アングラ系のお兄さんと共依存交際中の着物美人なお姉さんは一軍男子高校生に惚れられる

エディ

ヒーロー

遠のいていく白い体躯を見つめた。


「ん。キレイ」

他人事のような自分の声が他人の声のように耳に届いて、じわりと口元が緩んだその頃には、成長途中の少年と青年の狭間にあるやや筋張った手首を掴んでいた。

顔からすっころげそうになるのには右手で手すりを捕まえて何とか堪えられた。

そしてその代わりに手の中にあったハンドバッグが通行人の頭の上を飛んで、身体の右側面は壁に打ち付ける。腰まで伸ばした髪が顔の前で舞った。

レイナは徐々に主張を強める鈍痛にきゅうん、っと甘ったるくトキめいた。

「だいじぶ?」

「は、…あ、ぁ」

それを悟らせぬよう、レイナはやわこい若い手に指を埋めたまま小首をかしげて問うた。

それに対して呆然と発された言葉とも言えない返答は随分と気が抜けて、大そう張り合いがなかったが、レイナの胸は充足感やら優越やらで満ちていた。

なぜなら、怖々と自分を振り返ったその顔が思った通りかそれより上等に美しかったからである。

「頭打たなくって良かった。立てる?」

こんなに綺麗なお顔なのに頭がパアになってしまったら勿体ないわと思って、彼の背中がとっさに彼の頭を守ったのに安堵した。

しかし、その手が心もとない段差を押し返し、次に足に力を入れようとするも膝がかっくりと折れてしまった。

「ん…あ?なに…」

その様子に思わず、レイナは声を抑えることなく笑ってしまう。

「ありまあ。ふふ」

当の本人の何も分かっていないような無知で無垢な表情にまたきゅんとした。

「腰抜けてしもうたんやろ。

あんまりビックリしたから」


しゃあないね。


息を飲むほど繊細な白い着物に身を包んだ世にも奇麗な女が一匹狼系の超絶イケメンを姫抱きにする様を、偶然居合わせたひとびとはかの女よりもよほど屈強そうに見える野郎もふくめて、何かの神話の再演かとただ見守ることしか出来なかった。


力の入らない身体を自分よりも線の細く若い女に軽々と抱き上げられて、夕里(ゆり)はうっかり我を取り戻してしまった。

状況を把握するのを頭が拒むなんて感覚は叶うなら一生のうちに一度も体験したくはなかったが、そんなささやかないたいけな少年の期待はあえなく打ち砕かれた。

「ぅうー、ァ、ごめん」

しかし、いつまでも見知らぬひとの厚意に甘えているわけにもいかないので、とりあえずは何かを述べねばとはくはくと空気を食んだ。

そうしてそののち、たっぷり十五秒後、やっぱり意味を持たない唸りをあげてからではあるが、夕里はやっとのことで人間らしい言葉を口にすることに成功したのだった。

が、夕里の達成感に反して女の柳眉が不快げに上がった。

「私、ごめんなさいは好きちゃうの」

今までに接したことのない不思議な語感で女は言った。

関西弁に近いがそうでもない。

そもそも、若い女性がいま流行りのレンタルなモダンさもない和服を当たり前のように着こなしている姿が夕里にとっては不思議で、ちょっとばかり異質だった。

そんな理由でちょっとばかり理解が遅れた夕里はちゃあんと一拍置いてから。

「好き…じゃない?」

聞き返した。


「謝罪って、なんか自慰やと思わん?」


「…じい?て、なんすか?」

イマイチぴんと来ていないらしい少年にレイナはウン、と頷いてから続けた。

「まだ難しいか。きみ、おいくつ?

それよかなんて呼んだらいい?」

レイナは聞きなれないイントネーションでの矢継ぎ早な質問に腕の中の少年が処理落ち寸前なのをつゆほども知らない。

ただただ尚のこと可愛い顔をしている子を食べちゃいたいなあと思いながらにっこり微笑んでいた。もっともレイナにとって、自分が笑いかけた相手が頬を赤らめるのは、リモコンのボタンを押したらテレビのチャンネルが切り替わるのと同列の事象だった。

