【劇用台本】糸巻堂、惑う

おかぴ

糸巻堂、惑う

1. 宝石店『明文堂』入口前


 英治「……あのー」


さなえ「なんですか?」


 英治「糸巻堂いとまきどう……先生は、どちらへ……?」


さなえ「ハァ(ため息)……だから何度も言ったじゃないですか。私と先生は二手に分かれてるんです。正面玄関は私の管轄かんかつなんですよ」


 英治「しかし……」


さなえ「何か問題でも?」


 英治「はぁ。だって……」


さなえ「?」


 英治「いや先生の見立てを疑ってるわけではないですよ? でも女の子……しかも子供って……」


さなえ「あちょっ」


(SE:秘孔を突いた音(ピプー!!))


 英治「ってあいたッ!? 脇腹わきばらがぁあッ!?」


さなえ「こう見えても私は先生の助手兼お世話係なんですよ? そんじょそこらの子たちと一緒にしないでください!」


 英治「だからって脇腹のツボを突かないで下さい痛いから!!!」


さなえ「これぞ中国拳法の一つ、秘宗拳ひそうけん……!」


 英治「分かりました! 分かりましたって!」


 英治「まったく……背中にお玉しょってるし……何なんですかそれ……」


さなえ「これですか? 私の武器です」


 英治「お玉が武器って、やっぱり子供なんじゃ……」


さなえ「あちょっ!」


(SE:秘孔を突いた音)


 英治「ぐぉわッ!? しびれるッ!? 腕がッ!?」


さなえ「(神谷明風に)ファニーボーン……ほあたッ!」


(SE:秘孔を突いた音)


 英治「んがぁあッ!? や、やめてください腕に電気が流れるッ!?」


さなえ「自業自得じごうじとくです!」


さなえ「さて……12時1分前……もうすぐですね」


 英治「うう……はい……でも予告状の時間通りに来るんでしょうか……」


さなえ「相手は天下の大怪盗の二代目……先代の遺志いしをキチンと受け継いでいるのなら、確実に来ます」


 英治「うう……出来れば来ないでいただけると……」


翁仮面『んふふふふふふ……ぁぁああーっはっはっはっ!!』


さなえ「!?」


 英治「来た!? ホントに!? どこ!? どこ!!?」


さなえ「上! 屋根の上にいます!!」


翁仮面『おまわりのみなさぁぁあああん! 厳重警備ご苦労さま!! でも今宵は私の勝ちね! ほらこの通り!』


さなえ「あれは……!」


 英治「オレンジサファイアの至宝『アステカの黄昏たそがれ』!?」


翁仮面『そのとおり! この黄昏たそがれ色に輝く美しいネックレス! ……すでに私の手中よ?』


 英治「バカなッ!? 建物の入口は全部ふさいでいたのにッ!?」


翁仮面『確かにすべて見張られていたわ……けれども! 私に侵入出来ないおうちは無いッ!!!』


(SE:マントヴァサァアアアッ と、着地するズサって音)


翁仮面『猫さんのようにどこにでも音も無く侵入し、そして獲物をしとめる……それが! 怪人! 翁仮面おきなかめんっ!!』


さなえ「降りてきた」


 英治「そ、そんな……あの高さから飛び降りて平気だなんて……そんなの、不可能だ……」


翁仮面『フッ……不可能を可能にする女……それが! 私!!』


(SE:マントヴァサァアアアッ)


翁仮面『おきなッ! かめんッ!!!』


 英治「ポーズ決めてる……な、なんてハレンチなポーズなんだ……」


(SE:ズサッて感じの、構えの音)


さなえ「コォ~……(なんか呼吸法的な雰囲気で)」


翁仮面『あらぁ。そちらの可愛らしいお嬢さんはどなた? こーんな夜遅くまで起きてると、私のようなナイスバデーにはなれないわよ?』


さなえ「私は真行寺しんぎょうじさなえ。先生の助手兼お世話係……兼、ボディーガードです」


翁仮面『その構え、秘宗拳ひそうけんね?』


さなえ「よくご存知で」


翁仮面『……先生って、どなた?』


さなえ「二代目、糸巻堂いとまきどう


翁仮面『ハッ(嬉しそうな吐息)』


翁仮面『ついに来たのね……二代目!!』


さなえ「ハァアッ!!!」


(SE:地面を蹴る音(ズサッ!的な))


 英治「ぇえ!? あんな高くジャンプ出来るの!?」


さなえ「ハッ!!」


(SE:ブオン(空振りの音))


 英治「ああっ……避けられた……ッ」


さなえ「ハアッ!!」


(SE:ブオン(空振りの音))


翁仮面『んん〜ん……いい蹴り』


さなえ「ハッ!!!」


(SE:ブオン(空振りの音)→受け止めた音(パシッ))


 英治「ダメか……足をつかまれた……ッ」


さなえ「クッ……やりますね。さすがは天下の大怪盗の二代目ッ……!」


翁仮面『いつまでも遊んであげたいところだけど、ご用事ができちゃったのよね』


(SE:ボンっ(けむり玉の音))


 英治「のわッ!?」


さなえ「け、けむり玉……ッ!?」


翁仮面『ごきげんよぉお~素敵なおまわりさんと可愛らしいお嬢さん。それではごめんあさぁーせあそばせぇえ~』


 英治「ゲホゲホっ!」


さなえ「クッ……!」


 英治「ゲホッ……翁仮面おきなかめんは……ッ?」


さなえ「もう消えました。逃げ足の速い……ッ」


 英治「す、すぐに包囲網ほういもうを敷きます!」


さなえ「相手は私の飛び蹴りをけるほどの達人です。おまわりさんたちにはくれぐれも注意するように伝えて下さい!」


 英治「分かりました! ……つーか、お玉使いませんでしたね……」


さなえ「……」


 英治「やっぱり、お玉が武器って嘘なんじゃな」


さなえ「あたぁあッ!」


(SE:秘孔を突いた音)


 英治「ぐぉわッ!? またぼくの肘をッ!?」


さなえ「(神谷明風に)ファニーボーン……!」




2. 裏路地


(SE:走る足音)


翁仮面「クックックッ……アッハッハッハ!」


翁仮面「面白くなってきたわ! ついに二代目糸巻堂いとまきどう襲名しゅうめいしたのね!」


翁仮面「先代から続く因縁いんねん……私の代で決着が付けられる!」


翁仮面「待ってなさいな糸巻堂いとまきどう……! 今度こそ庶民の皆さんの前で、あなたの鳥かごの中から、私は逃げ出してみせるッ!!」


糸巻堂「それはどうかな?」


翁仮面「!?」


(SE:立ち止まる音(ズサァアアッ))


翁仮面「どこ!? どこなの!?」


糸巻堂「甲斐荘かいしょう英治えいじくんから話を聞いたときはまさかとは思ったが……」


翁仮面「ハッ……背後……ッ」


糸巻堂「まさかキミのような麗しきご婦人が二代目翁仮面おきなかめんを襲名したとは思わなかった……だが! それでも私が成すべきことは変わらない……!」


翁仮面「あなたが……二代目……ッ 糸巻堂いとまきどうッ!!」


糸巻堂「今度こそキミを捕らえ、そして罪を償わせる!! 翁仮面おきなかめんッ!!!」


翁仮面「ハァアッ!」


(SE:空振りの音ブオン)


糸巻堂「ハッ!!」


(SE:空振りの音ブン)


翁仮面「……やるわね。私の蹴りを避けつつ掌打しょうだを入れるなんて」


糸巻堂「キミもやる……!」


糸巻堂「だが! 私は負けるわけにはいかないッ!!」


糸巻堂「ハァアアッ!!!」


(SE:空振り音ブンとブォンを複数回)


翁仮面「フフッ……今日は顔見せ……これから私とあなたは、終わらない追いかけっこを繰り返すことになるわ……」


糸巻堂「それを終わらせるのが! 私の役目だッ!!」


翁仮面「そうね……なら、せいぜい一生懸命私を追いかけなさいなッ!」


(SE:けむり玉の音ボンッ)


糸巻堂「なッ!? 煙玉だと!?」


翁仮面「バイバイ。永遠のライバルにして私にやられっぱなしの可愛い二代目、糸巻堂いとまきどう


糸巻堂「逃がすかッ!! うぉぉぉおおおお!!!」


翁仮面「!? 煙の中に……突撃……!?」


糸巻堂「おおおぉぉおおおおおおお!!!」


翁仮面「……ック!? バカなあッ!?」


糸巻堂「おおぁぁああああああああ!!!」




3. 数分後


さなえ「んー……先生、ちゃんと翁仮面おきなかめん捕まえたかな……」


さなえ「……あ、見つけた!」


さなえ「せんせー!」


糸巻堂「おお真行寺しんぎょうじくん! 無事だったか!」


さなえ「先生も無事だったごようす……て、え!?」


志桜里「!? !?!?」


糸巻堂「どうした真行寺しんぎょうじくん!?」


さなえ「いや、どうしたもこうしたも……!?」


糸巻堂「怪我でもしたのか!? 真行寺しんぎょうじくん大丈夫か!?」


さなえ「そ、そうじゃなくて、その、お姫様だっこしてる女性は……?」


糸巻堂「ああ彼女か。翁仮面おきなかめんが逃げる直前にけむり玉を炊いたのだが、そのけむりに巻き込まれたのだろう」


志桜里「ぇえ!?」


糸巻堂「こうして煙の中から助け出せたのだが……かわいそうに……恐怖で体が震えてしまっている」


志桜里「いや、あの!?」


さなえ「せんせー……」


糸巻堂「ん? どうしたんだ真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「この人、よく見てくださいよ……翁仮面おきなかめんと同じ服を着てますよ?」


志桜里「ビクウッ!」


糸巻堂「数奇な運命だ。まさか私の襲名の日に、宿敵翁仮面おきなかめんと同じ服の女性を事件に巻き込んでしまうことになるとは……」


志桜里「ホッ……」


さなえ「……せんせ、それ本気で言ってます?」


糸巻堂「? どういう意味だ。言っている意味がよくわからないぞ真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「彼女が! 翁仮面おきなかめんだと言ってるんです!!」


