第20話 今日だけ私のものに

 

 まずい、この展開は非常にまずい。

 これは部屋に行くべきなのか? 相談すべきなのか…?

 ……誰に?

 空風さんに知られたくないという本人の意向を尊重するなら、伝えることは秘密にしたい。ならば誰だ。他のこの手の話がしやすい人は……

 …………ミウミウ…。

 ……いや、それは駄目だ。

 【俺達リスナー】は【推し】に迷惑をかけてはいけない。俺達の私生活を、【推し】に背負わせてはいけない。

 ミウミウは、配信者としては極めて特殊型である。

 リスナーとの距離が近くて、好きって気持ちもまっすぐ伝えてくれて、どうしようもなくなってしまったときは、話を聞いてくれる。

 かくいう俺も、そんな推しの優しさに甘えて、推しに弱音や苦しみを吐き出してしまうことがある。

 でも、それが、本来あり得ない関係であることは、振り返るたびに実感する。

 この案件は、自分で選びとらなければいけないものだ。

 ここは配信の場所ではない。

 推しは目の前にいない。

 ならばこれは、配信にいるましろとしてではなく、現実の押野真白として解決しなければならない問題だ。

 だから、


 『ミウミウ大好き! ちょっと勇気をもらうよ!』

  

 推しとのメッセージ欄に、この文だけ発した。

内容が伝わらずとも、君から、勇気をもらいたい。

 

 『分かりました。これから向かいます。』

 

 俺はメッセージを宮川さんに返すと、ホテル内の自販機で水を買ってホテルのエレベーターに乗る。

 女性の部屋に呼ばれているが、今はドキドキよりも、心配が勝る。

 …まさか身投げするつもりじゃないだろうな。

 

 ──私は、真白みたいにはなれないよ。


 しまいこんでいた記憶がフラッシュバックしそうになる。

 ……駄目だ。死なせるわけにはいかない。

 エレベーターが到着し、足早に宮川さんの部屋の前に立つと、メッセージアプリを起動する。

 

 『着きました。大丈夫ですか?』


 返事はない。……まさか

 最悪の結果を想像してノックしかけたところで、扉のロックが解除され、ゆっくりと開く。

 瞬間、俺は顔をしかめる。会場を遥かに越える酒臭さが鼻を突いてきた。


 「ぅぅ………おひの……さぁぁん…」

 「っっ!?宮川さん!?」


 ドアを開けた勢いのまま、こちらに身を預けてきた宮川さんを抱き止める。

 気合いをいれていたであろうメイクはぐしゃぐしゃになって、代わりに泣きすぎて殴られたんじゃないかと錯覚するほど目元は真っ赤に腫れている。

 というか……というか!?

 

 「し、下なにか履け! スカートは!?」

 

 宮川さんは、上の洋服は着ているものの、スカートは羞恥心と共に捨て去ってしまったのか、黒レースの下着が晒された状態になっている。…チラッとしかみてないよ!

 

 俺はひとまず宮川さんの体を支えてベッドに座らせたあとで、ホテル備え付けのバスローブを巻き付ける。

 ひとまずは、目のやり場に困らなくなった。

 予め水を買っておいた水を手渡すと、彼女は蓋を回してこぼしながらも口を付けた。…実は薄々こんな感じになってそうな気はした。


 「……少しは落ち着いて話せる?」

 「……ありがとう、ございます。」

 

 宮川さんは潤んだ瞳を拭うと、酒の缶が乱雑に転がる部屋を見渡して苦笑した。


 「…酷い部屋に呼んでしまいましたね、すみません…」

 「……酒、飲めたんだね」

 「………普段は、根本君が、飲まないから……隠してたんですけど、もう、その必要も、無いですから」

 「……そっか」


 俺は備え付けの椅子に腰かけて、それだけ返す。

 

 「………なぐさめて、くれないんです?」

 「……女の子をなぐさめ慣れてないんだ」

 「あーー……すみません。」


 謝るな。なんか悲しくなるだろ。女性経験豊富な陽キャとは違うんだ。

 