じっと澄んだ色素の薄い黒目をレイナが何の気なく見つめていると、やがて不意にその下で薄い唇がもにもにと動き出した。

そして胸が大きく一度上下したかと思うと。

「シイナ ユリ、です。歌手の椎名梨の椎名に夕方の里。歳は十七歳。」

今までの初心さが嘘のように流々と話し出した。


少年は、この人相手に人並の緊張は意味がないと漠然と理解したのである。


しかし肝が花見の場所取り並みに据わり切っているレイナは特に驚くこともなく、

「素敵な名前。…

そうねえ、そうしたら、リリーじゃな」

と言った。

「リリー?」

ユリが復唱する。

それにレイナがウンと頷くとなぜかユリは不愉快そうに眉を寄せるのである。

何かおかしなこと言ったじゃろうか。

「……そのユリじゃねえ、です」

「あら知っとったの。リリーはおぞいんね」

「…おぞいって?」

「んと、頭がよいのねってことよ」

「バカにしてます?」

「まさか。お姉さんがそれくらいのときはエービーシーも分からんかったもの。

あと敬語じゃのうてもええよ」

何気ない話をしながらレイナはハイヒールのかかとをかつんかつん鳴らして歩く。

はて、冷蔵庫にすいか残ってたやろかと思いながら。

春のあの手の果物は酸いと思い込んでいたが”彼”が気まぐれに買ってきたそれはものすごく甘かったから。ユリにも食べさせてあげたいと思ったのである。

そんなことを何の気なしに考えていたさなか。

「あの、ありがとうな」

殊勝なセリフと一緒に、抱いていた身体が控えめにうごめいた。

それに気がついた鈴鳴はすぐ下にある端正な顔立ちを見下ろす。

「あ、もだいじょぶ?」

「おう。…ごめ…や、ほんとにありがとう。

いろいろ助けてもらっちまって。」

レイナがごめんなさいが嫌いなのを知って、言いかけてやめる健気さが愛らしくて、レイナはによによっと締まりなく笑った。


物理的にやっと地に足をつけた夕里はその笑顔を見て、あばらを両側から締められるような痛みを感じた。

なお、さらに言うならば露骨にそれを顔に出してしまったものだから、

「あえ!やっぱしまだ痛かったんじゃろ、おぶろっか?」

などと彼女を心配させてしまった。

「や、大丈夫。

…な。それより、名前なんつーの。俺だけしか言ってなかったから」

なんとなく、今この話題を掘り下げるのは不利な気がした夕里は慌てて話題の方向の舵を切った。

彼女は一瞬きょとん、と目を瞬かせたがやがて合点がいったようにゆるりと微笑んだ。

薄く紅が差した唇が笑みを形づくる様はまるで外国の絵画のように可憐だった。

「レイナよ。

鈴が鳴るって書いて読ますんよ、洒落とるでしょ?」

鈴を転がすような音で鈴鳴は言った。

「似合うな」

「ほんまに?ふふ、嬉しい」

名は体をあらわすという言葉がこれほど当てはまる女性もそうそういないだろう。

お世辞でもなく思ったことをそのまま口にすれば、また特有なイントネーションで鈴鳴は嬉しそうに笑った。頬には少しばかり朱が散っているようにも見えるが、希望的観測かもしれない。

その、関東と関西と、そのどちらとも違うものが交ざりあったような方言と彼女の姿はやっぱりどこか浮世離れしている。


眉の上で切りそろえられた前髪、腰まである嫋やかな黒髪、長いまつ毛をたくわえた猫のようなまなじりと大きな瞳、筋の通った高い鼻と小さくて血色のよい唇、雪のように白い肌。

小さな花の刺繍があしらわれた白い着物からのぞく手足は花車(きゃしゃ)で、こめかみにはそれと揃いの花が刺されている。また本来ならとうてい和装に似合わないはずの海外の有名なハイブランドのハンドバッグと海のような色をしたハイヒールがよく映えていた。

そして、ほのかに甘い花の香りがするのである。


「着いたわ」

「……ここは?」

「ん?お姉さんのウチよ。

看病するつもりで連れてきたけど良うなってよかった。

せっかくだし、ちょっと休んでったら?」


レイナはにこっと口角を上げた。

見目が良く、礼儀も正しい男の子がずいぶんと気に入ったのだ。

しかし、ユリはあっと声を上げてから何かを考えるように視線をさまよわせたのちに、へにょりと眉を下げた。

奥二重の甘やかなアーモンド型の目が細められる。

「俺母さんの見舞いに行かないとだめで。

駅にいたのも病院行く途中だったんだ」

「あ、そやったの」

鈴鳴はそれを聞いて勝手に家まで連れてきてしまったことを申し訳なく思った。

そこで、あっと思い出す。

「それなら仕方ないね。ちょいとだけ待てる?」

「?おう、大丈夫」

「すぐ帰ってくるからね!」


果たして、一度家に入っていった鈴鳴は宣言通りすぐに出てきた。

その細腕の中には大きな花束が抱えられている。

「それ…」

「育ててるのよ、お花。お母さん、はよう元気になるようにお姉さんからもほんの気持ち、ね」

鈴鳴は、心做しか早口で言った。

なにかに少しばかり動揺しているような表情に気圧されてその花束を夕里は受け取った。

夕里は、黄色のバラとオレンジのカーネーションが束ねられた明るい色合いのそれはあの殺風景な病室に彩りを与えてくれそうだと思う。

あの人が喜ぶところはあまり想像できなかったが、何より、鈴鳴の心遣いが嬉しかった。

見ず知らずの自分を助けてくれ、赤の他人である親にまで心を配ってくれる、今までに出会ったことの無いほど優しい女性(ひと)だ。

「ありがとうばっかりだ」

「いいのよ」

鈴鳴の長くてほっそりした指が夕里の髪を梳くように撫でて、離れていった。

そのまま背を向けて家の中に消えていった彼女は春の蝶のようで、夕里はただしばらく、美しい女が消えていった物言わぬ焦茶の扉を見つめていた。

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