第7話 赤ずきんの子

 手先が器用だった母親は、私に手づくりの服しか着せようとしなかった。

 葉を落とした枝はすっきりとしていて、どんよりとした空をいっそう物悲しくさせていた。冬の匂いを含んだ風が鼻先を赤く染める。

「雪が降る前に間に合ってよかったわ」

 朝食を済ませたばかりの私に、母は食べ終わるのを待っていたかのように、出来たばかりの赤いフード付きポンチョを私に着せた。鈍色の空に反抗するような、真っ赤なポンチョを。

 私は無邪気に「ありがとう、お母さん」と笑って見せた。母のつくる服はどれも流行を無視したデザインで、私は友人らにそれをからかわれるのが嫌だった。今思えば、それは母が子どもの頃に着たかったデザインなのだろう。

 こんな真っ赤な、しかもポンチョだなんて、古い映画や童話の中でしか見たことがない。「雪が降る前に」と言うが、寒さを凌ぐならば厚手のコートやダウンを着せるべきではないか。

 ……などと、早熟だった私は、母が新しい服を着せてくるたびに、いつも心の中で首を傾げていた。しかしそれを口にしてはいけないことも、賢い私はわかっていたのだ。

 もし、我が家が裕福であれば、母は服を手づくりしようとは思わなかったのだろうか。

 いや、きっとこれは経済的な問題ではないのだろう。しかし貧困が彼女を狂わせていたと気づいたのは、それから数年後のことだった。

 貧しさからくる劣等感が、彼女の唯一である器用さという武器を振るえる洋裁として、我が子に一風変わった服を着せ、他人との差別化を計ろうとさせたのだろう。

 現に、私の服を見た人たちは皆一様に「お母さんが作ったの? すごいわね、お母さん器用ね」と褒める。その優越感だけが、彼女の財産だったのだろう。娘が学校で「赤ずきん」「狼に食われちまうぞ」と揶揄されているとも知らずに。



 などと、エリルが幼少期のことを思い出したのは、研究室に響く耳障りな音のせいだった。

「まさかマゼンダがこんなに器用だったとは知らなかったわ」

 実家から持ってきたミシンを走らせながら、室長となったエリルの言葉にマゼンダは照れくさそうに笑った。

「昔から好きだったんです。うち、母が不器用な人で、お母さんの手づくりのバッグとか洋服を身につけてる子が羨ましくって。この子は私の子ではないですけど、こんなことになっても、自分の子どもに手づくりの服を着せる夢を間接的に叶えられて嬉しいです」

 断続的に上下する針の健気なまでの規則正しさに、マゼンダの背後に立つエリルは眉間に皺を寄せていた。

 望むとも望まずとも、ミシンの針は一心に布を刺し、糸を紡ぐ、をこなす。忠実な兵隊のように規則的なその動きに反してけたたましい駆動音を、エリルは嫌というほど耳にしてきた。おそらく母親の声より聞いた音だ。

「そう、きっとラスも喜ぶわ」

 エリルは当時そうだったように、意に反してにこりと笑って見せた。


 エリルの気持ちなど知る由もないラスは、マゼンダが作ってくれた赤いフード付きポンチョを気に入った。

 理由は「目立つから」だとか。

 もぬけの殻になった軍用施設に忍び込んだラスは、エリルたちにこっぴどく叱られたものの満足げな表情でモスグリーン色のライフルを大事そうに抱えていた。

 州の管理下に置かれた衛生管理局も軍用施設も、敷地は違えどそう遠い距離ではない。十歳になったラスが『ハッケン』を抜け出し、大人たちに見つかる前に侵入することができない距離ではなかった。

 聞けば、窓から見える軍用施設に何があるのかを聞いてから、ラスは脱走を計画していた。しかしラスは自分が昼間に外に出ることのできない身体であることも知っていたし、幼いながらに聡明だったトコにも止められていた。

 そこに、あの赤いフード付きポンチョをマゼンダが作ってくれた。

 日光に脆い身体を不憫に思ったマゼンダなりの気遣いだ。


「どうして赤にしたの?」

 エリルの重い声に、マゼンダは二日酔いなのかと尋ねようか迷った。だがそれなら余計な一言は伏せて、素知らぬ顔で質問に答えるのが賢明だとマゼンダは口を開いた。

「かわいいじゃないですか、赤ずきんみたいで」

 マゼンダはエリルの質問に屈託なく答える。

 ―馬鹿馬鹿しい。

 エリルは言葉と共にため息を堪えた。

 あの子らを、まるで自分の子どものようにめかしこんでやりたいと思うマゼンダに、エリルは更に母親を重ねた。

 あの子らはたしかに元『ハッケン』のメンバーが育てている。

 しかしそれは、まるで我が子のように……ではなく、新たな生物として。

 これは実験なのだ。履き違えるな。叶わないからと、彼女らを我が子にすり替えて埋まらない心を満たしているのなら、あの母親と同じだ。

 エリルは手持ちが底をついてから初めて、煙草が吸いたいと思った。


 さんざん叱られはしたものの、ラスはまだ十歳にも関わらず涙のひとつも見せなかった。

 それどころか、堪えるように歯を食いしばるその顔は、まるで向けられた怒りを憎んでいるようにも見えた。

 エリルはほくそ笑んでいるのをごまかすために、ため息をついて見せた。そして怒りなのか、悲しみなのか、身体を小刻みに震わせたラスの前にしゃがんで目線を合わせた。大人でもぞっとする鋭い視線と対峙したエリルは、捉えようのないものが腹の底から湧き上がるのを感じていた。

「ラス、どうして銃を持ってきたの?」

 ああきっと、この笑顔が引き攣っていることくらい、ラスは見抜いてしまうだろう。そうであってほしい気持ちを押し殺すのに、エリスは懸命に口角を伸ばした。

「敵を、殺すため」

 呟くような声だったが、ラスの目は『敵』を突き刺していた。

「敵って? 教えたわよね。この世界にはもう、元『ハッケン』のメンバーとあなたたちしかいないのよ」

 エリルは母親の物言いを真似ている自分がおかしかった。

「敵は、弱いやつだよ、マム。弱いやつが、この世界をだめにするんでしょ?」

 ほんものだ。この子は、きちんと完成している。

 エリルは、それでも言いつけどおりに赤いフードを被っていたラスの頭に手を添えた。彼女は、「狼に食われちまうぞ」などとからかわれるような、赤いずきんを着せられた少女ではない。

「それに」

 心酔していたエリルにラスは付け加えた。

「このライフルなら、敵に近づかなくてもいい」

「でもあなたは生まれつき目が悪いじゃない? それともトコみたいに眼鏡をかけてくれる気になったの?」

 ラスは首を横に振った。

「だってこんなに真っ赤なフードを被ってたら、敵の方から俺を見つけて近づいてくる。俺は耳がめちゃくちゃいいから、近づいてきたやつらがいたら、その音で場所がわかる」

 ラスは大事そうに抱えたモスグリーン色のライフルの銃身をひょいと持ち上げて、にこりと笑った。




「だめよラス、従姉妹を撃っちゃ」


 ああ、ラス。きちんと、人間も淘汰して。


 ラスの手に握られたモスグリーン色のライフル。

 あの時、どうして言いつけを破ってまでこいつを欲しがったのか、しっくりとくる理由がラス自身にもわからないままだった。

「そうか、そうだったのか。あの頃にはすでに、俺はどうしても武器を持たねばならないとわかっていたのか。俺には鋭い爪も牙もないからな。だから戦うには、武器が必要だった。そうなるように作ったんだろ? マム」


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