第8話 えてして

 暴力はなにも生まない。けれど、あらゆる物事に決着をつけてきた。

 誰の言葉だったか。

 思い出せはしないが、たしかにそうだなと、残酷な現実にヴォルクは胸のうちで頷いた。


「そいつを殺したところでなんの意味もない。たとえそれが貴様の本能だとしても」

 叫ぶほどの力はないものの、ヴォルクの声はラスの胸を打つには充分だった。

 耳鳴りのように煩わしいが、それゆえに意識を奪う。

 トリガーに乗せた指が強ばる。しかしラスは刺すような視線は崩さずヴォルクに向けた。

 ラスが口を開く前にヴォルクは続けた。

「強者とは、断罪者ではない。勝ち続ける強さはその者を孤独にさせる」

「違う。弱いから群れる。弱者を庇護しようとした貴様らは、最終的に立ち行かなくなった。ならば最初から、この世界は強者だけで構成されるべきだ。それがマムの願いなんだろ? なあ、ウイルスをばら蒔いた張本人よ」

 ラスは銃口の先に視線を戻した。マムは慌てて首を横に振る。

「まって、私はたしかにこの世界は強者のみが選ばれた世界だと悟った。だからあなた達のような、この世界の理に適応できる『ヒト』をつくった。だからって私がウイルスをばら蒔いたですって? 私ひとりで世界中の人間を感染させるなんてできるわけがないじゃない」

「感染力が高ければ人間がいる限り容易く伝染する。不可能ではない。現に歴史上、世界各地に広まった伝染病は記録されている。ちなみにマムじゃないとしたら誰なんだ? まさか突然変異で発生したなんて、科学者らしからぬことを言うんじゃないだろうな?」

 エリルはちらりとイズマを見やった。イズマはその視線にどう答えていいのかわからず目を逸らした。

「ウイルスについては私たちもあらゆる手を使って調べたわ。でもほんとうになにもわからなかったの。そもそも世界中の機関の手にかかっても、あのウイルスの構造式は未発見のものとの回答が出ている。私だっていち研究者としてこんなことは言いたくないけど、未知の構造体としか言いようがないわ」

 しばらくラスはエリルと視線を合わせたあと、小さく嘆息してからライフルを下ろした。

「俺たち『ヒト』が弱者を淘汰するようつくられたのなら、今その本能のままに人間を殺せば、それは俺の意思というよりマムの意思に沿ってのことになる。弱者淘汰はマムの憶測を俺に植え付けただけだとしたら、俺はただの手先になるために生まれてきたとは癪だ。それにマムには詳しく聞かせてもらわねばならない。俺がこのオオカミと血を分けた理由……」

 ラスの視線の端で何かがゆっくりと動いたかと思うと、ずしりと重たい音がアスファルトから足元に伝わるほどに聞こえた。

「ひっ……―!」

 足元に倒れたヴォルクにイズマは小さな悲鳴をあげつつも、すぐさま携帯端末を取り出して緊急用のアプリをタップする。だが反対の手で口元を押さえぎゅっと目を瞑った。まるで視界から血塗れで横たわるヴォルクを排除しようとするように。

「ごめんなさい……」

 押えた手のひらの隙間から、イズマは懺悔を漏らした。

 優秀なAIによってすぐさまアラート音がなり、先ほどトコを運んだ救護用に変形した掃除ロボットが駆けつけた。

 自動走行のストレッチャーがヴォルクの側に到着するなり、キャスター付きの四脚の中程から折り畳まれ、ヴォルクの身体の下に台座が滑り込み、甲高い駆動音と共に四本の支柱は滑らかな動きで元の位置に戻る。

 ヴォルクの体格から見ても、ゆうに百キロ近くはあろうその身体を容易く持ち上げ、本来のストレッチャーとして救護室へと走り去って行った。

 ラスもその後を追うためにもう一度バイクに跨った。

 イズマもおぼつかない足取りで研究棟へと歩きだす。

「ラス」

 身じろぎもしないエリルは血の跡に視線を落としたままラスを引き留めた。

「マム、俺はマムたちが遺伝子操作によって作りあげたウイルスに淘汰されない個体だ。偶然の重なり、いわば奇跡ともとれる事象によって誕生した尊い存在ではない。意図して生まれたならば、その意図を汲み取り忠実に生きるべきだろうが、残念ながら俺とトコに違いがあるように、俺たち『ヒト』にも個体差があるようだ」

