人がに死にそうな青空でした
篠崎亜猫
人が死にそうな青空でした
重たい音がして、真夏の日差しがいきなり、まだらにさえぎられた。
授業完全シャットアウトの昼寝を遮られてぼんやりしたまま、シズは窓の外に首をひねった。生ぬるい木の板の感触が気持ち悪くて、凝り固まった肩が痛くてしょうがない。錆び付いた人形のようにぎこちなく起き上がった瞬間に、落下してくる男子生徒と、バッチリ目が合った。
棒でブッ叩かれて破裂したスイカのような人体だった。ぐつぐつに煮えて、真っ白になった皮膚が、血と青空と綺麗なコントラストをなしていて、まるで芸術作品みたいだった。
頭皮の毛穴が全部開いて、ドゥと汗が噴き出した。胃の腑から下がキンキンに冷えて、動かなくなった。歯の付け根が、突然バグったゲームみたいに踊りだす。
昼間の男子だ。
死体が太陽を背にしていたせいで、逆光で目が焼ける。
「ほらよ」
シズの背中をシャーペンでつついてタオが小さく笑った。真夏、教室で一番日当たりがいい席にいながら、タオは嫌に上機嫌だ。
「今日は天気がいいからね」
いまさら動き出したクーラーが、教室をかび臭いにおいで満たした。
蝉の声が聞こえないのがおかしいと思えるくらいには暑い初夏の日だった。
汗かきな自分へのせめてもの抵抗で、なるべく日陰を通るようにしていたら、いつの間にか車道に出ていたらしくて轢かれかけた。怒鳴るオヤジの声をBGMに、鈍器みたいな教科書の詰まったかばんを持って走る。普段は気にならない制服の膝丈スカートが嫌にまとわりついてくる。
また汗がにじんだ。
せっかく日陰を通っていたのに。
噛み締めた歯の隙間から、苦い汁が出てきそうだった。
待ち合わせ場所である公園の前では、すでにタオが待っていた。
「シズおそーい」
「ごめん」
「許さない」
「そんなに……?」
言いながら、とぼとぼ学校への道を歩く。風なんて吹きやしない。タールみたいな通学路だ。
ぬるぬるしたゼリーのような空気の中を突き刺すフォークみたいな日差しが乙女の柔肌を攻撃してくる。そんな中を痛みに耐えながら、したくもない勉強のためだけに進軍するのだ。
「勉強、やだなあ」
口に出してみると現実感がなくなった。本当に嫌なんだっけ。嫌って何だっけ。
「学校もやだなー!」
「何、シズ勉強嫌い?」
「好きな子はいないんじゃない?」
「んー、ユウとか好きそう。ほら、あたしの隣の列の子」
「あっ、それはわかるかも」
「……でもさ、今日はいい日になりそうだよ。もしかしたら勉強もしなくていいかも」
「なんで?」
「空を見てごらんよ!」
タオが小走りにシズの前に回り込む。バッと手を広げて言った。一緒にポニーテールも広がった。
「すごく青いじゃない!」
すこしだけ、風が吹いた。
「……で?」
「ン、ンー、わかんない?」
「いや普通わかんないっしょ」
「えー?」
「おいてくよ」
まってよーと叫ぶタオを無視してまた歩く。前髪はもうシャワーを浴びた後のようにぐっしょりぬれていた。空が青いから勉強しなくてもすむなんて、ただの莫迦だ。怠慢だ。妄想だ。世の中なんて砂糖で丁寧にコーティングされた不平不満を食わんと、やっていけないものなのに。
それでも、あの気楽さがうらやましいような気がして、汗とは別のしょっぱい何かが肌にしみた。
「そうだよ、でも俺やさしいじゃん? オンナノコ虐める趣味ないんだよね」
「そうそう、だから、お引き取りくださるとうれしいわけですよ俺らは」
「あ、ハイ、あの、すみません……」
最悪な昼休みである。勉強と教師から解放される素晴らしい休息の時を、ダルい男子生徒に邪魔された。使われていない椅子と机が積み上げられた、屋上に続く階段は、ベストポジションだと思ったのに。結局朝から昼までみっちり4限分授業を受けて、シズの機嫌は底辺だった。タオの冗談を律儀に信じた自分が悪いのだ。そうだとわかっているのに悔しくて仕方ない。
男子生徒たちは、自分たちの方が年上だから、シズとタオなど口も手を出せないと踏んでいるのか、にやにや顔の3人はじりじり距離を詰めてくる。
大事にはしたくなかった。それなのに、謝って、男子生徒の脇を通り抜けようとしたシズの腕をタオはぐいっとつかんで、「持っててね」と弁当を押し付けた。
「エェト、あたしバカだからよくわかんないんだけど、先輩らをノしたらここ使っていいってことスか?」
「いやそうだけど、キミ喧嘩なんかできないでしょ?」
「はあ、まあ」
「でしょ? だからおとなしくさあ、ほかのとこ行ってくれるかな」
「や、それはいやっス」
「は?」
「ふざけてる?」
「別に」
「じゃあ俺らがお前らにどうしてほしいかわかるっしょ」
「こうっスか?」
タオは手近な椅子で一番近くにいた男子生徒の横っ面をひっ叩いた。男子生徒は「コッ」と言って鼻血を出しながらコマのように回転した。そのまま頭から階段の踊り場に落下する。
椅子は勢いのままタオの細腕を離れて後ろの窓ガラスを割る。粉々になったガラスが馬鹿みたいにキツイ真昼の日差しを受けてタオの雄姿にハイライトを入れた。
「聴き分けねえなあ」
「ワッ、やりやがったこいつ!」
「退学しろブス!」
残りの2人は尾を巻いて階段を職員室のほうへ駆け出した。気絶した生徒は、あとの2人に引きずられて、退場しようとしている。
「死にさらせや」
タオはトドメとばかりに、傍でほこりをかぶって積んであった机をけり倒した。ガゴンガゴンと机が跳ねる。
無邪気な鉄と木の塊は、しかし無慈悲に二人の後頭部チョイ下を狙って降り注いだ。
ボゴッと何をへこませたような音がして、男子生徒2人は、一緒に「げォっ」と言ったきり動かなくなった。
シズは、急な展開についていけなくて、もう股関節から下が全部クラゲみたいにフワフワになってしまったので、ビッショリ汗をかいたまま端っこのモルタルの柱にもたれていることしかできなかった。
熱い空気が肺を焼いて脳を煮た。
「よっしゃシズ、お弁当食べよ」
「あ、あれ、死んだ……?」
「ンー、わかんね」
「そ、そ、そか……」
「私はお医者さんじゃないからなあ」
「ね、ねえ」
シズは必死にタオの袖に縋りついた。いまタオは、シズにとって一番恐ろしくて、一番頼りになる友人であった。
「ふ、復讐とか来ないよね」
「誰が」
「あいつらだよ!」
「あはは、心配性だな、大丈夫だよ。お天道様はちゃんと全部見てるんだからね」
太陽がひときわ強く照って、シズとタオの肌を、ザクザク刺し貫いていった。
人がに死にそうな青空でした 篠崎亜猫 @Abyo_Shinozaki
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