フリージアの記憶 🌼

上月くるを

フリージアの記憶 🌼





 四六時中、事務所に鉢植えや切り花を絶やさないのは、ヨウコさんの役目でした。

 明るい未来を提示できない無能な経営者の、せめてものお詫びのつもり……。💧


 夕方は五時ジャストに退社するかわり、朝は明け方に出社するのが長年の習慣で。

 玄関のカギを開けて社屋に入り、スタッフの机が並ぶ一階事務所のドアを開ける。


 東日本大震災から三か月後、直下型震度六強におそわれる前は二階の広いスペースを使っていたのですが、螺旋階段を逃げるのに手間取ってから一階に移したのです。


 一階の大半は倉庫が占めていたので、それまでの数分の一の狭さになりましたが、安全には変えられません。その際、扉も特注のアコーディオンカーテンにしました。


 これなら、いつなんどきあの強震が来ても、全員、瞬時に駐車場に飛び出せます。

 真下から巨大な力に突き上げられ、縦横にゆすぶられ、あんな思いは二度と……。


 


      🏡




 篤実な地元の工務店が選んでくれたアコーディオンカーテンは頑丈なプラスチック素材で、いい感じの半透明、しかもしなやか、申し分のない使い勝手の逸品でした。


 そのドアのなかには、ひと晩中、活発に活動していた花の香りがこもっています。

 なかでも、もっとも馨しく甘やかな匂いは、春の妖精、黄色いフリージアでした。

 

 まだ零下十度前後になる朝もあるとはいえ、かくじつに極寒の季節が明けつつある二月下旬、スーパーの生花売場にこの花が登場すると、ひそかに胸が高鳴りました。


 ここよここよ、あたしたちここよ……笑顔で手招く黄色い子たちを抱えて事務所にもどり、いつもの花瓶にそっと活けてやると、そこだけ本物の春が来たようでした。




      🚢




 ああ、いけません、あの芳香がよみがえると、ついつい滴が……。(´;ω;`)ウッ

 ちなみに、黄色いフリージアの花ことばは「無邪気」だとか。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ


 東京都八丈島では毎春先「フリージアまつり」が開催され、三十五万株が咲き誇るそうですが、その時期に訪れたら、島中が馨しい香りに包まれているでしょうね~。



  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



 石川県珠洲市の余震が一刻も早くおさまりますよう、心からお祈りしております。

 あの絶対的な暴力の凄まじさは、実際に経験しないと分からないかも知れません。


 ヨウコさんの事務所でも一週間ほど余震がつづき、仕事が手につきませんでした。

 天井の照明や書棚の倒壊で大量の廃棄物が発生し、片づけに数か月を要しました。




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