「そうね、あなたとトコは違うわ」

 エンジンをふかしたラスは振り返りもせず、互いに背中合わせで言葉を交わす。そんな二人にいちどは足を留めたものの、イズマは向き直り研究棟へと向かった。

「それはつまり、トコにはあのオオカミの血は流れていない……いや、遺伝子は組み込まれていないということだな」

 エリルはすっかり青くなった空を仰いだ。

「そうよ」

 低く等間隔で響くエンジン音にかき消されないためか、エリルは声に力を込めた。

 背中を向けあった二人の間に、一時の沈黙が流れた。

 ラスはそれ以上を聞くことはせずバイクを発進させた。




 元『ハッケン』のメンバーにオオカミの身体構造についての知識もあっておかげか、ヴォルクは一命をとりとめた。

「君たちの身体は実におもしろいよ。君が許してくれるなら、いくつかの検査をさせてもらいたいくらいに」

 フレームのない眼鏡の奥で、コニー・ロサッティオはにこりと笑った。ヴォルクの叔母を解剖し遺伝子を取り出した罪悪感は、彼女にはまったくないかのように。

「遠慮させてもらう。貴様らに命を弄んだ天罰がくだることなら願うが」

「そう言うと思ったよ」

 コニーはさして残念そうでもない顔で軽く肩をすくめてみせた。

 肩まで伸びたブロンドの髪に、彫りが深く目鼻立ちがはっきりした顔立ちだが、エリルとは違い化粧っ気がないせいか、研究者たちの中では年長者に見える。

 ベッドから上半身を起こしたヴォルクは、身体に繋がれた計器と腕に刺さった点滴針に顔をしかめた。

「ただの栄養剤だよ。毒や身体に悪いものは入っていないから安心して」

 それからコニーは顎をしゃくって計器を指した。

「それも念の為、あなたの血圧や酸素量を計測してるだけよ」

「身内を殺したやつらの言うことを鵜呑みにするほどの馬鹿だとは思われたくないな」

「あなたが今どこにも不調を感じていないのが証拠じゃない?」

「むしろ生きて目が覚めたことが信じられないくらいだ」

 ヴォルクが身体に繋がれた点滴の針を抜こうとした時、救護室のドアが開いた。

「ラス、あなた鏡を見た? ひどい隈よ」

「夜中に騒いだやつのおかげだな」

 ラスは冷えた目でヴォルクを見た。

「自慢の武器を持っていないところを見ると、毒薬か何かで私を殺す気か?」

 ヴォルクは皮肉に笑ってみせた。まるでここで叔母のように殺されるのだと、すべてを失う覚悟からくる諦めの笑みだ。

 しかしラスはその皮肉にはなにも返さず、側にあった丸椅子を引いて腰を下ろした。

「まずは、怪我のことは謝ろう」

 ヴォルクは目を丸くした。コニーは意味ありげな笑みを浮かべている。そんな二人には構わずラスは続けた。

「どうやら俺は、この世界の理について正しく理解していなかったらしい。だがおまえに友好的な感情を抱いたわけではない。そこは勘違いするな」

 コニーはつまらない、といったふうなため息を吐き、デスクに向かう。

「むしろ友好的にされたら困るがな。それに貴様の誠意のない謝罪なんぞで許す気はない。が、どうこうするつもりもない。私のことはほっといてくれればそれでいい」

 言い終えるとヴォルクは今度こそ点滴ルートに繋がった針を抜き取り、計器から伸びるケーブルを引き剥がした。顔をいくらか歪めベッドから降りる様を見るに、身体は万全とは言えないようだが、ヴォルクは殺されるわけではないのなら、長居をする気はないらしい。コニーもそれはそうだろうなと、ヴォルクの行動を止めはしなかった。

 右足を引きずりながらドアへ向かうヴォルクがラスの横を通り過ぎようとした。

「おまえに許しを乞うつもりはない。憎んでくれていて構わない。だが、手を組まないか?」

 ラスの突然の申し出。これにはヴォルクも足を止めてラスに振り向いた。身体がもう少し言うことを聞いてくれるなら、その言葉にヴォルクはラスに飛びかかっていただろう。ヴォルクは辛うじて眉間に皺を寄せる程度で済ますも、強い口調で返した。

「私が貴様と手を組むだと? あれほど弱者と罵られた私が、貴様に加担するなどと思っているのか? だったらそのよっぽど知能に溢れた重い頭を下げてみるがいい!」

 ラスはヴォルクの剣幕にはまったく動じず、話を続けた。

「頭を下げる気はない。だがこれはおまえの、引いては種族の生存にも関わる話だと言ったら手を組む気になるんじゃないか?」


 先ほどまで命の奪い合いをしていた二人が手を取り合うには、まだまだ時間がかかるだろう。

 なのでヴォルクは『取り引き』と言葉を変えることで承諾した。

 これから一人の赤ずきんと、一匹のオオカミは取り引きを超えて手を組まざるを得なくなるが、それは長い旅路の先にある話だ。

 トコの記録のはじまりにはそう記されていた。



 第一章 完

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赤ずきんハザード 百舌 @mozuku5

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