 「…押野さんは、お酒、飲めましたっけ?」

 「人並みにはね」

 「嘘ですね。前の歓迎会で相当のんでも顔色変わってませんでしたよ?」

 「…分かってるじゃん」

 「へへ……じゃあ、一杯付き合ってくださいよ」


 宮川さんは少しだけ微笑むと、コンビニのビニール袋から缶ビールを差し出してくる。


 「……1杯だけね」

 「ふふ、押しに弱いですね」

 「にもクソ弱いけどな」


 受け取った缶ビールを開けて飲む。買ってからしばらく経っているせいか、ぬるかった。

 

 「……あーあ。今まで出会ってきた人の中で一番好きな気がしたんだけどなぁ。根本くん……好きな人いるって……」

 「…なるほど、ね。根本君のことはいつから好きだったんだ?」


 宮川さんは、缶酎ハイのプルタブを引き上げながら、うーんとうなった。


 「…難しい質問ですね」

 「好きなのに?」

 「えーと、押野さんがは、えーと、Ⅴ?…推し?のことがめっっちゃ好きですよね?キモいくらい」

 「そうだな。愛してる」


 キモいくらいは余計だろ。否定はしないけど。我ながら心は常にミウミウ一色まであるけれども。


 「あーそれ、シラフで言うんですね。じゃあ逆に聞きますけど、いつから推しを好きになったんですか?」

 「…………」


 俺は言葉に詰まった。

 確かに出会いの日付ははっきりと思えているし、大切な記念日だ。

 しかしながら、その日から全力で大好きだったかと聞かれると、それは多分、違う。

 推しにもよく聞かれる。どんなところが好きなの? と。

 リスナーに真摯に向き合ってくれるところも、不器用ながらに真面目に配信してくれるところも、意外と嫉妬しちゃうところも、自分のなかで芯がはっきりとしていて、思ったことはしっかり伝えてくれるところも、取り繕わずに素でいてくれることも、声音も、好きなところはキリがないほど挙げられる。

 だが、いつからミウミウのことを好きで仕方なくなったのか。それは分からない。


 「あ、でも気になったきっかけは顔です!」

 「いや顔かい。確かに根本くん男前だけど」

 「女の子はイケメンが好きですし、男だって可愛い子に惹かれるもんです   よ。」

 「全部が全部そういうことじゃないと思うけどな」

 「じゃあ推しの見た目がハゲチャビンでぶちんおじちゃんな見た目だったら配信観に行ったと思いますか?」

 「ごめんなさい、流石に観に行ってたか分からん」


 宮川さんは、やや勝ち誇ったような顔で、酎ハイを飲み干す。


 「まぁ、最初は顔だったんですけどぉ、一緒に仕事してるうちに、あぁ、好きだなぁって……こう、抱いてほしいなぁって。」

 「けほっ!…女の子が抱いてほしいとか軽率に言うなよ…」

 「えぇ? 体の相性って結構大事ですよ? というか体を許せるレベルで、全部好きだったんです!純愛なんです!」

 「……純愛ね」

 「はい。なのでいつから気になってるが、好きに切り替わったかは分からないんですよぉ」


 体の相性は置いておいて、相手を好きだと、愛してると認識した時点で、あらゆる要素が愛おしく感じてしまう気持ちは理解できた。

 

 「……俺も、推しに初めて出逢ったきっかけは、まぁ……見た目がかわいいなぁって生配信を開いたことだ。

 正直言えば、ここまで好きになるなんて思ってなかったよ。

 ……でも、彼女の配信に行くたびに、SNSで触れ合ううちに、好きって気持ちが大きくなっていったんだ」

 「……似てますね。私たち」


 過程は似ている。

 明確な違いは、宮川さんは目の前に相手が実在していて、俺の前には、推しがいない。

 だからこそ、


 「宮川さんは、頑張った。」

 「はい?」

 「告白するのはすごく勇気もいるし、怖かったと思う。

 俺は、大好きな相手が画面先の配信者だからね。気持ちがどれだけ本気でも、直接好きを伝えることはできない。だから直接伝えた宮川さんは偉いんだ。」

 「フラれましたけどねぇ………ずっと叶わないの、辛くないですか? 」

 「…辛いけど、幸せだよ」

 

