短編:キューポラが出る街
のいげる
第1話 キューポラが出る街
キューポラ(名詞)
1)屋根やドームや塔の上に建つ小さな半球形の建造物のこと。
2)装甲戦闘車両の砲塔上に設置される凸部、もしくは塔状の設備。
今日のアフターファイブは彼女とのデートだ。奮発して予約しておいたレストランを訪れ、その味に舌鼓を打つ。
食事には満足だ。だけど毎日通うには高すぎる。ここも一度限りだな。
その後は二人で繁華街の街をぶらつく。
「最近何か変なのよね」彼女がしきりに後ろを振り返りながら言う。
「いつも誰かに見られている気がするの」
「おい、おい、ストーカーがついているとでも言うのか?」
俺はちょっと驚いた。まさか彼女がこんなことを言いだすなんてとの思いがあった。結構天然な子なのだ。神経質とはほど遠いはずなのだが。
俺もちらりと後ろを見てみた。
真っ赤なポストの上にキューポラが乗っていた。そう、戦車の上に突き出ている覗き穴のついた丸いでっぱりだ。それは少し緑がかった灰色をしていて赤のポストの上では非常に目立っていた。
その覗き穴の中から何かがこちらを見ているような気がして、背中を冷たいものが滑り落ちた。中から目玉が覗いていように見えたのだ。そんなことは無いはずなのに。
キューポラは少しだけその場にあったが、やがてポストの上面に吸い込まれるかのように沈んで消えていった。
俺が後ろを見てるのに気が付いて彼女が振りむいた。
「ほら、誰もいないじゃないか。気のせいだよ。気のせい」
俺は笑ってみせた。彼女はじっと俺の目を見てから、顔を背けた。
嫌われてしまっただろうか?
俺はすっかりと彼女に参っているので、それだけは困る。
大通りではデモが行われていた。群衆は手に手にプラカードを持っている。そこには何かの写真が引き伸ばされて貼りつけられている。
学校のプールの水面から突き出たキューポラの写真だ。その横に並ぶプラカードは何の変哲もない壁から真横に突き出たキューポラの写真だ。他のどのプラカードにもトンデモない所から突き出たキューポラの写った写真が貼りつけてある。
デモの中心で手にメガホンを持ったリーダーらしき男が叫んでいる。
「皆さん。このキューポラの写真はどれも捏造ではありません。これらのキューポラを使って、政府は我々を常に監視しているのです」
周囲の群衆はスマホを取り出してこのデモを撮っている。じきにSNSはデモの映像で一杯になるだろう。
帰ってネットを覗いてみた。我々は謎のキューポラに監視されているという論調から、キューポラはUFOの仕業というもの、すべてはカルト集団が背後にあるというコメントまである。
こんなコラ写真を信じるのは頭おかしいのではないかと辛辣な意見を投げておいた。
一人っきりの寂しい夕食を終えリビングで寛いでいるとテレビで特集をやっていた。
画面の中では例のプールの水の上に浮かんでいたキューポラの写真が流されていた。評論家たちがあれやこれやと議論していて、最後にプールの水面にキューポラが出ているのに水面下には水しかないことが指摘され、これは捏造写真であると結論づけていた。
その他の写真も色々と公開され、その中には今まで見たことのないものも何枚か入っていた。壁、床、場合によっては天井から突き出したキューポラが写っている。
これはきっと同じコラ職人がシリーズとして作っているに違いないと問題提起をして番組は終わった。
いつもの何の結論も出ない適当な番組だ。
話題になっているキューポラは戦車などについている覗き穴付きの小型の塔である。どれも同じ大きさ、同じ形である。残念ながら覗き穴の内側までは写っていない。目撃談の中ではその中からたしかに人間の眼が見つめていたと語るものもある。
キューポラが現れる理由は誰にも分らない。それはどこにでも出現するし、すぐに消え去ってしまう。
どんな異常事態でも人は慣れてしまう。やがてキューポラを話題にする人間はいなくなり、今では例えそれを見た人がいても、きっと何か良いことがある前触れだろうぐらいの扱いになった。
*
俺は欠伸を堪えながら職場の廊下を抜けると、扉のロックを解いて作業部屋に入った。
部屋につけられているのは最新式のセキュリティであり、俺以外はこの部屋に入れない。これから八時間はこの部屋から出ることは許されない。部屋の中には小さなトイレもついているのでそれも何とか可能である。部屋は時間シフトの異なる三人で共有している。俺の時間が終われば次の人間と入れ替わり、部屋自体は二十四時間休むことなく使われる。
制御卓に座り込み、椅子の高さを調節する。八時間連続で座り続けるのだから、できる限り心地よい姿勢にするのは重要だ。
自在アームの先端に取り付けられたケーブルだらけのヘルメットを引き寄せる。それを頭に嵌めると、細長い四角の視界が俺の眼前を埋める。このヘルメットの先は電子的に観測キューポラへとつながっている。
観測キューポラは素粒子共鳴平面理論とやらに基いて作られている。それは一定の滑らかさを持つ平面ならどこでもランダムに繋がり、観測キューポラを転送することができる。
科学の進歩の間違った使い方。心の底からそう思う。もちろんこれはオペレータの俺が言ってよいことではない。
この施設が国の持ち物である以上、その目的はもちろん、国民の監視である。