志桜里「ビクウッ!」


糸巻堂「それはありえないぞ真行寺しんぎょうじくん! 彼女はおきなの仮面をつけていないではないかッ!!」


志桜里「ホッ……」


さなえ「いやいやいや! よく見てくださいよせんせ! おきなの仮面なら、この人、手に持ってるじゃないですか!」


志桜里「ビクウッ!」


糸巻堂「今日という日に、おきなの仮面を持つご婦人と奇妙な縁をもつことになろうとは……これを数奇な運命と言わずして、一体何を数奇な運命と言うべきか……」


さなえ「あなた二代目糸巻堂いとまきどうなんだからしっかりしてくださいよ!?」


糸巻堂「怖かっただろうご婦人。お騒がせしてしまった」


さなえ「無視か!? 私の至極まっとうで常識的なツッコミは無視か!?」


志桜里「い、いや、その……」


糸巻堂「しかし、あなたにも落ち度はある」


志桜里「へ……?」


糸巻堂「あなたは美しい。そんな可憐なあなたがこんな夜更けに街を一人で歩くなんて、危険にも程がある」


糸巻堂「幸いにも今宵こよいは私が助けることが出来たが、そんな幸運も長くは続くまい……これからはご自身の身の安全も考えるべきだ」


糸巻堂「あなたは、とても魅力的な女性なのだから」


志桜里「ずぎゅぅぅうううん」


さなえ「なんでわざわざ口で効果音出したの今!?」


志桜里「あの……糸巻堂いとまきどう……さま?」


糸巻堂「どうしたのだご婦人」


志桜里「今宵こよいは、私を助けてくださって、ありがとう……ございます……」


糸巻堂「構わない。翁仮面おきなかめんの魔の手から人々を守るのが、私の使命ッ」


志桜里「はぁッ……ん……(色っぽい吐息)」


志桜里「あ、あの……そろそろ、下ろしていただけますか?」


さなえ「いや先生の胸にほっぺたすりすりしながら言うセリフじゃないですよそれ!? 降りる気ゼロでしょあなた!?」


糸巻堂「分かった。一人で立てるか」


さなえ「せんせーも早く目を覚まして!? 心の遮光しゃこうカーテンを開けてちゃんと目の前の女の人をよく見て!?」


志桜里「はい……」


糸巻堂「では降ろそう。よっ……」


志桜里「ふぅ……ありが……ああっ!?」


糸巻堂「危ないッ!!」


志桜里「ああんっ……」


(SE:あればグイッて感じの抱き寄せる音)


さなえ「……!?」


糸巻堂「大丈夫かご婦人」


志桜里「ええ……あなたがとっさに受け止めてくださったので、倒れずに済みました……ありがとうございます」


さなえ「ウソやん!? いま自分からせんせーの胸に飛び込んだやん絶対!?」


志桜里「……あの、糸巻堂いとまきどうさま……?」


糸巻堂「なんだろうか」


志桜里「ご心配していただき、ありがとうございます……」


志桜里「私は情けないですね……一人では何も出来ない……弱い女です……」


志桜里「あなたのお気持ちはうれしいけれど、私ももっと強くならないと……」


さなえ「せんせーの胸板に人差し指イジイジして弱い女アピールしながら言うセリフがそれなの!?」


糸巻堂「怖くて当然だ。あの翁仮面おきなかめんに襲われたのだから」


さなえ「目を覚ましてくださいよせんせぇ!! その人が翁仮面おきなかめんなんですってば!」


志桜里「糸巻堂いとまきどうさま……!」


さなえ「あなたも何瞳うるうるさせて恋する女子中学生になってるんですかッ!!」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん!」


さなえ「は、はい!」


糸巻堂「このご婦人、おまわりさん諸君に任せよう! 夜道は危険だし、なにより再び翁仮面おきなかめんに遭遇する危険もある! このご婦人を放っておくわけにはいかない!」


志桜里「ずぎゅぅぅうううん」


さなえ「その人と翁仮面おきなかめんが遭遇する危険は無いと私は断言しますよせんせ!!」


糸巻堂「では行くぞ! おまわりさんのところまで案内してくれ真行寺しんぎょうじくん!!!」


さなえ「聞いてねえ!? 助手のはずの私の意見まったく聞いてくれねぇ!?」


志桜里「はわぁ……付いていきます糸巻堂いとまきどうさま! 一生……!!」


さなえ「ハァ……やれやれ……」




4. 数日後 貸本屋『糸巻堂』


(SE:台所でお料理作ってる音)


さなえ「……よっ。ほっ」


さなえ「よいしょっ。っとー……できたっ!」


(SE:食卓にお料理並べる音)


さなえ「よしっ」


さなえ「せんせー! 朝ごはんできましたよー!! せんせー!」


さなえ「……? 返事がない」


さなえ「せんせー?」


糸巻堂「……! ……!! ……!!!」


さなえ「なにやってんだろ……? せんせー!」


(SE:引き戸を引く音)


糸巻堂「きゅうひゃく……きゅうじゅう……ハチィィイイイイ!!!」


糸巻堂「きゅうひゃく……きゅうじゅう……く!!!」


糸巻堂「……すぇええんッ!!! ドゥハッ……ぜぇ……ぜぇ……腕立て伏せ1000回……ぜぇ……完遂……ッ!」


さなえ「……朝から元気ですねぇせんせーは……呼びに来ましたよー」


糸巻堂「!? 翁仮面おきなかめんが出たのか真行寺しんぎょうじくん!?」


さなえ「朝ごはんが出来たんですっ!!!」


糸巻堂「ああ、そうか! 今日もありがとう真行寺しんぎょうじくん!!」


さなえ「いいから服を着てくださいよぉ! 目のやり場に困りますから!」


糸巻堂「そうかそうか! いや失礼した! 腕立て伏せをしてると汗が止まらなくてな! 洗濯をする真行寺しんぎょうじくんの手間を増やすまいと思って上半身は裸になったのだが……ハッハッ!」


さなえ「それぐらい気にしないですから! それより早く服を着て服を!!」


糸巻堂「うむ。ではその前に水でも浴びて汗を流してこよう!!」


糸巻堂「どっこだーどっこだー……おきなかめんはどっこっだー♪(適当な歌のリズムで)」


さなえ「ったく……相変わらず度し難いですね……毎朝女の子の前で上半身ハダカだなんて……」


糸巻堂「やあ向かいのご老人! 今日も荷物運びを手伝おう!! その代わり、もし翁仮面おきなかめんを見つけたら、すぐに私に知らせていただきたい!!」


さなえ「声デカ……悪い人じゃないんだけどなぁ……」


志桜里「糸巻堂いとまきどう先生? おはようございます」


糸巻堂「やあ! キミはこの前の翁仮面おきなかめんのときの!!」


さなえ「!?」


志桜里「先日、街で先生のお店の住所を知りまして。この前のお礼にと」


糸巻堂「お礼など気にしなくてもいいものを。あなたは容姿だけでなく、その心も美しく可憐なようだ!」


志桜里「そんな……ポッ」


糸巻堂「ハッハッハッ!」


さなえ「せんせーッ!」


糸巻堂「ああ、そういえば彼女の紹介をまだしてなかったな。彼女は真行寺しんぎょうじさなえくん。何かと不穏が付きまとう私の身の回りの世話をしてくれる、有能な少女だ!」


さなえ「ウッ……そんな紹介をされると……突っ込みづらいッ!?」


糸巻堂「我々はこれから朝食なのだが、ご婦人。よければご一緒にどうだろうか」


さなえ「天下の大怪盗と仲良く朝ごはん食べる名探偵なんてどこにいるんですかせんせッ!?」


志桜里「ふぁぁああ……よろしいのですか?」


さなえ「あなたも翁仮面おきなかめんの中の人ならもうちょっと遠慮してくださいよ!!」


糸巻堂「もちろん! 真行寺しんぎょうじくん、このご婦人の分はあるだろうか」


さなえ「そ、そらぁせんせーいつも20人分ぐらいの量を平気で平らげますから、一人ぐらい増えてもどってことないですけど……」


糸巻堂「なら決まりだな。ご婦人、ようこそ我が食卓へ」


志桜里「はいっ! ありがとうございます!」


さなえ「相変わらずこっちの言い分聞いちゃくれねぇ!? 私が一番年下なのに、まともなのは私だけかッ!?」


 英治「あのー……ぼくも、ご一緒させていただいて、よろしいですか?」


糸巻堂「ん?」


さなえ「へ?」


志桜里「ほ?」


 英治「んー……」


糸巻堂「……真行寺しんぎょうじくん。甲斐荘かいしょう英治えいじくんの分もお願いできるか」


さなえ「せんせーが普段より少なめの量で我慢してくれれば大丈夫です」


糸巻堂「ふむ」




5. 店内・食堂


志桜里「ふぅ……ごちそうさまでした」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくんが作るごはんはどうだっただろうか。箸は進んでいたようだが」


志桜里「とても美味しかったです。ありがとうございました」


糸巻堂「そうだろう。真行寺しんぎょうじくんが作ってくれるごはんは、いつも素晴らしい」


さなえ「褒めたって何もでませんよーせんせー」


糸巻堂「いや、キミが作ってくれるごはんは絶品だ。将来キミと結婚する殿方とのがたは幸せ者だな! もちろん私も今は幸せ者だぞ! ハッハッハ!!」


さなえ「……~ッ! なッ、何言ってるんですかせんせッ!!」


(SE:秘孔を突かれた音、連続でしばらく鳴り続ける)


糸巻堂「ぐあっ……ハッハッハッ!!!」


 英治「あ、あの……糸巻堂いとまきどう先生?」


糸巻堂「どうした甲斐荘かいしょう英治えいじくん!」


 英治「さなえちゃんにめっちゃ秘孔突かれてますけど、大丈夫ですか?」


糸巻堂「彼女は照れると相手の秘孔を無差別に突く悪い癖があるんだ。困ったことにな! ハッハッハッ!!!」


 英治「いやあの……突かれたところに電気とか流れません? 痛くないですか?」


糸巻堂「めちゃくちゃ痛い! だが、これが彼女のコミュニケーションのとり方だからな! 喜びのほうが勝るよ! ハッハッハッ!!!」


 英治「大丈夫かこの人……」


さなえ「あ、あの! 私ちょっと! お、お茶入れてきます!!」


糸巻堂「そうか! いつもどおりの美味しいお茶を頼むぞ真行寺しんぎょうじくん!!」


さなえ「……ッ!!」


(SE:グキリッ)


糸巻堂「ぐはッ!?」


(SE:椅子の音と遠ざかるスリッパの音)


 英治「先生大丈夫か……なんか首が変な方向に曲がってるぞ……」


 英治「……ん?」


志桜里「ペロ……これが先生が好きな味……覚えなきゃ……!」


 英治「モテモテだなぁ先生は……」


糸巻堂「持て持てって、何をだ甲斐荘かいしょう英治えいじくん! 20キロダンベルなら今朝も400回ほど持ち上げたぞ?」


 英治「違いますよ!?」


糸巻堂「ふんッ!」


(SE:グキリッ!)


