夜は僕を生かすか

下間利兎

白い世界

 時の経ちは早かった。

 家の外は桜が満開で、壁ひとつを挟んだふんわりと漂う空気には、心做しか桜と新緑が香る気さえする。


 外に出るのはいつぶりだろうか。


晴れて高二になった今、俺にはやらなければならないことがあって、そのためには外に出なくてはならなかった。怖い、という己の腑抜けを無視して、少しばかり勢いをつけてドアを開けた。春らしい、吹き荒れた風が頬を掠める。頭に被っていたパーカーのフードは見事に取れて、少し伸びた前髪は風に乗って揺らめいた。フードを被り直して前髪はそのまま、耳にイヤホンをねじ込んで歩き出す。久しぶりの外は暖かくて、心地が良かった。

沙椰さや

背後から届く、よく耳に馴染んだ声が俺の足を止めた。

怜央れお。どっか出かけるのか?今日学校だろ」

「まあな。久しぶりじゃん、元気してた?」

そこそこ、と笑って返すと、怜央も笑ってかけ寄り、俺の隣を歩き始めた。怜央はすらっとしていて顔もかっこよく、人に寄り添うことのできる、言うなれば模範人間だった。

「久しぶり。彼女はできたのか?」

「バカにしてんのか。俺男子校だぞ」

怜央は吐き捨てるように言った。怜央の高校はこの街じゃ数少ない男子校で、偏差値はそこそこ。やや盛って中の上なんてところ。俺も行ってこそいないが、その高校の生徒だ。

「いや、合コンとか行かないのかよ。男子高校生は行くもんだろ、そういうの」

「行かねぇ。興味ねぇ」

石をコツンと蹴る音がする。

「……そのスペックでもったいねぇな」

「うるせぇな」

 お互いにやれやれと肩をすくめる。考えていることは同じだった。

「お前、変わんないよな」

「お前もな」

ふ、と顔を綻ばせる。怜央の横顔は整っていた。

「なぁ、怜央」

 怜央は「何だよ」と俺に目を移した。

「……何で、俺なんかとまだ居てくれるんだよ」

 怜央は口角を下げ、顔をこちらに向けた。

「は?」

「俺は学校行ってないから分かんないけどさ。多分怜央なら友達たくさんいるんだろ?俺のことなんか構ってられないくらい」

「……」

「だから何でかなって」

「馬鹿野郎」

 言いながら俺を小突く。そして大きなため息をついた。

「確かに友達はいるし、お前は学校来ねぇけどな。それがお前と疎遠になる理由にはならねぇよ」

それにな、と怜央は続ける。

「さっきお前は、俺に“そのスペックでもったいない”って言ってたけど」

 怜央は俺の目の前に立ち、そして俺を指差した。

「俺もそう思ってる。お前は人を想えるいい奴だから、家に籠ってちゃもったいねぇ、ってな。事実、学校の奴らも、お前がまた学校来るのをずっと待ってる」

「……」

 待ってる―――その言葉を聞いた途端、心臓がズキズキと痛み始めた。怜央は俺の様子を察したのか、「そういうとこな」と笑った。

そして「着いたぞ」と、俺が通れるよう横にはけた。目の前はすでに目的地だった。

「でも、だからって、お前に無理させるつもりはさらさらねぇ」

「……怜央はいい奴だよな、本当に」

「誰に似たんだか。ほら、行ってこい」

 手をひらひらさせて、怜央は踵を返した。こっちの道に用なんてないのに、俺の話し相手になってくれたのか。

 友達の優しさを噛み締めながら、俺は足を踏み入れた。数え切れない程の墓。俺はその中の一つの墓の前に膝をついた。「白石家之墓」と彫られたそれは、前に来た時よりも黒ずんで、お世辞にも綺麗とは言えないものだった。

「……来たよ。みんな」

当たり前だが返事はない。俺は気に留めることなく、さっさと墓の掃除を始めた。

この墓を掃除できるのは、今は俺しかいない。外に出るのが嫌でも、どうしようもない事実だった。

「俺、こんなになっちゃったけどさ。自分は不幸な奴だと思ってたけどさ。……そんなことないんだなって、今、すごく感じた」

 怜央や学校の友達を思い出しながら、眠る家族に語りかける。何もない平日の朝っぱらに墓に来る奴なんて俺くらいだから、気兼ねなく声を出せるこの空間が、俺はすごく好きだった。

掃除が終わり、墓前で手を合わせる。そして目を閉じ、息を深く吸って決断した。

 「……俺、明日から学校行くよ。いつまでもこんなんじゃ、誰にも得がないしな。……それに早く、あいつらに会いたい」

そう口に出し、目を開いた時だった。


 「―――は?」


俺が見たのは、どこまでも並ぶ墓たちではなかった。


 何もない、真っ白な、ただのだった。


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夜は僕を生かすか 下間利兎 @OrimaRito

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