 何度、ミウミウと過ごす日々を夢見たか。

 何度、ミウミウに告白する夢見たか。 

 何度、俺だけを選んでくれた夢を見たか。

 


 「推しの今を、幸せに出来ているなら、俺はこの関係で、今は十分だ。」


 好きという感情をまっすぐに伝える。 

 楽しいという感情をきちんと伝える。

 嫌いと言われない限り、愛してるをまっすぐに伝えられるこの関係が愛おしい。

 今は、この関係がいい。


 「………馬鹿な人ですねぇ」

 「そうだな、リスナーの中でもヒートクレイジー枠とか言われてる。」


 リスナーとして後方腕組クールミステリアス枠を目指していたはずなのに。

 宮川さんはくすりと笑うと、布団に背中をつけた。そのまま枕を自分に寄せて天井を仰ぐ。座っているこの位置から彼女の表情を覗くことはできない。 

 

 「でも、そっか。私、頑張りました、よね?」

 「うん」

 「フラれ、ちゃったけど、がんばり、まし、たよね」

 「うん」

 「う、ぅぁ………なら、しかた、ないです、よね…あーあ……男に、一日二回も、泣かされ、ちゃ……」


 宮川さんは、枕に顔をうずめて嗚咽を消すように、号泣した。

 

 しばらくして、隣の部屋に響くことなく涙を止め終えた宮川さんは、スッキリした様子で微笑んだ。


 「えへへ……話聞いて貰って、楽になりましたぁ」

 「役に立てたなら何よりですよ」

 「優しすぎて、私狙われてるのかなって思いましたぁ」

 「一言多いなこの後輩」

 「んー……でも落ち着いたら、めちゃめちゃ…寂しくなってきた。……よく見ると、なんだか…押野さんって…」

  

 彼女はそういいながら、ふらふらと立ち上がり、こちらに歩いてくると……。

 よろけて転びかけてきた!

 手を出して支えかけるが、咄嗟の事で対応しきれず、俺は宮川さんに押し倒されるような形で背中が床に激突した。


 「いっつ……大丈…ぶっ!?」


 紅色に染まった宮川さんの顔がすぐ目の前にあった。

 距離にして15センチ。


 「………押野さん、推しとリアルで会えないなら……私としても、ノーカン?」

 「ばっ!? 何言ってんだ!? 飲み過ぎだぞ! 」

 「……今日は、寂しいんです。」


 彼女の手が俺の胸元に当てられ、酒の匂いを発散する顔が近づいて―――。 

 直後、着信音が鳴る。

 俺はズボンのポケットに入っているはずスマホを取り出そうとするも、さきほど転倒したときに床に落として、現在絶妙に手の届かない位置にあることに気が付いた。

 やがて着信が止み、宮川さんはとろんとした瞳のまま、巻き付けていたバスローブをもたつきながらも外す。

 続けざまに、メッセージアプリの通知が鳴る。くそっ通知設定ミウミウしかしてないけど、とてもじゃないが取れる状況じゃない!!

 なんとか宮川さんをどかそうとするも、全体重を乗せてきているのか、あるいは俺の筋力が無いせいか、押しのけきることができない。

 

 「ねぇ、お願い……今日だけ…私のものに」

 

 彼女がそういいかけたところで、扉が激しくノックされ、自動施錠されているはずの扉は、外から開けられた。

 そこには――――空風さんが息を切らせながら立っていた。

 そうか! 空風さんは宮川さんと相部屋なのか!

 目を見開いている空風さんと目が合う。同時に普段大事そうに携帯しているタブレットが床に落下した。

 

 「誤解だ!!まだ何もされてない!」

 

 なんか浮気現場を見られたような言い訳が出てきてしまった! いや浮気したこと無いしそもそも今はリアルで付き合っていないのだけど!