糸巻堂「よし首を戻した。さて甲斐荘かいしょう英治えいじくん。そろそろ本題に入ろうか」


 英治「はい」


糸巻堂「志桜里しおりさんがいても大丈夫な内容なのか」


 英治「大丈夫です。ただし、他言無用たごんむようでお願いします」


志桜里「はい。でも先生……こちらの方は……?」


 英治「ああ、自己紹介が遅れました。ぼくは甲斐荘かいしょう英治えいじといいます。階級は警部補です」


志桜里「まぁ……ではおまわりさん……」


 英治「ええ。二代目を襲名する前から、先生には事件解決の際にお世話になってまして」


志桜里「さすが二代目……」


糸巻堂「どうした志桜里しおりくん?」


志桜里「ぁあ! いえ! なんでもないです!」


糸巻堂「そうか。では甲斐荘かいしょう英治えいじくん。始めてくれ」


 英治「はい。実はちょっとお願いしたいことがありまして……先生は、数日前に川谷一蔵かわたにいちぞう外務大臣が殺された事件はご存知ですか?」


糸巻堂「知っている。かわら版が配られ、町中が騒然とした事件だったからな」


 英治「それです」


糸巻堂「キミが担当したと聞いたが……捜査の進捗しんちょくかんばしくないのか」


 英治「それもあるんですが……」


 英治「その事件のさらに数日前、とある書物が国内に持ち込まれました」


糸巻堂「書物?」


 英治「ええ。ユリアンニ教に関係する書物でして……」


志桜里「『シビュラの神勅しんちょく』……」


 英治「そうです。ご存知なのですか?」


志桜里「え、ええ。近いうちに私も獲物にしようかと思ってましたから」


 英治「は?」


志桜里「んハッ!? な、なんでもないです……オホホホ」


 英治「はぁ……。……?」


糸巻堂「シビュラの神勅しんちょくといえば、古代ラシーヌ諸島の巫女みこであるシビュラたちがつかわした神勅しんちょくをまとめたと伝えられている詩集。だがあれはユリアンニ教の外典げてんにあたる書物のはずだ。ユリアンニ教は今の政府では禁教きんきょうとされている。それなのにそんなものがなぜ持ち込まれた?」


 英治「おっしゃる通り、現在ユリアンニ教は『五榜ごぼう掲示けいじ』によって禁教に指定されています」


 英治「ですが、欧米諸国の反発と抗議が凄まじく、近々それが解禁される予定でなんです」


糸巻堂「解禁に先駆けて、関連書物を国内に持ち込んだか」


 英治「そのシビュラの神勅しんちょくが、川谷かわたに外務大臣殺害の数日前に、正体不明の集団に盗まれたのですが……」


志桜里「ガッデム……私も狙っていたというのに……ッ」


 英治「……?」


志桜里「ビクンッ」


 英治「その川谷外務大臣の殺害現場に、シビュラの神勅しんちょくの詩の一節いっせつが書かれた紙が置かれていました。そのようなことから、我々警察は、川谷大臣殺害事件とシビュラの神託奪取だっしゅ事件の犯人は同一と考えています」


糸巻堂「そう考えるのが自然だろう。詩の内容は?」


 英治「『不信心者どもよ、おろかな激情げきじょうに身を任せたおまえたちの行いが、神に気づかれぬはずがない。』」


 英治「日本語でそう書かれていたそうです」


糸巻堂「第一巻15章の一節だ。後に方舟はこぶねを作り洪水と長い雨による世界崩壊の危機からすべての生物種を救った救世主アグネスによる、堕落だらくした不信心者ふしんじんしゃへの警告けいこくの一文だな」


 英治「中身をご存知なのですか?」


糸巻堂「ヨーロッパに留学した際に読破した」


 英治「さすがですね……」


糸巻堂「ということは」


 英治「はい。先生に依頼する内容は2つ。一つは川谷外務大臣殺害とシビュラの神託を奪取だっしゅした犯人の特定と逮捕」


 英治「そして、シビュラの神勅しんちょくの確保です」


糸巻堂「承知した」


 英治「外に馬車を待たせています。準備が整いましたらお使いください」


糸巻堂「感謝する」


(SE:カチャカチャって食器の音)


さなえ「お茶入れてきましたよー。またお仕事ですか?」


糸巻堂「そうだな。今回も中々に難しそうだ」


さなえ「すぐ出ますか?」


糸巻堂「いや、真行寺しんぎょうじくんがせっかくお茶を入れてくれたのだ。それを堪能たんのうしてからでも遅くはない」


さなえ「さいですか」


糸巻堂「甲斐荘かいしょう英治えいじくん!」


 英治「はい?」


糸巻堂「せっかくだ。御者ぎょしゃもここに呼んで、みんなでお茶を楽しもう」


 英治「よろしいんですか?」


糸巻堂「もちろんだ。真行寺しんぎょうじくんのお茶は素晴らしい。皆にも味わってもらいたいからな!」


 英治「ありがとうございます。では呼んできますね!」


さなえ「……ッ」


糸巻堂「? どうした真行寺しんぎょうじくん?」


さなえ「せんせー……めてくれるのはうれしいですけど、ずかしいからあんま持ち上げないでくださいよぉー」


糸巻堂「私は本当のことしか言ってないつもりだが?」


さなえ「……ッ!!」


(SE:秘孔を突かれた「ピプー!」て音)


糸巻堂「ぐぉわッ!?」


さなえ「ファニーボーン……!」


志桜里「くすっ……お二人とも仲がよろしいんですね」


さなえ「そっ! そんなこと! な、ないですからッ!!!」


糸巻堂「もちろん! 色々あったが、真行寺しんぎょうじくんとの毎日はとても楽しいよ!」


さなえ「~~ッ!!!」


(SE:秘孔を突かれた「ピプー!」て音の連発)


 英治「あのー……ホント、大丈夫ですか?」


糸巻堂「何がかな?」


 英治「あの、めっちゃ突っつかれてますけど……」


糸巻堂「めちゃくちゃ痛いな! しかしこの痛みこそが、私はとてもうれしい!」


 英治「ホント大丈夫か……この人どえむか……?」


志桜里「とてもお強いんですね……ぽっ」


 英治「この人もなんか変だし……」


糸巻堂「ハッハッハッ!」


さなえ「ファニーボーン! ファニーボーン!!」


糸巻堂「ぐぉわッ!?」


さなえ「ファニーボーン……ッ!!!」




6. 2時間後 事件現場


糸巻堂「……と。ここが現場になった川谷外務大臣宅だな」


さなえ「です。正確には、事件現場になった川谷外務大臣の執務室、です」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん。捜査そうさ資料しりょうは」


さなえ「こちらに」


糸巻堂「読み上げてくれ」


さなえ「はいっ」


(SE:コツコツて靴の音)


さなえ「第一発見者は奥様のようです。午後11時頃、まだ明かりがついている執務室に入ったところ、部屋の中に血溜ちだまりが出来ており、その中心で川谷外務大臣がうつ伏せで倒れていたようです」


糸巻堂「血溜ちだまりか」


さなえ「はい。川谷大臣は背後から心臓を刃物で刺されており、そこからの出血のようですね」


糸巻堂「凶器の刃物は見つかったのか」


さなえ「見つかっていませんが、かなり大きな刃物だと思われます」


糸巻堂「残っている血のあとから考えると出血量はかなりのものだ。背中から刺したことを考えると相当な刃渡りの物だろう」


さなえ「それが、血液は川谷大臣自身のものだけでなく、動物の血も混じっていたようで」


糸巻堂「……」


さなえ「もちろん、傷の深さから見ると川谷大臣自身の出血も相当なものだと思いますが……」


糸巻堂「川谷大臣はいつ殺された?」


さなえ「殺害時刻はまだはっきりとは分からないようですが、少なくとも遺体には激しい血の汚れはなかったようです」


糸巻堂「ということは、先に大臣を殺害し、血溜ちだまりはわざわざあとからつくったということになるな。この部屋を血で満たすことに意味があるのか……もしくは大臣の死体を血溜まりの中心に配置することが目的なのか……」


糸巻堂「他になにか重要な証拠になりうるものは?」


さなえ「シビュラの神勅しんちょく一節いっせつが書かれた紙だけのようですね」


糸巻堂「……そうか。バビロン」


さなえ「へ?」


糸巻堂「シビュラの神勅しんちょくには、世界の終末に降りかかる災厄さいやくの記述がある。その中で、古代都市バビロンは国中が血で満たされる、とある」


さなえ「この部屋と同じですね」


糸巻堂「やはりキーとなるのはシビュラの神勅しんちょくか。……!? 真行寺しんぎょうじくん!?」


さなえ「は、はい!?」


糸巻堂「いま何時なんじだ!?」


さなえ「はい! えっと……もうすぐ正午です!」


糸巻堂「正午だと!?」


さなえ「は、はい! 正午です! 何かご用事でもありましたっけ?」


(SE:ぐぎょぉお~ ってお腹の音)


糸巻堂「いや。そろそろ昼食の時間だなぁと」


(SE:パコン! て金属音)


さなえ「そんなこと突然シリアスに言わないでくださいよッ!」


糸巻堂「しかし真行寺しんぎょうじくんのご飯はいつもうまいからなぁ」


(SE:パコパコパコパコパコ! て金属音の連発)


さなえ「だからしれっと褒めないでくださいってば! 恥ずかしいからッ!!」


糸巻堂「ハッハッハッ! うれしいのは結構だが私の頭は木魚もくぎょじゃないぞ真行寺しんぎょうじくん!!」


さなえ「自業自得です! あーもうビクッてして損した! 私、ちょっとトイレに行ってきます!」


糸巻堂「場所は知っているのか」


さなえ「大丈夫です馬車の中で見取り図の確認しときましたから!」


糸巻堂「なら一安心だな。行ってくるといい」


さなえ「はーい。ったく……困るんだよなぁうれしいけど……ブツブツ……」


(SE:トコトコ……て感じの足音)


糸巻堂「さて……机の上には作成途中の命令書……シビュラの神勅しんちょくの取り扱いに関する作業手順書か……」


糸巻堂「ふむ……」


(SE:『シャキン』的なナイフの音)


 志村「動くな」


糸巻堂「……」


 志村「お前の背中に銃剣じゅうけんを突きつけている。少しでも妙な動きを見せると即座に押し込み、心臓に突き刺す」


糸巻堂「……私の背後を取るとは。中々の手練のようだ」


 志村「商売だからな」


糸巻堂「用件をうけたまわろう」


 志村「この一件からは手を引け。あんたが出張でばるとややこしいことになる」


糸巻堂「拒否すると言ったら?」


 志村「先ほど言ったとおりだ。この銃剣をそのまま押し込む」


糸巻堂「ふぅ……」


 志村「どうする? 俺は別にアンタを殺しても構わん」


糸巻堂「……キミは、2つの戦術的ミスを犯している」


 志村「?」


糸巻堂「一つ。私が一人になれば自分だけで対処が可能だという勘違い」


 志村「ほう。もう一つは?」


(SE:『タッタッタッ』て感じの駆け足の音)


糸巻堂「私の助手は、私以上に私の危機に敏感だということだ」


 志村「!? 後ろかッ!?」


さなえ「ハァアッ!!!」


 志村「ぅおッ!?」


(SE:ズサッ的な足音)


さなえ「先生! ご無事ですか?」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくんの見事な飛び外擺脚がいはいきゃくのおかげで怪我はない」


さなえ「よかった!」


糸巻堂「さて……」


 志村「フンッ……糸巻堂いとまきどうの助手は子供ながら中国拳法の使い手と聞いたが、本当のようだな」


糸巻堂「どうする? 組手甲冑術くみてかっちゅうじゅつの私と真行寺しんぎょうじくん、二人を相手に勝つ自信はあるか?」


さなえ「私は先生のボディーガードですからね。敵には容赦しませんよ?」


 志村「なるほど。中国拳法と組手甲冑術くみてかっちゅうじゅつの使い手……確かに負が悪そうだッ!!」


(SE:ダダダって走る音)


さなえ「待てッ!!」


(SE:ガラスが割れる音)


