秘密

Afraid

秘密

「なんとも思わないのですか」

 ししおどしが鳴り、私の弱々しい声はかき消された。

「そう言っている」

 縁側に座る夫の後ろ姿は、赤い夕日を浴びてなお冷たく見えた。

 私の胸の内に、疑惑の泥が溜まっていく。

 なんと不条理なことだろう。

 私は一度、この男に秘密を打ち明けようとした。

 だが、いざ口にしようとすると言葉が途中で詰まってしまい、今日まで言えずに生きてきたのだ。

 夫はさぞ私を訝しんだことだろう。

 そのはずだった。

 それでも夫は、一切私を問いただそうとしなかった。

 やがて私は耐えられなくなり、こちらからその日のことを問うたのだ。

 夫は言った。

 なんとも思わない、と。

 だから私はこうして、夫の背中を睨みつけているのだ。

 この男は、私のことなどなんとも思っていないのか。

 あるいは、この男もまた人に言えない秘密を抱えているのではないのか。

 もしくは、最初から全てを知っていたのではないのか。

 私の胸の内に溜まった泥が、泡を立てて揺らぐ。

 そしてそれが不条理であることも知っている。

 秘密を抱えているのは私だ。

 恨まれるべきは私だ。

 それを打ち明けられずに苦しんでいる私を、夫は慰めたいだけなのだろう。

 理屈ではわかっていても、私の泥は確かにここにある。

 吐き出してしまえば楽になるとわかっていても、私はそれほど素直ではない。

 だから私はこうして、夫の背中を睨みつけているのだ。


 不意に夫が振り向いたので、私は慌ててうつむいた。

「誰にでも隠し事はあるだろう」

 夫は言った。

「そういうことを聞きたいのではないのです」

 今まで従順を装ってきた私は、自分の口からそうした言葉が出たことに驚いた。

 心臓の高鳴りが私を責める。

「じゃあ何が聞きたい」

 夫は淡々としている。

 その態度が私の泥をかき回すのだ。

「夫婦とは、一体どういうものでしょうか」

 私の口は止まらなかった。

 嗚呼。

 消えてしまいたい。

「俺は学がないから、難しいことはわからん。一緒にいれば夫婦ではないのか」

「それでは親と子も変わりません」

「そうか。では、血のつながっていない家族が夫婦か」

「義理のつながりというものがございます」

「そうか。では、そうだな、うむ。信頼し合う者、特別な者同士が夫婦か」

「もしそうなら」

 私はその先を、言ってはいけない言葉を、飲み込もうとした。

「もしそうなら、ここにいる二人は、夫婦でしょうか」


 終わった。

 終わってしまった。

 飲み込むのではなく、手で口を抑えるべきだった。

 ししおどしが、私を叱った。

「俺はそのつもりだが」

 またその態度。

 そのようなことでは、私はまた狂ってしまう。

 言ってはいけない言葉が、出てしまう。

「私もそのつもりです」

「そうか」

「もう一つ、聞かせてください」

「ああ」

「どうして私を選んだのですか」

「お前の顔が、良かったからだ」

 夫がそう言ったので、私は落胆してしまった。

「がっかりしているな」

 聞かなくていいこともあるのだ。

「はい、がっかりしております」

 言わなくていいこともあるのだろう。

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