第10話 光一

 妹のクラスでは、好きな子の話で盛り上がっているらしい。

 中学校に入り、途端に周りが色恋沙汰で忙しくなった。

 ずっとサッカー部でさほどそういう恋愛には興味がなかったが、周りの連中がにわかに即席カップルを作ったり、後輩から告白されたりするのを見ると、ちょっとそわそわする。

 珠希とお隣の葵はずっと仲が良く、いまだにしょっちゅう葵は家に遊びに来ていた。

 ふたりとも中学生になり、ちょっと前までガキくさかったのに、途端に色づきはじめた感じがする。

「お兄ちゃん、うちのクラスで人気あるよ」

「うん。かっこいいって言ってる子、多いと思う」

 ふたりに言われると悪い気はしない。

「いいなぁ。かっこいいお兄ちゃん、私も欲しかった」

 葵は羨ましそうに言った。

 そういう葵は、中学に入ったときから、三年の男子の間で話題の的だった。たしかに、派手ではないが整った顔立ちの華奢な葵は、男たちから人気がある。

「あんた、珠希だけじゃなく、葵ちゃんのこと気をつけて見てあげなさいよ。変な人もいるんだし、最近急に大人っぽくなってきたから」

 母さんに何度か言われたことがある。葵に変な虫がつかないように、と間接的に言われているらしい。

「葵だって好きなヤツくらいいるだろ。別にいいじゃん、付き合ったって」

 そういうと母親は、さっと青い顔になった。

「葵ちゃんは井上家の大事な預かり物なのよ。傷物にしたらどうするの」

 傷物、という時代がかった母親の言い方に思わず笑ってしまった。

「俺も不良とかそういうのならヤバいと思うけど、ちゃんとした普通のヤツならいいじゃん。珠希と一緒だろ」

 そう、たとえば俺みたいな。

 母親は相変わらず厳しい顔をしていた。


 毎日顔をお合わせる葵に、特別な感情がないかといえば微妙なところだった。葵はたしかに可愛いし、変な家庭環境なのに驚くほど素直で裏表がなかった。妹のよう、が一番しっくりくるけど、もちろん妹ではないのだ。葵は一番身近な他人で、普段は気づかないけど、外から見ると葵はとても魅力的な子だった。クラスで葵の名前が出るたび、背中がひやっとする。もし自分が葵と付き合ったら、と思うことがある。

「あんたも葵ちゃんのこと、好きになったりしちゃダメよ」

 自分の心を見透かしたような母親の、いやに冷たい声だった。

「なんだよ、それ」

「葵ちゃんのお家は、普通のお家と違うんだから。商売をやってらっしゃるし、葵ちゃんを引き取ったのも理由があるのよ。うちと同じような家の子だと思ってちゃダメよ」

 母親の言葉は嫌な感じに響いた。ずっと俺が葵にもっている違和感の一部を言い当てられたような気がした。

 たまに葵の家のお手伝いさんの育代さんとうちの母親が、家の前で立ち話をしていたこと。葵のあの家での宙ぶらりんな扱いのこと。葵があの家に引き取られた理由。

 巧妙に子供たちには隠されてるけど、そこには明らかな作為が感じ取れた。

「葵って、あの家に何でいるの。引き取られたわけじゃないんだろう」

「あんたはそんなこと知らなくていいのよ。ご両親がいなくて、ひとりで頑張ってるんだから、優しくしてあげなさい」

 だったら、何で葵を好きになるな、なんて言うんだよ。

 母親の言葉は矛盾だらけだし、葵のあの家での立場は相変わらず分からないままだった。

 葵だって、自分があの家にとって何なのか、疑問に思わないはずないじゃないか。


「光一くんて、東高に行くって本当?」

 家に遊びに来ていた葵に聞かれてぎくりとした。

 葵と珠希はその日、中間テストが終わって、開放感いっぱいのまま、制服姿で居間のダイニングでお菓子を食べていた。

 東高はこのあたりでトップの進学校になる。頑張ってはいるが、合格できる保証はやっぱりないのだ。特に俺は中三の夏まで野球をしてたから、これから追い上げなくてはいけない。

「一応な。あんまり言うなよ」

「お兄ちゃん、意外にびびりだもんね」

 珠希が余計なことを言う。こいつは昔から要領が良く成績がいいのだ。このままだと東高を志望するはずだった。

「私には難しいかなぁ。東高…」

「一緒にしようよ。高校でも葵ちゃんと一緒にいられたら絶対楽しい」

「うん…」

 浮かない顔をしている葵にピンときた。

「葵、萌絵ちゃんと同じ高校にしろって、言われたのか?」

 葵がぎくっと言う顔をする。萌絵ちゃんの言っているM女学院は、しっかりした家の親が娘に通わせるような昔ながらの私立の女子校だった。萌絵ちゃんは小学校からそこに通っている。

「そうなの?」

 珠希も驚いている。

「うん…。琢磨さんが、そういう方法もあるよ、って。私立の高校は考えてなかったんだけど」

 母親が言った変な虫、という言葉が浮かぶ。確かに公立に行くより、私立の女子校に行った方が親は安心なのかも、とは思うけど。

「葵がいいと思うならいいけど。でも偏差値的には東高の方が高いよな。大学の進学率も」

「うん…」

「琢磨さんも、絶対M女学院にしろって言ってるわけじゃないんだろう?」

「うん。どこでも好きなところにするのがいいって」

「だったら、葵も東高にしろよ。別に今だって成績が悪いわけじゃないんだし。頑張ってみろよ」

「そうだよ。一緒の高校にしよう」

 珠希もクッキーを齧りながら賛成する。

 俺はこのタイミングで、普段何となく気になっていたことが不意に口をついて出た。

「琢磨さんって、葵の親代わりなのか?」

 葵がハッとした顔をする。多分珠希も。何となく、三人の間にピリッとした空気が流れた。

「そう、なのかも…。三者面談に来たのは琢磨さんだった」

「マジ?」

 俺もこれには驚いた。てっきり育代さんか萌絵ちゃんのお母さんの綾子さんが行くと思ってたからだ。

「本当は綾子さんが来てくれるはずだったの。でも用事があって、急に琢磨さんになったんだけど」

「何だ、そういうことか」

 俺は何となくほっとした。確かに琢磨さんはかなり俺たちより歳上だけど、親代わりにはなんだか違和感がある。三者面談に行ったから、葵と進路の話もしたのだろう。

「だったら、もう一回ちゃんと考えてみろよ。もし勉強見て欲しいなら協力するし」

 自分が高校に受かる前から、葵の勉強を見る話をしていて、変な感じだ。

「うん、考えてみる」

 真剣な顔をして頷く葵の、ふっくらした頬がとても可愛らしく見えて、俺は思わず目を逸らしてしまった。

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