糸巻堂「失敗をさとって窓から逃げたか」


さなえ「追います!」


糸巻堂「待て真行寺しんぎょうじくん。深追いは危険だ」


さなえ「犯人かもしれないんですよ?」


糸巻堂「相手はおそらくプロの殺し屋か、それに類する職業の者だ。そんな相手は追跡時ついせきじが最も危ない。キミ自身もよくわかっているはずだ」


さなえ「んー……確かにっ。悔しいけど……ッ」


糸巻堂「それよりも真行寺しんぎょうじくん。奴の得物えものは見たか」


さなえ「銃剣じゅうけんでしたね」


糸巻堂「うむ」


さなえ「何か心当たりでもあるんですか?」


糸巻堂「……」


糸巻堂「戻るぞ真行寺しんぎょうじくん。私達の店に帰ろう」


さなえ「帰るんです? 警部補に連絡はしなくていいんですか?」


糸巻堂「ああ。念のためだ」


さなえ「はぁ。……?」




7. 二時間後 貸本屋『糸巻堂』


さなえ「ふぅ。ただいまでーす」


糸巻堂「店には帰ってこられたが、そうゆっくりとはしてられないぞ真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「んー……確かにお店の周辺に不審な人影がありましたけど」


糸巻堂「だろうな」


さなえ「排除しますか?」


糸巻堂「いや、そのままでいい。手出しは無用だ。そのうち増える」


さなえ「わかりました。お茶飲みたいのでちょっと入れます。せんせーは?」


糸巻堂「湯呑ゆのみの数は多めで頼む」


さなえ「はいせんせ」


(SE:カチャカチャて食器の音。お湯入れる音とか)


糸巻堂「今回の事件、事と次第によってはかなりの大事おおごとになるぞ」


さなえ「どういうことです?」


糸巻堂「あの襲撃者の銃剣、心当たりがある」


さなえ「そうなんですか?」


糸巻堂「ああ、間違いない」


さなえ「ではあの殺し屋と先生って知り合いだったりします?」


糸巻堂「そうではない。そうではないが……」


さなえ「ふーん……せんせ。お茶です」


(SE:カチャカチャて食器の音。)


糸巻堂「ありがとう」


さなえ「どういたしまして」


糸巻堂「で、本題のあの銃剣だが……いや。私が口にするより、直接状況を体験した方がいいな」


さなえ「どういうことです?」


糸巻堂「もうしばらくすれば……」


(SE:『りんりーん』て感じのドアの呼び鈴)


さなえ「? こんなときにお客さん?」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん。応対を頼む」


さなえ「はいせんせ」


糸巻堂「気をつけるんだ」


さなえ「……はい」


(SE:『タタタ……』て感じの駆け足の音)


糸巻堂「さて……誰が来る……?」


(SE:複数人の重い靴の音)


さなえ「……せんせー」


 志村「やあ、先程ぶりだな糸巻堂いとまきどう先生」


糸巻堂「キミは先程の」


(SE:撃鉄の『ガチリ』て音)


 志村「ぉおっと。そのままおとなしく座っていてもらおうか。変な真似をしたらこの子の頭に押し付けた拳銃が火を吹くことになる」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん、大丈夫か」


さなえ「後ろ手で拘束こうそくされて頭に拳銃突きつけられて、これが大丈夫に見えますか?」


糸巻堂「大丈夫なようだな」


さなえ「ったく! お玉でせんせーの頭でビート刻みたいッ!! 木魚もくぎょのごとくッ!!」


 志村「うるさいぞ」


糸巻堂「失礼した。……というか、キミは主賓しゅひんではないだろう?」


 志村「ああもちろん。主賓しゅひんはすぐにお越しになる。すこし待っていろ」


(SE:チリンチリンてドアの呼び鈴)


 志村「お越しになったぞ」


糸巻堂「……」


 高橋「ハッハッハッ。あなたが、かの高名な糸巻堂いとまきどうの二代目ですかな?」


糸巻堂「人に名をたずねるときはまず自分が名乗るのが礼儀だと心得ているが?」


 高橋「ああ、これは失礼。お察しの通り、私は陸軍大臣の高橋たかはし龍三りゅうぞうと申します。ご存知かとは思いますがね」


さなえ「陸軍大臣?」


 志村「この国の陸軍のトップに君臨するお方だ。政府の閣僚かくりょうの一人で、陸軍を代表する人だよ、お嬢ちゃん」


糸巻堂「……私がこの貸本屋の店主、糸巻堂いとまきどうだ」


 高橋「卓上にあるのはお茶ですか? 私もご一緒してよろしいですかな? 喉が渇きましたもので」


糸巻堂「なら真行寺しんぎょうじくんの拘束を解いてもらおうか」


 高橋「ん。志村?」


 志村「駄目だ。このお嬢ちゃんは足癖あしくせが悪い」


 高橋「だそうです。この場は腰掛けるだけにとどめ、お茶はあきらめましょう」


さなえ「……ッ」


糸巻堂「よせ真行寺しんぎょうじくん。大人しくするんだ」


さなえ「はい先生……」


 高橋「よろしい。番犬の教育が行き届いてらっしゃる」


糸巻堂「……で、用件は」


(SE:椅子にこしかける音)


 高橋「陸軍大臣の権限を持って、あなたたちを基地に拘束こうそくさせていただく」


糸巻堂「理由は」


 高橋「国家の重大な安全保障に関わる事案のため……とご理解いただきたい」


糸巻堂「……」


 高橋「あまり驚かないご様子ですなぁ糸巻堂いとまきどう先生?」


糸巻堂「陸軍が出てくることは読めていた」


 高橋「やはりそうでしたか」


糸巻堂「そこの志村なにがしに襲撃された際の彼の得物えものの銃剣。あれは陸軍で正式採用されているものだ」


 高橋「ふむ」


糸巻堂「さらに、彼は私の背後を取り、真行寺しんぎょうじくんの背後からの擺脚はいきゃくをかわすほどの実力を持つが……あれは格闘家というよりは職業軍人……それも諜報ちょうほう活動に従事している者の振る舞いだ」


糸巻堂「私は以前、清国しんこくに長期滞在していたことがあった。そのときに日本の諜報ちょうほう員と何度か会ったが、いずれもその志村なにがしと似た振る舞いをしていた」


糸巻堂「そこで私は、ここに戻れば陸軍の方から我々に接触してくると踏み、ここに戻った。接触してくること自体は予想通りだったが……」


 高橋「まさか現役の陸軍大臣が来るとは思わなかった。てところですかな?」


糸巻堂「そのとおりだ。せいぜい陸軍参謀さんぼうの誰かが黒幕だと思っていた」


 高橋「読みがまだまだ甘いですなぁ二代目先生? 糸巻堂いとまきどうの名が泣きますよ?」


 高橋「さて。無駄話はこれぐらいにして、あなたたちを拘束させていただきましょうか。軍の施設まで連行します」


さなえ「そんな勝手なこと……ッ!!」


 志村「動くなお嬢ちゃん。あんたはもちろんあんたが大好きな先生も、あんたが妙なことをした瞬間に死ぬことになるぞ?」


さなえ「……ッ」


糸巻堂「拘束したあとはどうする?」


 高橋「私達の作戦が無事に完遂するまでです。長丁場になりますがね」


糸巻堂「作戦?」


 高橋「無論、我々の邪魔をしなければですが。大人しくしてさえくれれば、無傷で開放することをお約束しましょう。そちらのお嬢さんも一緒にね」


糸巻堂「……ふぅ。わかった。大人しく従おう」


 高橋「そうしていただければ面倒が無くて助かります」


 志村「しかし糸巻堂いとまきどう先生、あなた相当なもの好きだなぁ」


糸巻堂「どういうことだ?」


 志村「このお嬢ちゃんだよ」


糸巻堂「?」


さなえ「……」


 志村「まだ年端も行かないこんなお嬢ちゃんに身の回りの世話を任せているんだろう? そんな体たらくであの名高い糸巻堂いとまきどうが務まるのかね」


 志村「それともご高名な先生には童女どうじょ趣味でもあったのか? 世話というのは、そういうことなのか?」


さなえ「……ッ」


 志村「だったら俺にも、その年端も行かない女の具合ってのをぜひご教授いただきたいもんだ。なぁ。どうだお嬢ちゃん」


さなえ「アンタねぇ……ッ!」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん!」


さなえ「……はい先生。控えます」


 高橋「志村もやめないか。番犬を愚弄ぐろうされた糸巻堂いとまきどう先生がいきどおってらっしゃるではないか」


 志村「フンッ……」


糸巻堂「……」


糸巻堂「志村なにがしとやら。大臣も」


 志村「ん?」


糸巻堂「私の助手を侮辱ぶじょくしたツケ、後ほどキッチリ払っていただく」


 志村「ハンッ」


糸巻堂「では行こうか。案内してくれたまえ」


 高橋「承知しました。志村、先生とお嬢さんを我々の馬車へと案内しろ」


 志村「こちらへ、せんせ。『お世話係』のお嬢ちゃんも」


さなえ「忘れませんよ。先生を愚弄ぐろうしたことは」


 志村「そうかい」


さなえ「泣きながらママに助けを乞うまでいたぶってやりますから。あとで」


 志村「好きなだけえろ。そういう犬を手懐てなずけるのがたまらんからな」


さなえ「私がなつくのはせんせーだけです」






8. 屋根の上


志桜里「Oh……まさか陸軍大臣が出張るとは思わなかったわね……」


志桜里「だけど糸巻堂いとまきどうさま……陸軍に拘束されてしまうだなんて……なんて不運な方……」


志桜里「……!?」


志桜里「これは、ひょっとしてチャンス……? ここで私があの方をお助けすれば……」


志桜里「『志桜里しおりくん助かったぞ! まさかキミが私を助け出してくれるとは!!』」


志桜里「そんな! 糸巻堂いとまきどうさまのためなら、たとえ全世界を敵に回してもあなたの元に駆けつけますわ!」


志桜里「『キミのその献身的な愛に、私はどうやら恋い焦がれてしまったようだ、志桜里しおりくん……!』」


志桜里「そんな! 駄目よ糸巻堂いとまきどうさま……私とあなたは、お砂糖とお塩のように相容あいいれない世界の二人……それなのに、愛し合ってしまったら……!」


志桜里「『関係ない! キミを手に入れるならば、この糸巻堂いとまきどう、喜んですべてを敵に回そう!!』」


志桜里「そんな……そんな……!! 糸巻堂いとまきどうさま……!!!」


志桜里「『志桜里しおりくん……愛しているぞ……』」


志桜里「糸巻堂いとまきどうさま……」


志桜里「んっ……(めっちゃ色っぽい吐息。つーかイマジナリーキス)」


志桜里「はぁ……んっ……」


志桜里「よし!! 次のターゲット決めたっ!!!」




9. 二時間後 警察署


 英治「んー……」


 リン「えーじ先輩! ノックガンガンッ!!!」


 英治「このノックは……どうぞー」


(SE:ドアが開く音。そのあと『ビシィイッ!!』て感じの敬礼の音)


