最後の映画『無題』
佐倉じゅうがつ
世界が泣いた作品
ひとりの映画監督が死んだ。世界的に有名な男だった。死の前日に完成したという新作は、100億ドルを売りあげた。
映画のタイトルは『無題』だった。
61分のあいだ、真っ暗で音もない『無』の作品。人々は監督の表現に思いをはせた。この映画はなにを伝えたかったのか。なにも持たないことが自己完結だったのか。表現を放棄し、表現しないことを通じた体験がつまっていたのかもしれない。
インターネット、新聞、雑誌。さまざまなメディアがレビューをあげた。
「言葉にできない究極の映画体験」
「思考の余地を与え、人生に新たな発見をもたらした」
「映画の限界を超えた芸術」
「『無題』は、これまでにないほど私の感情をゆるがした」
「映画の力を改めて実感させる驚愕の作品」
「ひとりひとりにとって異なる意味を持ち、自由な発想をかりたてる」
「言葉にできない感動」
「唯一無二の手法」
「歴史上かがやく、革新的な作品」
「没入型の映画体験」
批評家たちの絶賛のコメントがならび、監督の遺作は、世界の心をとらえて離さなかった。
20年後、監督の息子がインタビューにこたえ『無題』の真相を暴露した。
「当時、父はすっかりボケてしまってました。しかし、カメラを持ってないと暴れるので、レンズとマイクを取りのぞいたカメラを持たせたんですね。録画ボタンを押しても、なにも映りません。ある日、母が言ったんですよ。『作品だといえばこれも金になるにちがいない』ってね。映画会社に持ち込んだ次の日、父は息を引き取りました。いいタイミングでしたね」
そして『無題』のリバイバルブームが巻き起こった。
「なにもないことがこんなにも美しいものだと感じさせられた」
「最初は疑問に思いましたが、次第に感性が刺激され、感動しました。」
「人生がより豊かに感じられるような気がします」
「無がこんなにも意味を持つことに気付かされました。」
「世界が変わった気がしました」
暴露のあとも『無題』は人々を魅了したのだった。家族が金のために『作品』だと主張した映像データから、どんなメッセージを受け取ったのだろう?
だれもわからない。
最後の映画『無題』 佐倉じゅうがつ @JugatsuSakura
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