第19話 雨


 水族館で心地の良い時間を過ごし終えて外に出ると、強めの雨が降っており、日中よりも肌を撫でる風が冷たい。

 建物の屋根の下から少しだけ外に手をだす。雨はすぐさま手のひらをびしょ濡れにした。


 「やっば、結構強いな」

 『折り畳み傘あります!』


 そう文を打った空風さんは、かわいらしい水色の折り畳み傘をハンドバッグから取り出す。

 用意がいい後輩だ。少なくともこれで空風さんは濡れない。

 ホテルまではタクシーを使うとして、俺は乗り場まで走っていくか?

 少し思考しているうちに、可愛らしい傘が俺の頭の上にも咲く。

 

 空風さんが傘を持ちながらタブレットに文字を打ち込もうとして、傘が大きく傾いたので、俺は慌ててその傘をつかんで支える。

 空風さんは、ぺこりと頭を下げると、スススと、こちらに近づき、文を打つ。


 『このまま行きましょう!』

 「えっ、相合傘なんだけど。大丈夫?」

 『ピュアですねー』

 

 悪かったな。あなたが綺麗なのと可愛いのが相まって緊張してるんだよ。助けてミウミウ!

 助けを求めたところで、脳内ミウミウがささやいてくる。


 『ましろさん、頑張って。大好きだよ。』


 よし頑張ろう。

 俺はここで男子力を上げてミウミウにあったときにクールミステリアス系男子素敵!枠として確立させるのだ。

 よしここは、クールに。


 「あっ、あー、そう。あ。了解。濡れない? 大丈夫? あっじゃあ、いきます…」


 待って全然クールじゃない!

 これただの陰キャだ! 対応キャパを越えて本来の陰キャが出てきてる!

 そんな俺の様子を見て、隣の空風さんはクスリと笑う。

 

 「こっちは相合傘なんてしたことないんだぞ」

 『優しいからやってそうなのに。元カノにはやってないんですか?』

 「やってな…なんで元カノいるの知ってるの!?」


 その情報を知ってるのはミウミウを除いたら会社の上司とミウミウ配信内のリスナーだけなのに!

 空風はあ、という風に口を抑える。少し目を泳がせたあと、高速で文を書く。


 『配信のアーカイブで知りました。本当にすみません。』

 「あ、アーカイブか。まぁ確かに。よく、いってるな……」


 ん?そう考えると、目の前にいる人は、俺の情報を結構知っているのでは?

 ……超恥ずかしい気がしてきた!

 普段は画面があるから、推しやリスナーに内情を話せるのであって、いざ知ってる人が前にいると恥ずかしい!

 となると空風さんは俺の年齢…は知ってるか。

 趣味…話してるな。

 好きな食べ物…ご飯一緒に行くときにちょいちょい話してるな。

 住んでる場所……家で妹と会ってるな。

 あれ、元カノの話を知ってるなら、ほとんど空風さん知ってるな。

 あと知らないの俺の通帳の暗証番号とか、クレカ番号くらいじゃない? 

 そう考えると、会社での繋がりって近いんだな。他人なのに、色んな個人情報が手に入りやすい。気を付けよう…。

 歩きながら反省していると、風向きが少し変わったので、空風さん側に傘を傾ける。

 空風さんは、それに気がついたのか、さらに体をこちらにぴったり寄せてくる。

 …………。

 雨音で、この心臓の音がかき消えてくれていることを願う。

 ……………。

 き、緊張して話題が切り出せない…!

 ほんのりと鼻腔をくすぐる花のような香り、肩にあたる優しい熱。

 外側の肩が濡れていくことも気にならないほどのあたたかさが、隣にはあった。

 なにかを話さないとと思う気持ちは、やがて心地よい感覚のなかに沈んでいく。


 タクシーに乗り込むまでの時間はお互い、口とタブレットに触れられることはなかった。

 

 ○   ○   ○


 「長らくお待たせいたしました!これより社員旅行のメインイベントたる宴会を開始させていただきたいと思います。」


 ホテルの宴会場についた俺たちは、それぞれの席に着いていた。

 そういえば、宮川さんと根本くんのデートうまくいったかな。告白するとかいってた気がしたけど。

 席にはそれぞれネームプレートが置かれているが、宮川さんの席には彼女の姿はなかった。

 空風さんも、それが気になるのか、辺りを少しキョロキョロ見渡している。が、宮川さんだけがこの場にいなかった。

  

 「……とまぁ、私のつまらない話はこのくらいにしておきます。では、乾杯!」


 乾杯の音頭がとられたので俺たちもグラスを掲げる。

 空風さんは心配げな顔を浮かべるも、こちらに一礼したあと、他の新人たちと共に、ビール瓶を持って上司たちの元にお酒をつぎにいってしまった。

 俺は、端っこでテーブルに突っ伏して死にかけてる伊野さんに近づく。この酒の匂い…相当飲まされたな…。

 

 「あの、伊野さんすみません。宮川さんいないんですけど知ってます?」

 「んーー? んーー……コーラ八箱はまじで申し訳ねぇ…」

 「なにいってんですか」


 駄目だ。話が出来る状態じゃない。

 当事者たる根本くんに話を聞こうとしたが、新人の運命から逃げられることなく、上司に酒をつぎにいってめちゃくちゃ談笑に巻き込まれている。

 ありゃしばらく帰ってこないな…。

 嬉しいというか悲しいというか、俺はお酒をつぎに来てくれる人などいない。

 ぼっちざましろな俺は、メッセージを宮川さんに飛ばそうとスマホに触れた瞬間、ピコンとスマホの通知音が鳴る。

 宮川さんからのメッセージには、一言書かれていた。


 『フラれました』


 ………oh。

 なんて返せばいいんだ。これは…。

 返事を迷ってる間に、次なるメッセージが送られてくる。


 『すごく辛いです。死にたいくらいつらいです。消えたい。』

 

 ……彼女の心情は思ったよりどん底にいるらしい。

 …いや、それはそうか。

 好きな人からフラれたり拒絶されたら、誰だって悲しみと絶望に落ちる。

 少し違うかもしれないが、俺だってミウミウに拒絶やブロックされたら、生きていけるか怪しいな。少なくとも今のましろは崩壊する。

 でも、それでも彼女に死んでほしいかは別問題だ。


 『死なないでください。相当しんどいだろうけど、今は休む時間が必要だと思います。

 幹事には、宮川さんは体調不良って伝えておきます。今部屋ですか?』

 『ありがとうございます。

部屋です。もうめっっちゃ辛いです。誰かと話してたいけど、こんなこと、凪ちゃんに話したくない……

見せたくない……』

 

 俺は、盛り上がってきた会場からはなれ、スマホを打つ。

 

 『全部吐き出してもいいと思います。

 電車でもしゃべらなそうって言ってたけど、私は誰にも言いません。まぁ、話したくないなら無理しなくてもいいけど。

 宮川さんに元気がないと、空風さんも皆も心配しちゃうしさ。

 力になれることがあったら言ってくださいね。』

 

 これまで間髪いれずに返ってきていた、メッセージがしばらく途絶える。

 ……深く入りすぎたか?

 やがて、メッセージが追加される。

 

 『文だと伝えきれないこととか、残っちゃうので話したくないです』


 まぁ、そうだよな。そもそも別に同期じゃない俺なんて宮川さんからしたら、他人以上友人未満って枠なんだろうし。

 とか考えていたら追加でメッセージが来た。

 俺はその文章を見て、固まった。


 『部屋で話、きいてほしいです。一人だけで来てもらえますか?

 514号室です』 

 


 


 

 

 

 


 

 

 

 

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