 リン「ウス! えーじ先輩シャス!」


 英治「桜庭リン巡査長……毎度毎度ぼくの部屋のドアをぶち壊す勢いでノックするのやめてくれる……?」


 リン「ウス! 以後気をつけるッス! シャス!!」


 英治「……それ、ぼくの前で言うの何回目?」


 リン「自分の着任の日から数えてかれこれ583回目です! シャス!!」


 英治「素直に回数を言えばいいってもんじゃないんだけどなぁ……」


 リン「シャス!! 元帝国陸軍所属ッスから!!」


 英治「ったく……これが帝国陸軍での教育のたまものか……? 元軍人はみんなこうなのか……?」


 リン「シャス!(ビシィィイッ!!)」


 英治「……で、何か用ですか? 桜庭リン巡査長?」


 リン「ウス! 自分らは捜査に参加しなくてもよろしいんでしょうか!? シャス!!」


 英治「たちば(橘卿たちばなきょうて言いかけてる)……糸巻堂いとまきどう先生に捜査をお願いしたから、まずは先生からの報告を待とう」


 リン「シャス……」


 英治「果てしなく落ち込んでるように見えるけど大丈夫?」


 リン「ウス……自分ら、えーじ先輩の舎弟しゃてーッスから……」


 英治「舎弟しゃていじゃなくて部下。ぼくらは新手のヤンキー集団じゃないんだよ?」


 リン「ぇえ!? 違うんスか!?」


 英治「逆に聞くけど今までぼくらのことヤンキー集団だと思ってたの!?」


 リン「自分はてっきり街の平和を守る坂東ばんどうえーじ組の構成員だとばかり……」


 英治「ぼくは暴力団の組長でもなければゆで卵が好きな未来の野球タレントでもありません。ぼくらは街の平和を守る警察です。以後間違えないように」


 リン「ウス! えーじ先輩シャス!!」


 英治「あとこの明治のご時世に関東のことを坂東ばんどうなんて言うのもやめなさい」


 リン「ウス!」


 英治「ったく……どこでそんな言葉覚えたの……」


 リン「ウス! 先週、吾妻鑑あずまかがみを読破したもので! シャス!!」


 英治「あら。読書するなんて意外だ」


 リン「失礼っすよ先輩(口とんがらせながら)」


 英治「ああごめん」


 リン「チュぅ~……チュぅ~……」


 英治「いきどおってるのは分かったからチューチュー言うのやめなさい。キミいくつなのリン巡査長。幼女じゃないでしょ?」


 リン「ウス。今年で23ッス。シャス」


 英治「そろそろ落ち着いてもいいだろうに……ったく……」


(SE:ノックの音。続いてドアが開く音)


 刑事「警部補。ちょっとよろしいですか?」


 リン「なンだてめぇぇええ!! 許可なく入ってくんなよドコちゅうだゴルァァァアアア!!!」


 刑事「ぇえ!?」


 英治「リン巡査長黙って」


 リン「ウス。えーじ先輩シャス」


 英治「びっくりさせてごめん。どうしたの?」


 刑事「は、はぁ。実は先程、匿名とくめいでタレコミがありまして」


 英治「へぇ。匿名とくめいでタレコミ」


 刑事「はい」


 英治「ふむ……」


 リン「なんだそりゃオィィィィイイイ!!! 匿名とくめーでタレコミなんてほぼガセですって言ってるようなモンだろがゴルァァアアア!!! えーじ先輩困らせんなよクソがァァアアア!!!」


 刑事「ぇぇえええ!?」


 英治「リン巡査長うるさい」


 リン「ウス」


 英治「あとぼくは困ってない」


 リン「ウス……えーじ先輩シャス……(しょぼーん)」


 英治「で、どんな内容?」


 刑事「はい。えーと、こちらです」


(SE:紙を開くカサカサって音)


 英治「ふむ……」


 英治「リン巡査長。古巣ふるすとまだ付き合いはある?」


 リン「ウス。先日同期と恋愛小説を貸し合いっこしたっス」


 英治「めちゃくちゃ気になること言ってるけど……それよりも、ちょっと探りを入れて欲しい」


 リン「シャス!!」




10. 真夜中 陸軍施設内 執務室


(SE:コツコツて靴の音)


 高橋「ふぅ……」


(SE:ギシッて椅子の音。ゴソッて本を持ち上げる音)


 高橋「フンッ……シビュラの神勅しんちょくだと……こんなもの……」


(SE:ノックの音)


 志村「大臣、報告に参りました」


 高橋「うむ。入れ」


 志村「ハッ」


(SE:ドアが開き、閉じる音)


 高橋「で、どうだあの二人は」


 志村「二人とも静かなものです。要求もしない。食事にも手を付けない。まったく強情な二人だ」


 高橋「抵抗しても無駄だということが分かっているのだろう。余計な手間が増えなくていい」


 志村「まったくで。……で、作戦はどうするんです?」


 高橋「多少のイレギュラーはあったが、このまま続行する」


 志村「ハッ。ところで……」


 高橋「また悪い癖か?」


 志村「犬を手懐てなずけるのが趣味なんですよ」


 高橋「まだ子供だぞ」


 志村「える子犬は初めてですゆえ、胸が高鳴りますなぁ」


 高橋「……まぁいい。バレない程度なら許す」


 志村「……ンハッ(うれしそうな吐息)」


 高橋「その前にこの本を金庫にしまっておけ。仕掛しかけを作動させるのを忘れるな」


 志村「了解です」




11. 陸軍施設内 営倉


さなえ「いつつ……逃げないんだからわざわざ縛らなくてもいいのに……」


さなえ「それにしてもお腹すいたなぁ……早くお店に帰ってご飯食べたいですねぇせんせ……」


糸巻堂「……」


さなえ「何考えてるんです?」


糸巻堂「そもそも大臣がいつまでこの凶行きょうこうを続けるつもりなのかを考えていた」


糸巻堂「川谷外務大臣はシビュラの神勅しんちょくの古代都市バビロンの終末になぞらえて殺されている。わざわざ動物の血まで準備してなぞらえたのには理由があるはずだ」


さなえ「信者の人に罪をなすりつけるため、とか?」


糸巻堂「うーん……」


糸巻堂「終末の様子が記された古代都市はバビロン、エジプト、ゴグマゴク、リビア、フリュギア、ビザンティウム、キプロス、サルディニア、シチリア、ラオデキア……計10都市だ。そして内閣の閣僚かくりょうの人数も10人……」


糸巻堂「……そうか。高橋大臣はシビュラ神勅しんちょくにある古代都市の終末になぞらえて、閣僚かくりょうを全員殺すつもりなのか」


さなえ「ぇえー!? そんなことしたらこの国終わっちゃいますよ!?」


糸巻堂「おそらく別の目的があるんだ。その目的が達成されるまで、閣僚かくりょうの暗殺は続くはず……なんとかして脱出し、凶行を止めなければ……!」


さなえ「……でもせんせ?」


糸巻堂「なんだ?」


さなえ「確かにここから出なきゃいけないのは分かりますし、この縄だって、その気になれば外すのも無理ではないですけど、この営倉えいそうかぎかかってますよ?」


糸巻堂「それでもッ!! ここから出なければならないんだッ!!!」


糸巻堂「こんな縄など引きちぎって見せるッ!! ぬぉぉぉぉおおおおおああああああ!!!」


さなえ「せんせーっていつも頭の回転速いですけど、時々ポンコツ脳筋になりますよね」


(SE:ドアから鍵が開くガチャッて音)


さなえ「せんせ?」


糸巻堂「鍵が開いたな。誰か来たのか……」


(SE:キイ……てドアが開く音)


糸巻堂「誰だッ!」


志桜里「……あのー」


糸巻堂「!? 志桜里しおりくん!?」


さなえ「ぇえ!?」


糸巻堂「どうしてここへ!?」


志桜里「あ、あの……糸巻堂いとまきどう先生が帰りが遅いので、心配で、つい忍び込んでしまいまして……」


さなえ「クソッ……言ってることは非常識きわまりないけどそのおかげで助かってる手前、あまり強く突っ込めない……!?」


糸巻堂「心配させてしまったようだな志桜里しおりくん……すまない……」


さなえ「せんせーは相変わらずこの人が翁仮面おきなかめんだって信じていない……どこにフラッと軍施設に忍び込める令嬢れいじょうがいるというのだッ! やっぱりまともなのは私だけかッ!?」


糸巻堂「しかし助かったぞ! ありがとう志桜里しおりくん!!」


志桜里「『お礼に、月が綺麗な夜に二人っきりで月見酒つきみざけでもどうかな志桜里しおりくん』」


志桜里「そんなっ……私、先生と綺麗なお月さまを見られるだけで……たったそれだけで、もう幸せ過ぎて……」


志桜里「……ハッ!? 綺麗な月とは……もしや『キミを愛している』と先生はおっしゃりたいのでは……!?」


志桜里「やだ! 私、そんな心の準備なんてッ!?」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん……」


さなえ「なんですか……」


糸巻堂「私は、何かまずいことでも言っただろうか……?」


さなえ「……せんせーはもう少し周囲の人に疑いの目を向けた方がいいと思う」


糸巻堂「バカな……ッ! 私に周囲の人への猜疑心さいぎしんさいなまれ悩み苦しみながら行きていけというのか……真行寺しんぎょうじくん……ッ!!」


さなえ「そういうところがポンコツなんですよっ!」


志桜里「ほら先生、いま縄をナイフでバッサリ切って差し上げて、あなたに自由の翼を授けますね」


糸巻堂「こんな緊迫きんぱくした空間の中とは思えない詩的してき表現……あなたはポエムの素養もお持ちのようだ。素晴らしい……」


さなえ「いやいやせんせ。それは彼女が単にこの緊迫感きんぱくかんに慣れきってしまっていてポエミーなことをのたまうだけの余裕があるからですって!」


志桜里「ほら、あなたも。ええと……真行寺しんぎょうじさん?」


さなえ「けっこうです! 私は翁仮面おきなかめんの手など借りませんっ!!」


志桜里「ビクゥッ」


糸巻堂「まだそんなことを言ってるのか真行寺しんぎょうじくん。彼女が翁仮面おきなかめんなはずがないだろうと言ったはずだ!」


さなえ「翁仮面おきなかめん以外の一体何者が鼻歌交じりで近所の八百屋さんに行くような感覚でフラッと軍施設に忍び込めるというんですかっ!!!」


さなえ「ったく……ふんッ!!!」


(SE:グキリッ! グキッ!)