素粒子共鳴平面はランダムにどこにでも生じる。それはプールの水面や、垂直な壁、女性の持つブランド物のバッグの内側やショッピングバッグの横面などがすべて含まれる。もちろん風呂場やトイレもお構いなしだ。国民が騒ぐ理由も分かるというものだ。
これは絶対に国民に漏らすことができない秘密だ。もちろん俺はすべてを知っているが誰にも言うつもりはない。機密漏洩は禁固六十年にも及ぶ重罪だと通告されている。もし漏れたらデモどころではない騒ぎになるし、政府がそれを漏らした奴の人生を悲惨なものにするのは間違いない。
ボタンを押す。眼前の光景が一度乱れてから切り替わる。見えたのはどこかの排水溝の内側だ。観測キューポラの出現場所が記録され、同時に映像も記録される。音声も少しは聞こえる。こいつが臭いの類を拾わないのは有難い。
ネズミしか見えないのでまたボタンを叩く。画像が切り替わる。
今度はどこかの公園だ。日差しがまぶしい。観測キューポラが出現するにはキューポラの専有面積よりも大きなサイズの平面が必要だ。だからデコボコしている芝生の上には出現できない。となるとキューポラは道路の上に出現したということになる。このままではキューポラに通りかかった車が衝突しかねない。そこでまたボタンを押した。
次の光景は上下が逆さだった。頭の上を風景が少しづつ流れていく。キューポラが飛行機の下面に突き出たのだと理解した。しばらくそのままその絶景を眺めていたが、じきに飽きてボタンを押した。
今までの所は特に報告するべき光景はない。
政府はちょっと神経質になりすぎだと俺は思う。今のところ世の中は平和だし、特に政治に不満があるわけでもない。
勤務時間の間中ボタンを押し続けた。
弁当を食べ終わり、コーヒーでも一杯と考えていたときにその光景に出会った。
キューポラが出た先はどこかの部屋の中だ。いくつもの器材が並び、その間を無数の蛇を連想させる配管が通っている。
男が一人、向こう向きで座っていた。頭には俺が今被っているのと同じヘルメットを被っている。
びっくりだ。キューポラ観測室に観測キューポラ自体が出るなんていったいどういう確率なんだ。キューポラ観測室が他にいくつあるのかは知らないが、こんなことなら宝くじを買っておけば良かった。きっとこの爆運を持ってすれば特等が当たっていただろう。運の無駄遣いとはこのことだ。
男の横には時計がある。この部屋に置いてあるのと同じものだ。いつもこの時計を睨みながら、仕事が終わる時刻を今か今かと待つのが日常なのだ。
映像の部屋の中は時計が置いてある位置も同じだ。映像の中で男がちらり時計を見る。こちらも釣られて時計を見た。映像の中の時計の方が少しだけ進んでいる。
ふと感じた。誰かが俺を後ろから見ているようだと。
逆に俺は映像に注目した。男の姿にどことなく見覚えがあったのだ。服のサイズが体よりも少し大きく、右の袖を少しまくっている。
理解が訪れるとともに見えている光景が明確になった。
あれは俺だ。俺は今、自分の後ろ姿を見ている。俺の背後には今、観測キューポラが突き出ているはずだ。
だが、映像の中の時計の方が進んでいる。これは昨日の俺の姿なのか?
いや、今来ている服は今日から下した新しい服だ。
となれば答えは一つ。素粒子共鳴平面理論で突出するキューポラは時間軸上でもずれた位置に出現するのだ。大学の助教授を辞めてこの職についたときにさんざこの理論については勉強をした。あまりに難解なので朧げにしか理解できなかったが大事な所は捉えている。宇宙は無数の平行宇宙の繋がりの最大公約数で出来ていて、その中には過去も未来も一つの現在として等価に存在するのだ。
そこで映像の中の俺が振りむいた。確かに俺の顔だ。朝、ヒゲを剃るたびに鏡の中に見える俺の顔。
とすると俺はあと数秒で後ろを振り向くことになる。そう考えると首筋が妙にムズムズした。
そこで俺の頭の中の天邪鬼が囁いた。ここで俺が振りむかなかったらどうなる?
タイムパラドックスの出来上がりだ。
俺は振り向くのを十秒ほど我慢してみた。これで俺が見た未来の光景は否定されたことになる。それから意を決して振り向く。背後ではキューポラが消えて行く所だった。
部屋の扉が開かなくなっていることに気づいたのはその後だった。
部屋は完全なる密室になっていた。それでも酸素が尽きることはなく、腹が減ることも喉が渇くこともなくなった。
長い長い時間を俺は考えた。
俺はタイムパラドックスを引き起こした。現実はタイムパラドックスを受け入れる代わりに俺の周囲の空間を自分自身から切り離した。なんとエレガントで無責任な解決策。
だからもうここから出ることはできない。俺が外に出れば現実の存在に矛盾が生じてしまう。
しまった。俺は何ということをしてしまったのか。だが後悔してももう遅い。
この惨劇の中にもたった一つだけ救いがあった。
キューポラだけは今までと同じように動作するのだ。
俺はもはや眠らない。ボタンを押し続け、今や俺が永遠に失ってしまった街の中を見て過ごす。
たまに彼女の姿を見つけることがある。
現在の彼女の姿だけではなく、過去の彼女の姿や未来の彼女の姿もその中にあった。現実から切り離された俺のキューポラは一切の制限を失ったようなのだ。もはや俺が何をしようがパラドックスは起きない。
おれは彼女を見つけるとボタンを押す手を止めて、その姿をいつまでも見つめ続けるのだ。
短編:キューポラが出る街 のいげる @noigel
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