が以前、あのほおから声出してるよなあのひと、と怯えながら言っていた時は、本気で怒った。ひとの容姿を馬鹿にすることを口に出して楽しいのか、と。これがどうでもいいやつなら、俺だって何も言ったりしない。だけど友達だからこそ、俺は真剣に注意した。友人も分かってくれたのか、もう何も言わなくなった。


 実は店長さんとは一時、気まずい関係にあった。俺が結婚した時、それを雑談まじりに伝えると、「私、好きだったんだよ。あなたのこと」と泣き出したのだ。気付かなくてごめん、と必死に謝って、一応は普通に話せる関係に戻ったのだが、お互いにわだかまりは残っているはずだ。いや彼女の気持ちは彼女にしか分からないので、たぶん、だけど。


 タバコを買って、公園へ行く。夜風に当たりたかったのだ。辺りは夜闇に包まれて、中央の公園灯だけが視界の頼りになっている。ベンチに座って、タバコを吸いながら、ぼんやりしていると、マスクをした女性が近付いてきた。綺麗な女性だ、と俺は思わず見惚れてしまった。ふふ、と女性は笑った。


「隣、座ってもいい」

「えぇもちろん。タバコが嫌じゃなければ」

 女性が、俺の隣に座る。


「好きではないけれど、ポマードよりはマシかな」

「ポマードって、なんですか」

「整髪料。世代じゃなかったかな?」

「あんまり年齢変わらなさそうですけど」

「ふふ、ありがとう。ねぇ、ひとつ聞いてもいい」

「なんですか?」

「私、キレイ?」


 想像もしていなかった言葉に驚いてしまったが、すぐに俺の頭に妻の顔が浮かんだ。


「すみません。俺、妻にしか、そういうこと言わない主義なので」

「そっか、残念」

 マスク姿の女性と別れて、もうそろそろ家に帰ろうと歩いていると、背後から耳慣れない音が聞こえた。


 テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……テケテケ……。


 何の音だろう、と振り返ると、下半身のない女の子が両手を使って歩いていた。必死そうに苦しそうに動く姿を見て、俺は慌てて彼女に駆け寄った。


「なんでそんなに無理をするんだ!」

 俺はできるだけ優しい声音は意識しながらも、叱るように言って。彼女を抱き起こした。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。妻が見たら怒るかな、と思ったが、いまはそんな場合ではない。とりあえず俺は少女の住んでいる場所を聞き、連れていく。言われた場所は駅だった。


「本当にここでいいのか」

 と聞くと、少女が頷いた。ここでおろして、と続けるので、家を見られるのが恥ずかしい思春期なのかもしれないな、と考えて、俺は少女と別れることにした。気を付けて帰れよ、と伝えて。少女の顔がすこし赤かった気がしたけれど、気のせいだろう、きっと。


 ポケットに入れていたスマホが音を立てる。妻からだ。

 電話に出ると、どこにいるの遅い、と怒られた。口調から察するに、急いで帰らないと、俺のところまで追いかけてきそうだ。


 走ってマンションに帰り、玄関のドアを開ける。


「ただいま」

 と妻と娘の名前を呼ぶ。


 すると俺の背後から、

「後ろにいるよ」

 と妻の声がした。


「いつも俺の背後ばかり狙うなよ。ごめんごめん、遅くなって」

 と俺は妻のメリーの頭に手を置く。妻の顔が、顔中に返り血でも浴びたかのように、真っ赤になった。


「仕方ない。許す」

 リビングに行くと、テレビから白い服の女性が飛び出していた。時間的に、心霊特番は終わりの時間だ。これがキャッチフレーズの『最後まで視聴したあなたには、本物の恐怖を』というやつだろうか。子どもだましみたいな仕掛けだな。しかし最近のテレビはこんなことまでできるのか。


 ただやっぱりまだ娘は子どもだからか、怖がって泣いていた。


「大丈夫。お化けも都市伝説も、どこにも存在しないよ」

 泣き止むまで、俺は娘の頭を撫でることにした。やがて泣きつかれたのか、娘はそのまま眠ってしまった。


 でもきょうは俺も疲れたな。寝よう。


 目が覚めると、娘の花子が俺の肩を揺すっていた。

 怖くてトイレに行けない、と。

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