志桜里「ひやっ!? じ、自分で関節外してるんですか!?」


さなえ「ふぅ……これでよし」


糸巻堂「なんだ脱出出来たのか。さすがだな真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「せんせーは私が出来ること全部知ってるでしょ!?」


糸巻堂「さすがは私の自慢の助手だ。真行寺しんぎょうじくんには感心してばかりだな」


さなえ「グッ……こういうところがせんせーはズルいッ……!?」


志桜里「まぁまぁ……おふたりとも」


糸巻堂「……うむ。行こうかふたりとも。気を引き締めてな」


さなえ「はいせんせ」


志桜里「はいッ……ぽー……」






12. 中庭


糸巻堂「中庭に出たか……」


さなえ「ここまで全然見張りがいなかったですね……すんなり行き過ぎてる……」


志桜里「そうですね……こ、怖いです……」


糸巻堂「怖がる必要はない志桜里しおりくん。私と真行寺しんぎょうじくんがついている」


志桜里「ありがとうございます先生。大丈夫……こうやって先生のおそばで、先生の手を握っていられるだけで、私は幸せです……」


志桜里「『志桜里しおりくん……こうしてキミを守ることが出来て、私も幸せだ……』」


志桜里「せんせ……ぽー……」


志桜里「『愛しているぞ……志桜里しおりくん……!』」


志桜里「せんせ……! ああッ……!!」


さなえ「そこ。一人で妄想もうそう爆発ばくはつさせてメンタルだけ異世界転移するの、やめてもらっていいですか」


糸巻堂「……よし。ここも見張りはいない。進もう。ここを抜ければ正門はもうすぐだ」


さなえ「はい」


志桜里「はいっ。ぎゅっ」


さなえ「……」


(SE:足音三人ぶん)


 高橋「そこまでです!!!」


(SE:サーチライトのバンッバンッ! て音。ついで銃口を定めるチャキチャキ音(たくさん))


さなえ「見つかった……ッ」


糸巻堂「……」


 高橋「いけませんなぁ先生。作戦が終わるまで大人しくしていてもらうという約束、守ってもらわねば」


糸巻堂「私は約束などした覚えはない」


 高橋「二十あまりの自動小銃で建物の上から私の部隊に狙われているというのに、口から出るのはその子どもじみた屁理屈へりくつ……中々にきもが座っておりますねぇ先生。どうでしょう? 従軍じゅうぐんしてみる気はございませんか?」


糸巻堂「私はすでに兵役へいえきを終えている。再び軍に戻る気はない」


 高橋「それは残念……まぁいいでしょう。あなたたちには脱走した罰を受けてもらわねばなりますまい」


糸巻堂「……」


 高橋「志村」


 志村「ハッ」


(SE:ザッザッザッて足音)


 高橋「どこでもいい。骨の一本でも折って差し上げろ。動けなくなるから足がいいな。ただしそちらのご令嬢れいじょう尋問じんもんする必要がある。傷はつけるな」


志桜里「うわぁ~糸巻堂いとまきどう先生こわい~。私、連れて行かれてしまうわ~」


さなえ「翁仮面おきなかめんやってるときの演技力はどうしたんですか」


 志村「あの子犬は」


 高橋「……抵抗するようなら痛めつけてかまわん。ただし私の部下の目もある。好きにするのはここでは控えろ」


 志村「だそうだ! 番犬のお嬢ちゃん!!」


さなえ「……」


 志村「人目があるところですまないが盛大に泣いてもらうぞ! ……だが本番はあとで二人っきりになったときだ。愛しの変態ロリコン先生じゃなくて俺の相手をしてもらおう」


さなえ「……せんせー。私、いい加減頭にきてるんですが」


糸巻堂「落ち着け真行寺しんぎょうじくん。人にはそれぞれ主義や趣味しゅみ嗜好しこうがある。私のことを変態と断じるのも、自分とは相容あいいれない童女どうじょ趣味に私がおちいっていると勘違いをしているがゆえの過ちだ。彼はおろかだが、無知そのものは罪ではない」


さなえ「さいですか」


糸巻堂「だが私はともかく真行寺しんぎょうじくんを公然こうぜん侮辱ぶじょくしたことは絶対に許せん」


さなえ「ではせんせ」


糸巻堂「徹底的てっていてきに叩きのめせ。報いを受けさせろ」


さなえ「はい」


(SE:ザッザッザッて足音)


 志村「お。可愛くうなり声を上げてるところを見ると、俺とやり合うつもりか」


さなえ「どうも私にご執心しゅうしんのようなので、ご期待に沿おうかと」


 志村「そうかそうか……わかった」


 志村「よろしいですかな!?」


 高橋「はぁ……(ため息)。かまわん」


 志村「これは命令だ! 何があっても発砲するな! この子犬は俺がいたぶる!!」


さなえ「……」


 志村「さぁやろうか。泣いて謝るまで、一体何秒持つんだろうな」


志桜里「……」


糸巻堂「心配かな?」


志桜里「ええ、まぁ……少し……ホントはどれだけ強いか知ってるけど(こそこそっと)」


糸巻堂「そうなのか?」


志桜里「い、いえなんでもないです! 得意の妄想もうそうですよオホホホホ」


糸巻堂「? ……まぁいい。心配はいらない。真行寺しんぎょうじくんは、この糸巻堂いとまきどうの助手にして、自慢じまんのボディーガードだ。彼女がやられることは絶対に有り得ない」


 志村「こうして改めて見ると小さいなぁ番犬のお嬢ちゃん」


さなえ「……」


 志村「徒手としゅ空拳くうけんは体格が物を言う。そんなんじゃ俺には勝てんぞ?」


さなえ「ふぅ……(ため息)」


さなえ「あなたは秘宗拳ひそうけんのことを何もわかってない」


 志村「なに?」


(SE:ズサッ的な足音)


(SE:グキリッ的な骨が折れる音)


 志村「んがッ!?」


さなえ「ひとつ(どっち読んでもいいです。よみがなの方は広東語)」


 高橋「!?」


(SE:グキリッ的な骨が折れる音(と志村の悲鳴))


さなえ「ふたつイー


(SE:バチン的なキック音)


 志村「足がッ!?」


 高橋「何を遊んでいる志村ッ!! 倒されたぞ! 早く起きろッ!!」


(SE:グキリッ的な骨が折れる音(と志村の悲鳴))


さなえ「みっつサァン


(SE:グキリッ的な骨が折れる音(と志村の悲鳴))


さなえ「よっつセイ


 志村「貴様ぁァァ!! こんないとも簡単にッ!!」


 高橋「バカな……」


さなえ「秘宗拳ひそうけんは相手のツボや関節を攻撃する拳法です。だから体格差なんて問題じゃないんですよ。あなたなんて、私から見ればただのデカい的です」


 志村「こんな……こんな! 流れるように両手足を……!! こんな小娘にッ!!! クソッ!!! 俺の手足が! こ、壊され……!!」


さなえ「ああそれですか。実は私……」


さなえ「元々あなたと同業なんです(耳元でささやく的な声で)」


 志村「なッ!? 貴様も殺し……!?」


さなえ「ハアッ!!!」


(SE:バコン的なキック音)


さなえ「ふう……」


 高橋「な……志村が……この小娘……何者だ……ッ」


糸巻堂「秘宗拳ひそうけんの特性と真行寺しんぎょうじくんの実力を見誤みあやまったその男の甘さが敗因だ。そんな輩に、私の助手が負けることは絶対にない」


さなえ「ふー。ちょっとはスッキリした。関節外しただけなのに壊したって大げさですねぇ」


 高橋「……ッ」


 高橋「……まぁ、いいでしょう。」


 高橋「狙え!!」


(SE:ついで銃口を定めるチャキチャキ音(たくさん))


糸巻堂「……」


 高橋「私がこの手を下に下ろせば、私の部下たちが一斉に引き金を引きます。あなたも、あなた自慢の番犬も、そしてそのご令嬢れいじょうはちの巣になることでしょうな」


糸巻堂「ふむ」


 高橋「悪いことは言わない。志村を気絶させたのも不問ふもんにします。ですからおとなしく投降とうこうしなさい」


志桜里「ひ、ひぇ〜。先生こわいですぅ〜。ぎゅーっ」


さなえ「いやむしろあなた全然余裕でしょ怖がってないでしょ絶対」


 高橋「さぁ返答は!?」


糸巻堂「……」


糸巻堂「一つ問いたい。わざわざシビュラの神勅しんちょく奪取だっしゅし、その終末描写びょうしゃになぞらえて川谷大臣を殺したのは、作戦のうちか」


 高橋「さぁ?」


糸巻堂「川谷大臣殺害とシビュラの神勅しんちょく奪取だっしゅがあなたの作戦とやらというのはもう分かっている。あなたの目的は何だ」


 高橋「……わざわざ知らずとも良いことですな」


糸巻堂「そこで気絶している失礼な男は軍人だが本職は殺し屋のようだ。真行寺しんぎょうじくんを侮辱ぶじょくしたのは許せないが、あなたの根幹こんかんはそこまで非常識な人間ではない。そんなあなたが、殺し屋なんて裏稼業うらかぎょうの人間をやとってまで成そうとしているものは何だ。大臣暗殺に一体何の大義たいぎがある?」


 高橋「この国のため……とだけ申しておきましょう」


糸巻堂「……ッ」


糸巻堂「この場で我々に狙いを定めるキミたちに問いたい!」


糸巻堂「キミたちが従軍じゅうぐんして成したかったことはこれか!? 大臣の命令を盲信し、川谷大臣を殺害し、秘密を知った我々を殺し……それが力を持った目的なのか!?」


糸巻堂「違うはずだ! キミたちが持つ力は、未来を築くためにふるうもののはずだ! 愛する者を守るためにふるうもののはずだ!」


 高橋「……」


糸巻堂「キミたち軍の存在目的は、内外ないがいの敵から我が国と国民をその力で守ることではないのか!? キミたちは国に忠誠を誓ったのではないのか!?」


糸巻堂「よく考えるんだ! キミたちが持つその銃口をどこに向けるべきかを! 自分が持つその強大な力を、どのように行使すべきかを!!」


 高橋「……」


 高橋「言いたいことはそれだけですかな?」


糸巻堂「……ッ」


 高橋「正義に満ち溢れ弁舌べんぜつも立ち、度胸どきょうもある……先程の様子を見るに、戦うすべも心得ているでしょう」


糸巻堂「先代より新宮流しんぐうりゅう組手くみて甲冑術かっちゅうじゅつ免許皆伝めんきょかいでんたまわっている」


 高橋「あなた方を殺すのは本当にしい。改めて問います。そちらの助手のお嬢さんとともに、私の配下に加わる気は無いですか?」


糸巻堂「断る。糸巻堂いとまきどうは、自身の正義以外の何者にも縛られてはならない。それが先代より受け継いだ意志であり、私自身の信念でもある」


 高橋「そちらのお嬢さんは?」


さなえ「私はせんせーの助手であり、せんせーの意思が私の意思です」


 高橋「分かりました。実力あるものは、取り込めなければ殲滅せんめつするのみ」


糸巻堂「……ッ」


志桜里「くぅ〜……さすがにこれはちょっと余裕よゆうない……退くか? 退くべきなのか私ッ……?」


さなえ「余裕よゆうしゃくしゃくじゃないですか」


 高橋「撃て!!!」


 英治「(上のセリフに被せて)そこまでだ!!!」


 高橋「!?」


糸巻堂「……」


 英治「この基地はすでに我々警察が包囲しています!! 高橋陸軍大臣及び志村軍曹ぐんそう!! あなたたちを民間人の不当ふとう逮捕たいほ監禁かんきん拘束こうそく、及び脅迫きょうはくの現行犯で逮捕します!!」


 高橋「なんだと……!?」


 リン「テメーらぁあ!!! えーじ先輩のおなりだゴルァ!! 銃を下ろせやクソッタレェエ!!! いくら古巣ふるすでも言うこと聞かねーと一人ひとり闘魂とうこん注入ちゅうにゅうすんぞコノヤロォォオオ!!! 横一列に並べやゴルァァアアア!!!」