 いやそりゃ女性が男を押し倒す構図はぱっと見で事案だけど! 違います!

 空風さんは、スッと表情が変わる。

 珍しく……というか怒ったような表情を初めてみせた彼女は、ズンズンとこちらに歩いてくると、宮川さんを後ろから引きずるようにして、俺から引き剥がした。

 肝心の宮川さんは、酒のせいか、床に転がされた状態でスヤスヤと寝息を立てていた。おい説明してから寝てくれ!


 「いや、違うんだ。説明すると長くなるんだけど、何かあったとかそんなんじゃないんだ!」


 ジト目の空風さんは、大きな溜息をついたのち、タブレット端末を拾って文字を打つ。


 『どうせ相談的なの乗ってたんですよね?』

 「………はい。そうです」

  

 空風さんは安堵と呆れが混ざったような表情で、再度溜息をつく。


 『時には手を差し伸べないことも大切ですよ! 優しすぎます!』

 「はい……すみません……」


 ミウミウにも以前同じようなことを言われたことあるな。


 『まぁ人に手を差し伸べちゃう人っていうのも分かってます』

 

 この数か月で随分と理解されてしまっているようだ。なんて人間分析能力。さすあき……。


 「本当に気を付けます…あ、でも多分宮川さんも飲み過ぎた気の迷いだろうから…」

 『そういう問題じゃないです。あとは私がなんとかします』


 ぴしゃりと断じられ、文からも圧を感じた俺は、早々に退散する決意を固めた。


 「ご、ごめんなさい。じゃあ…あとはよろしく……」


 俺がそそくさと背を向けて外に退散しかけると、腕を掴まれる。

 再び宮川さんかと思ったが、振り返ると空風さんだった。

 彼女はやや不安そうな顔で文字を打ち、画面を見せかけた。が、こちらに向けきる前にそれをサッと自分に戻すと、タブレットを操作していく。文字を打ち直しているのだろうか。


 『何も、変わって無いですよね?』

 「……なんの確認か分からないけど……宮川さんとは本当に何かあった訳じゃないよ。別に付き合うとかも無いしね。俺にはミウミウがいるから!」


 求められていた回答を出来たか分からないが、俺の答えを聞いた彼女の表情から少し不安そうな色が消えたようにみえた。

 再度空風さんに宮本さんを頼んで退室する。

 扉をしめた瞬間、俺からも大きな溜息が出た。

 長い戦いだった……。どっと疲れたな。

 流石に宴会場に戻る気にはなれず、部屋に戻って休もうと思った瞬間、ふとミウミウからメッセージ通知が来ていたことを思い出して、アプリを速攻で開く。

 ミウミウ何かあったのかな?

 そう思いながら開いた画面には、推しから


 『大丈夫? なにかあった?』

 

 と書かれていた。たぶん、勇気もらうとか言ったから心配してくれたのだろう、あちらも旅行だというのになんて優しいんだ……。

 推しからの愛に涙が出そうになったので、目頭を抑えながら文を返す。


 『大丈夫だよ! 解決しました! 』

 

 打ち込んだ文は速攻で既読が付き、文字が入力中の表記が出てきた。ミウミウが今返事を打ち込んでいる! 嬉しい!


 『良かった。ねぇねぇ、ミウミウのこと、一番好き? 変わってない?』

 

 かわいい……こういう聞いてくるところすらもう可愛い。そんなこと、


 『世界で一番、誰よりも愛してるよ! 人生の中で一番大好き!』

 

 この想いは、揺らがない。……宮川さんの想いには応えられないけど、俺は浮気はしない主義なんだ。俺は、今。ミウミウだけを愛してる。


 『ミウミウも大好き!』


 ヒュッ……


 あぶね、心停止したわ。

 配信で身に着けた自己心肺蘇生が無かったら、幸せで昇天するところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

30センチ先の君に恋してる @mashironVoshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