第9話 お隣さん

 萌絵ちゃんの予告通り、葵は次の日に、隣の家の(萌絵ちゃん曰く、赤い屋根のおうちの)珠季ちゃんとその兄である光一くんに紹介され、一緒に学校に行くことになった。

 葵の学校生活はこのお隣の珠ちゃんのおかげで、とても過ごしやすいものとなった。珠ちゃんは色白のおっとりとした子で、葵ととても波長があったのだ。育代さんに引き合わされてからすぐに仲良くなり、同じクラスになった学校でも、帰ってからも珠ちゃんとばかり遊んでいた。

 仲良くなっていく妹と葵の様子を、静かに見守るように、光一くんは毎朝、葵と珠ちゃんの後ろをゆっくりついてきた。

「萌絵ちゃんも転校したいって言ってたよ」

 葵が家での会話を話すと、珠ちゃんは目を丸くした。

「萌絵ちゃんはお嬢様だもん。私立の学校に行ってるんでしょう?」

「うん。ピアノのお稽古もしてる」

「たまにおうちにお呼ばれするけど、すごい豪邸だよね。葵ちゃんも私立の学校に行くと思ってた」

 珠ちゃんにそういわれて、葵もしばし考えた。たしかに自分は萌絵とは立場が違う。でもあの部屋にしろ食事にしろ、萌絵とは分け隔てなく接してもらっていると感じていた。自分はあの家では一体どういう立場なのだろう。

「私は私立の学校なんて行きたくない。前の学校も普通の学校だったもん」

 悩みを振り切るように言った。とりあえず、今の葵にとって、珠ちゃんと過ごす毎日が現実だった。

「そうだよね。じゃなかったら、こうして遊べなかった」

 二人はくすくすと笑いあった。

 

 新しい生活は、意外なほどうまくいっていた。

 大人たちと子供たちは厳格に分かられている、というのが葵の印象だった。

 初日に言われたとおり、啓一さんも綾子さんもあまり家にいない。それどころか、いても子供の前に姿を現さないのだ。

 朝、葵と萌絵ちゃんは、それぞれお手伝いの育代さんに起こされ、朝食を食べる。萌絵ちゃんは運転手さん(というのがいるのだ!これには驚いた)に送られて学校に行き、葵はお隣の珠ちゃんと、小6の光一くんと一緒に学校に行く。

 学校から帰ると、葵と珠ちゃん、どちらかの家の台所で宿題をし、そのあと、天気のいい日は久我家の広い庭や公園で、天気の悪い日は珠ちゃんの家で遊んだ。たまに図書館に行ったり、公民館に行ったりもした。萌絵ちゃんは、ピアノ以外にも習い事が多く(ピアノと日舞、水泳が萌絵の習い事だった)、学校の行事も多いのか、夕食前に葵たちと遊べる日はわずかしかなかった。

 夕食は、朝と同じでほとんど子供たちだけだった。啓一さんはたいてい仕事だし、綾子さんも出かけていることが多かった。お手伝いさんは育代さんのほかにも、離れを中心に仕事をしているトメさんもやってきて、葵たちの面倒をよく見てくれる。

 数日に一回くらい、離れにいる久我家の当主であるおじいちゃんもおばあちゃんもやってきた。といっても、子供たちに興味はない様子で、そこに来る琢磨さんやお手伝いさんの方に用事があってくるようだった。

 琢磨さんも一週間に何度か、家にやってきた。

 葵と萌絵ちゃんと話すこともあったが、ほとんどは、離れにいる当主とお話をしにきているのだ。そして、前に琢磨さんが言っていたとおり、この家にはお客が多かった。母屋にはお客がくることはないが、離れにはスーツ姿の大人たちがしょっちゅう出入りしており、おじいちゃんや琢磨さんと何やら仕事の話をしているらしかった。そのうち啓一さんもそれに加わったり、綾子さんも途中で参加したりと、母屋とは別世界が離れでは繰り広げられているらしかった。

 子供たちが離れに来ることは、厳格に禁止されていたかから、お客が多いときなど、葵と萌絵ちゃんは完全に放っておかれ、ふたりでテレビを見たり、ピアノを弾いたりしていた。

 葵の生活はおおむねこのようなものだった。


 いつものように葵と珠ちゃんがふたりで公園で遊んでいるときだった。ふたりでブランコに乗っていて、その周りには誰もいなかった。

 珠ちゃんはちょっと真剣な顔をして、葵ちゃんって、と切り出した。

「あのおうちに貰われたと思ってたんだけど、違うの?」

 珠季のストレートな質問に葵も面食らった。

「たぶん、違うと思う。苗字もずっと別だし」

「そうだよね」

 葵も何となく自分のあの家での立場が分かりかねていた。何となく、萌絵や周とは自分は立場が違うことを意識していた。もちろん実子なのだから立場は違うのは分かる。しかし、葵は萌絵と一緒に食事をし、変わらず遊んでいた。違いといえば日中に通う学校程度なのだが、そういう意味とは別に、葵は萌絵と周の両親からはさほど手をかけてもらっていないと感じていた。その程度でいえば萌絵も似たようなもので、もともと忙しく放任主義なのかもしれないが、例えば葵がどの学校に通うべきか、とか萌絵と同じように習い事をさせるべきか、といった些細な葵に関することを決めたとき、その決定権は琢磨にあるような気がしたのだ。

 例えば、学校で何か必要なものがあり、育代さんにその旨を伝えると、さらりと、「ええ、じゃあ琢磨さんにお伝えして買いに行きましょう」と言われる。葵の金銭に関することの一切は琢磨が行っているようだった。そして、それは葵の日常生活全般に及び、実際葵はたまにやってくる琢磨に、何かしたい習い事はないか、とか、学校や家で暮らす中で足りないものはないか、ということを幾度か聞かれていた。

 どうして琢磨さんが私の世話をするのだろう。

 その素朴な疑問は、数年後に思わぬ形で解決することとなった。


 

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