 英治「うるさいからキミはちょっとだまってて」


 リン「ウス。えーじ先輩シャス」


糸巻堂「ふぅ……甲斐荘かいしょう英治えいじくん……助かったぞ……!」


 英治「実は、先生たちがぐん施設しせつで拘束されているというタレコミがありまして」


糸巻堂「ほう」


 英治「『オッホッホッ。私は天下の大快盗、翁仮面おきなかめんよ♪』から始まる文面にイタズラも疑いましたが、お店も留守でしたし、念の為にと思って」


糸巻堂「!? 翁仮面おきなかめんだと!? なぜ彼女が!?」


 英治「わかりませんが、結果的にこうして先生のピンチを救う事ができました」


糸巻堂「……そうだな。彼女には一つ借りができたようだ」


志桜里「そ、そんな……翁仮面おきなかめんなんて、デュフッ……そんなん、ただの、デヘヘヘ……オウフ……天下の、大快盗……デュフフフフ……気にしなくて、いいんじゃないですか? ディヒヘヒヘヒハホヒヘ」


さなえ「めっちゃ顔にやけてますやん隠す気ないでしょあなた」


 高橋「クッ……!」


糸巻堂「大臣、年貢ねんぐおさめ時だ。そろそろ観念して、隠し持ったシビュラの神勅しんちょく返還へんかんしていただこうか」


 高橋「……んふふふふふ。フハハハハハハ」


糸巻堂「?」


 高橋「そうでしょうなぁ。あれは外典げてんといえどもユリアンニ教の至宝しほうともいえる書物しょもつ。取り戻せなかったら全世界に対する日本のメンツは丸つぶれになる……あなたたちにしてみれば是が非でも取り戻さねばならんでしょうなぁ」


 高橋「しかしそれを知っていてわざわざ返すと思いますか?」


 英治「あなたの執務室しつむしつを家宅捜索そうさくさせていただきます。きっとそこに隠されている!」


 高橋「いいでしょう。やってごらんなさい」


 リン「よっしゃやんぞ!! 執務室しつむしつに突撃だてめーら!!!」


 高橋「ただし! シビュラの神勅しんちょくが入った金庫は、一度でも私以外の誰かが触れれば、中のものを燃やし尽くす特別な仕掛しかけがほどこされている!!」


糸巻堂「なんだと!?」


 英治「行くの待って!」


 リン「ウス! えーじ先輩シャス!」


 高橋「無論、私が死んでも仕掛しかけは作動します。つまり、私が私自身の意思で開かない限り、シビュラの神勅しんちょくを取り出すことはできない!」


糸巻堂「そこまでして我が国にダメージを与えたいのか、あなたは」


 高橋「とんでもない。この国のためですよ」


糸巻堂「とてもそうは思えん所業しょぎょうだ」


 高橋「まだ若いですなぁ先生。経験が足りませんよ?」


糸巻堂「確かに私はまだ襲名しゅうめいして間もないが……ッ 」


 英治「クソッ……手出しができない……ッ」


 リン「テメェェエエエ!!! えーじ先輩困ってんだろが!!! 黙って金庫開けろやクソがぁああああ!!! ぶちころすぞくされドサンピンがぁぁアアア!!!」


 英治「この非常時に茶化ちゃかさないで!!」


 リン「……ウス。シャス」


さなえ「……あれ」


糸巻堂「? 真行寺しんぎょうじくんどうした?」


さなえ「翁仮面おきなかめんの中の人がいつの間にかいなくなってます」


糸巻堂「志桜里しおりくんが? 確かに姿が見えんな……」


さなえ「『翁仮面おきなかめんの中の人』であの女だとすぐ理解するあたり、せんせーもついに事実を受け入れたのかッ?」


 高橋「さぁどうしますか!? 金庫は私以外の誰が触っても炎上しますよ! もちろん、私は殺されても絶対に開けません!」


 高橋「この難攻なんこう不落ふらくの金庫! 開けられるものなら開けてごらんなさいッ!!!」


翁仮面『あらぁ。意外と素直にカチャッて開いてくれたわよ?』


糸巻堂「!?」


 英治「へ?」


 高橋「誰だッ!?」


翁仮面『んふふふふふふ……ぁぁああーっはっはっはっ!!』


 リン「!? えーじ先輩! あの屋根のとこ!!」


翁仮面おきなかめん「おまわりさんと軍人さんとその他大勢のみなさぁぁああん! 今宵こよいもお仕事お疲れ様!」


 高橋「な……翁仮面おきなかめん……だと……!?」


糸巻堂「こんなときに……一体なぜここに来た翁仮面おきなかめん……ッ!!」


さなえ「よく見てくださいよせんせ! 確かにシルクハットとおきなのお面つけてるけど、中の人と同じ服着てるじゃないですか!!」


糸巻堂「志桜里しおりくんと同じ服を着て姿を見せるとは……一体何を企んでいるッ!?」


さなえ「もうこんなポンコツほっといて私が糸巻堂いとまきどうになろうかなぁ……」


翁仮面おきなかめん「あら大臣! ご自慢の金庫は大層たいそう重くて私の腰が思わず悲鳴を上げるところだったわ! ……でもこの通りっ。じゃんっ」


 高橋「クッ……そ、それは! シビュラの神勅しんちょくッ!! どうやって開いたのですか!? 私以外が開くことなどできないはずだ!!!」


翁仮面『フッ……不可能を可能にする女……それが! 私!!』


(SE:マントヴァサァアアアッ)


翁仮面『おきなッ! かめんッ!!!』


 英治「ク……相変わらず、なんてハレンチなポーズだ……ッ」


翁仮面『どんなに堅牢けんろう錠前じょうまえであっても、私の手にかかれば、大好きなご主人さまを前にした犬さんよろしく、一発でデレデレよ』


 高橋「くッ……」


翁仮面『そう……私に開けられないのは、糸巻堂いとまきどうさまの心の扉だけ……あなたの心の鍵……いつか私が開けてみせる……』


さなえ「最後までセクシー路線貫き通してくださいよなんで急にキャラ付け忘れて清楚せいそなポエマーになってるんですかっ」


糸巻堂「今のセリフはどういう意味だ……私の命を付け狙うとでも言うのか……翁仮面おきなかめん……ッ!?」


さなえ「もうめんどくせえなぁこいつら!! 私の秘宗拳ひそうけんもそろそろ我慢の限界だよッ!」


翁仮面『糸巻堂いとまきどうさまぁあーんっ(必要以上に色っぽく(40000%ぐらいで))』


(SE:『パサッ』的な、本を受け止める音)


糸巻堂「……シビュラの神勅しんちょく、私に返すというのか」


翁仮面『この私の心からのプレゼントです。どうか、どうか受け取ってくださいましっ』


糸巻堂「何を企んでいるのか知らんが……礼を言う! ありがとう翁仮面おきなかめん!!」


翁仮面『お礼にこのあと帝国ホテルのスイートで待っている』


翁仮面『そんな……そんな! 私、まだ殿方とホテルで一泊なんて、心の準備が……』


翁仮面『翁仮面おきなかめん……キミがほしい……ッ』


翁仮面『ああっ……そんな……私のこと、名前で呼んで……でも駄目……呼ばないで……呼ばれてしまえば、私とあなたは同じ甘い時間を過ごせなくなってしまう……でも……でもッ!』


糸巻堂「一体何が言いたいんだ……翁仮面おきなかめんッ……!」


糸巻堂「……? どうした真行寺しんぎょうじくん? 顔が赤いぞ」


さなえ「子供の私にそういうこと聞くな殺すぞ(ややドスの効いた声で)」


糸巻堂「す、すまん……」


翁仮面『さて。この翁仮面おきなかめん、そろそろ普通の女の子に戻ります!』


さなえ「あんた未来のアイドルか」


翁仮面『バイバイ。おまわりさんと軍人さんのみなさん! それではごめんあさぁーせぇえ〜』


糸巻堂「次に会ったときは敵同士……次こそキミを捕まえる! 翁仮面おきなかめんッ!!!」


翁仮面『ずきゅぅぅぅうううん』


翁仮面『クッ……胸が、胸が張り裂けるように苦しい……恋の病で……ッ!!』


(SE:『ボンッ』て音)


 リン「翁仮面おきなかめんのヤロー、けむり玉で逃げやがった! 捕まえんぞ舎弟しゃてーどもぁぁあああ!!!」


 英治「いいよ」


 リン「ぇえ!? 翁仮面おきなかめん逃しちゃうっすよ!?」


 英治「うん。今回は見逃そう」


 リン「……ウス。えーじ先輩シャス」


 英治「あと、みんなは舎弟しゃていじゃなくて仲間だから」


 リン「シャス……」


(SE:ページをめくる『ペラッ』て音)


糸巻堂「……よし。確かに本物だ」


糸巻堂「さて。高橋陸軍大臣、そろそろ白状していただこうか」


 高橋「……ッ」


糸巻堂「あなたが川谷大臣の殺害を画策かくさくし、シビュラの神勅しんちょくを奪取した、その目的を」


 高橋「……ふう」


 リン「スカしてんじゃねーぞテメェェェエエ!! 大臣だからって調子乗んじゃねーぞゴルァァアア!!! えーじ先輩困らせんなやクソがぁァァアアア!!!」


 英治「うるさいからキミほんと黙って」


 リン「ウス。えーじ先輩シャス」


 英治「あと、僕は全然困ってないから」


 リン「うす……グスッ……えーじぜん゛ぱ……ヒグッ……シャス……」


 高橋「……先生。我が国におけるユリアンニ教の歴史はご存知ですかな?」


糸巻堂「人並みには知っている」


 高橋「ならば話は早いですな」


 高橋「我が国にユリアンニ教が伝来したのが、天文てんもん18年……それからこの日本には、ユリアンニ教の宣教師せんきょうしが多数訪れ、そしてユリアンニ教は布教ふきょうされていった」


糸巻堂「その後、時の権力者によってユリアンニ教は禁教きんきょうに指定され、それは今日まで続いている」


 高橋「では先生。なぜユリアンニ教が我が国で禁教きんきょうとされたのか、理由は分かりますか。ヨーロッパの国々が植民地を広げていく際、まず尖兵としてユリアンニ教の宣教師せんきょうしを各地に送り込んでいたからですよ。布教ふきょうというのは口実。その実、我が国のことを植民地しょくみんちとしてねらっていたからです」


糸巻堂「それは知っている。だが今はもう明治の世だ」


 高橋「だから彼らはもう我が国のことを狙っていないと? だからもう心配はない、ユリアンニ教を受け入れろと? 冗談じょうだんではない」


 高橋「ではこれはどうですか。禁教きんきょうのキッカケとなった宣教師せんきょうし追放令ついほうれいですが、それが発布はっぷされることになった理由は、彼らが秘密裏ひみつりに行っていた日本人奴隷どれい貿易ぼうえき。そして勢力が拡大したユリアンニ教が全国で行った、神社じんじゃ仏閣ぶっかくの焼き討ちですよ」


 高橋「ユリアンニ教はこの日本に混沌こんとん混乱こんらんしかもたらさない。歴史がそれを証明している」


糸巻堂「だからわざわざシビュラの神勅しんちょく奪取だっしゅしユリアンニ教信者を装って、川谷大臣を殺害したと?」


 高橋「川谷くんには、ユリアンニ教を我が国に受け入れることの危険性を大々的に伝えるためのいしずえとなってもらったのですよ。欧米おうべい列強れっきょう文明的ぶんめいてきに追いつくためにはユリアンニ教を解禁するしかないと主張していた川谷くんだ。本望ほんもうでしょう」


 高橋「これはユリアンニ教が再び禁教きんきょうとなるまで続く。川谷くんの次は、同じく解禁を声高に主張していた海軍大臣……その次は通信大臣……」


 高橋「続けば続くほどユリアンニ教の危険性は明るみになり、世論は再び禁教きんきょうかたむく……そのはずだったのですが……」


糸巻堂「私たちが捜査に参加したせいで、その計画も崩れ去ったわけだ」


 高橋「まったくです」


 高橋「……先生、あなたは先程こうおっしゃった。『軍の存在目的は、内外ないがいの敵から我が国と国民をその力で守ること』だと」


 高橋「私は守ろうとしたんですよ! ユリアンニ教という外敵がいてきから、この日本という国を!! それをあなたがさまたげた!」


 高橋「国賊こくぞくというのはあなたのような方のことを言うんだ!! 一時いちじのヒューマニズムにおどらされ、この国に致命的ちめいてきな傷を作り余計よけい混乱こんらんを呼び込むあなたのような方のことを!!」


糸巻堂「……」


糸巻堂「私は、ユリアンニ教を解禁することに異存はない。我が国をさらに豊かにしてくれる決断であると確信している」


 高橋「あなたのような方々はいつもそうだ! そうやって知った顔で大切なことを見失い、そして取り返しがつかない失敗をしたあと『そんなつもりではなかった』『こうなることは予想できなかった』と平気で吐き捨てる!」


 高橋「今回もきっと同じだろう! 解禁されることでユリアンニ教は国内に一気に広まり、そして神道しんとう仏教ぶっきょうは攻撃され衰退すいたいする! 我が国の文化は押し寄せる欧米おうべいのそれに潰され、日本という国が無くなり、その時にはじめてあなたは自分の選択が間違っていたことに気付く! しかしそれではもう遅いんだ!!」


糸巻堂「……そもそも、ユリアンニ教はそこまで攻撃的な宗教ではない」


 高橋「どういう意味ですかな?」


糸巻堂「確かにユリアンニ教が広まることで、その土地の土着どちゃくの宗教が衰退すいたいしていった事実はある。だが、それはユリアンニ教が土着どちゃくの宗教を攻撃したからではない。むしろ土着どちゃくの信仰をうまく取り込み、一体化していったからだ」


 高橋「な……」


糸巻堂「加えて、神道しんとう多神教たしんきょうだ。日本に仏教が伝来したときにその神々すら取り込んでしまうふところの深さを持つ宗教だ。それがユリアンニ教に限って取り込むことも出来ず攻撃され、ただ衰退すいたいしていくとはどうしても思えない」


 高橋「しかしユリアンニ教が率先そっせんして我が国の人間を奴隷どれいとして海外に売りさばいていた事実は変わらない!」


糸巻堂「確かにユリアンニ教の国々が奴隷どれい売買ばいばいを行っていた事実はある」


糸巻堂「だが、その事実にユリアンニ教は反対の立場を取っていた。事実、ある国の奴隷どれい売買ばいばい痛烈つうれつ非難ひなんし、即刻そっこくめるように通告するユリアンニ法王庁ほうおうちょう書簡しょかん現存げんそんしている」


糸巻堂「我が国における奴隷どれい売買ばいばいの犯人は、ユリアンニ教というより、海外と貿易を行っていた大名だった側面そくめんが強い」


糸巻堂「さらに、先程あなたは『ユリアンニ教信者が全国の神社じんじゃ仏閣ぶっかくを焼き討ちしたから禁教きんきょうとなった』と言っていたが、それも最新の研究では誤りだ」


糸巻堂「確かに神社じんじゃ仏閣ぶっかくがユリアンニ教信者によって焼き討ちされた事実はあった。だが、それは禁教きんきょうとなった後のことだ。攻撃的だったから禁教きんきょうになったのではない」


 高橋「では禁教きんきょうとなった理由は!? なぜユリアンニ教は禁教きんきょうとなったのですか!」


糸巻堂「いろいろな要因はあるだろうが……一向一揆いっこういっきのように団結して為政者いせいしゃ反旗はんきひるがえさないように……というのが現在の主流の考え方だ」


糸巻堂「当時のユリアンニ教は一向宗いっこうしゅうと違い有力者や大名にも信者が大勢いた。そんな彼らが一向宗いっこうしゅうのように一揆いっきを起こしたら……為政者いせいしゃなら当然抱く危機感だ。第二第三の蓮如れんにょが生まれない保証は無いからな」


 高橋「……ッ」


 高橋「間違っていたのか……私は……ッ」


糸巻堂「あなたが国の行く末をうれう気持ちに、間違いはなかった」


糸巻堂「だが、その出発点と方法は、確実に間違っていた」


 高橋「そんなもの……すべて間違いじゃないか……ッ」


糸巻堂「違う。絶対に」


 高橋「……ッ」


糸巻堂「甲斐荘かいしょう英治えいじくん!」


 英治「……はい」


 英治「改めて。高橋陸軍大臣。あなたを民間人の誘拐監禁と脅迫、そしてシビュラの神勅しんちょく隠匿いんとくと川谷外務大臣殺害容疑で逮捕します」


 英治「ほら。身柄確保して」


 リン「シャス。いまそっちに行くぞテメェ。抵抗したらぶち殺すからなクソが」


 高橋「私を見くびるなッ!!!」


 リン「んだとゴルァ!!!」


 高橋「抵抗はしない。私は負けたのだから」


 リン「……おう。そか」


糸巻堂「大臣、あなたは負けたのではない。あやまって進んでしまった道を、これから修正するだけなんだ」


 高橋「甘いですな先生。そんな甘さでは、これから先、凶悪事件の犯人や翁仮面おきなかめんどもとは渡り合えませんぞ」


糸巻堂「……」


 高橋「私から忠告しましょう先生。あなたは優しすぎる。これから先糸巻堂いとまきどうとして活躍していくのなら、相手への配慮はいりょや優しさはほどほどになさい」


糸巻堂「……それをほどほどにしないのも、先代より続く糸巻堂いとまきどうの信念であり、私自身の意志だ」


 高橋「そのるぎない強い覚悟かくご……やはり私の部下に欲しい人材だ。残念ですよ。あなたがいれば私の計画が失敗することもなかっただろうに……」


 高橋「腹立たしい……ホント、腹立たしいですな……」


糸巻堂「……」


(SE:『ザッザッザッ』て足音)


志桜里「ふぅ。ただいま戻りました」


さなえ「あっ。中の人が戻ってきた」


志桜里「ハァハァ……先程の糸巻堂いとまきどうさま……すごくすごくお美しかった……ゼハァ」


さなえ「鼻血拭けよ(ややドスの効いた声)」


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「……はい?」


糸巻堂「我々の初仕事……成功といっていいのだろうか」


さなえ「事件は解決して犯人も捕まえた。シビュラの神勅しんちょくも無事に取り戻しましたし、解決したといっていいと思いますよ?」


糸巻堂「確かに解決はしたが……私は大臣を救うことができたのだろうか……この国の将来をうれう彼の心に、私は希望をもたせることができたのだろうか……?」


さなえ「……」


糸巻堂「私にはわからない。自信を持って『成功した』とはいえない気がしている」


さなえ「……せんせ。手、出して」


糸巻堂「ん……?」


さなえ「せんせーは真面目ですね。出会った頃と変わらず」


糸巻堂「そうか?」


さなえ「はい。こうやって握ってる手も、初めて会ったときと同じく、おっきくて、力強くて……あったかいです」


糸巻堂「そうか……」


志桜里「!? どさくさに紛れて糸巻堂いとまきどうさまと手をつないで見つめ合っているだと……ッ!?」


志桜里「私も紛れ込みたいが……それをやっちゃいかん空気が……ッ!?」


さなえ「せんせーは、これからもこうやって何度も悩んでいくんでしょうね。せんせーはおっきくて強いけど、とっても優しいから」


さなえ「でもせんせ? どうかこれからも、今のままのせんせーでいてくださいね。変わらない、私が好きなせんせーのままで」


さなえ「私も悩みますから。せんせーのとなりで、せんせーと一緒に」


糸巻堂「……ああ。そうだな真行寺しんぎょうじくん」


糸巻堂「だがキミの協力も不可欠だ。これからもよろしく頼むぞ。真行寺しんぎょうじくん」


さなえ「はいっ!」


 英治「ふぅ。これで一件落着かな」


 リン「えーじ先輩シャス! 高橋大臣、護送車ごそうしゃに乗せたっす!」


 英治「おつかれさま。ありがとう桜庭リン巡査長」


 リン「し、シャス……」


 英治「? どうかした?」


 リン「自分、がんばったっす」


 英治「うん」


 リン「ご褒美がてら、頭でてくれてもいいっすよ」


 英治「え〜……キミ幼女じゃないでしょ~……」


 リン「シャス」


 英治「……ここじゃ人の目あるから、しょに帰ってからでいい?」


 リン「パァァァ……ウス! えーじ先輩シャス!」


糸巻堂「さぁ店に帰ろう。真行寺しんぎょうじくん!」


さなえ「はいせんせ!」


糸巻堂「帰ったら寝る前に真行寺しんぎょうじくんのご飯が食べたい!」


さなえ「分かりました!」


糸巻堂「志桜里しおりくんと甲斐荘かいしょう英治えいじくんもどうだ!?」


志桜里「よろしいんですか!? ありがとうございます!」


 英治「ぼくは署に戻らなければなりません! また後日ということで!」


糸巻堂「わかった!」




13. 一時間後 貸本屋『糸巻堂』床の間


志桜里「ふぅ〜……お皿洗い終了……」


志桜里「……あれ。糸巻堂いとまきどうさまたちがいない」


志桜里「糸巻堂いとまきどうさま〜……どちらへ行かれたのですか〜……?」


(SE:ふすまが開く音)


志桜里「……あ」


糸巻堂「クカー……」


さなえ「スー……ギリギリ……」


志桜里「なんと羨ましい……糸巻堂いとまきどうさまとおじょうちゃんがをしておるとな……!?」


志桜里「しかもお嬢ちゃん、糸巻堂いとまきどうさまのお腹を枕にしているというのに、なんという苦悶くもんの表情……鬼瓦おにがわらのように恐ろしい……」


志桜里「……まぁ、夜通しでしたしね。二人とも疲れたんでしょうね。このまま寝かせておきましょ」


志桜里「うらやまましいけど……ッ!! 血の涙が出るほどにッ!!!」


(SE:ふすまが閉じる音)


糸巻堂「真行寺しんぎょうじくん……腕立て伏せ……残り793回、だ……ムニャムニャ」


さなえ「せんせ……ファニーボーン……えぐり切る……ッ! ギリギリ……クカー……」


おわり



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【劇用台本】糸巻堂、惑う おかぴ @okapi

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