開通

増田朋美

開通

今日は穏やかに晴れていて、いつまでもこんな日が続いてくれればいいのになと思われるほど晴れていた。まあいずれにしても、こういう丁度いい気候というのは長続きしないということが多いので、必ずなにかトラブルが起きて終わってしまうということが多いけれど、それでも、人間生きていくものだし、同時に過去にも戻れないということも忘れては行けない。

その日、製鉄所では相変わらず杉ちゃんが水穂さんにご飯を食べさせようと頑張っていた。いつでも介護というものは、どんなときでもどんな身分でもしなければならないのだ。その日は、フックこと植松淳さんが、手伝いに来てくれていたのであるが、正直なところ、片腕のない彼にできることは限られていて、手伝っているのか、そうでないのか、よくわからないところもある。

そんなわけで、二人がかりで、水穂さんにご飯を食べさせようとしていたのであるけれど、相変わらず水穂さんは食べようと言う気になってもらえないようで、ご飯を口にしても咳き込んで吐いてしまうことが続いていた。それではだめだぞといくら杉ちゃんたちが言い聞かせてもだめだった。

杉ちゃんたちが、どうやったらご飯を食べてくれるんだろうね、二人で話していると、

「おーい、水穂いるか。ちょっと、お前に聞いてもらいたい事があって、今日はこさせてもらった。ちょっと話を聞いてくれないかな?」

やってきたのは、広上麟太郎であった。なんでこういうときに限ってこの人がやってくるのかよくわからないけれど、不意に変なときに現れて、突拍子もない事を言うのが麟太郎である。今日もまた、なにかトラブルを持ってきたのかなと思われるが、その内容はとても、変なことが多いので、杉ちゃんたちも呆れてしまうこともあった。

「それでは上がらせてもらうよ。おう、ジェームス・フックもここにいたか。それでは丁度いいな、今日はついているぜ。よし、じゃあすぐに本題に入らせてもらおうかな。そこの丹下左膳になり損ないの、作曲家にお願い。お前に、箜篌とオーケストラの協奏曲を書いてもらいたい。お願いできるかな?」

麟太郎はいきなりこういう事をいいだした。

「箜篌、ですか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「雅楽で使うアングラーハープのことですね。」

と、水穂さんが言った。

「な、なんですか。僕、雅楽なんてほとんど知りませんよ。雅楽なんて、ほとんど聞いたことが無いんですから。それなのに、雅楽の協奏曲をかけなんて。」

フックが驚いてそう言うと、

「いいじゃないか、やってもらおうぜ。なかなか日本のハープを主役にする曲は無いよ。それなら、ぜひ、やってもらおう。」

と、杉ちゃんがすぐ返答した。

「そうですが、どうして急に箜篌という楽器の協奏曲なんかやろうと思ったんですか?確かに美しい音のする日本のハープですが、それをオーケストラと一緒にやるなんて、どうかしてると言われても仕方ありませんよ。」

水穂さんがそう言うと、

「い、いや、実はな。俺の知り合いのハーピストで、足が悪くなって箜篌奏者に転生したやつがいてさ。そいつに、花を持たせてやろうと思って、それでお願いしたんだよ。」

麟太郎は申し訳無さそうに言った。

「まあ確かに、ダブルアクションハープみたいにペダルを使うことはなさそうですけど、、、。」

水穂さんは、変な人がいるものだという顔をして言った。

「でも、いいことじゃないか。洋楽をやっていたやつが邦楽に転生するなんて。また新しい音楽が始まろうとしてるじゃないの。どうせね、邦楽なんて、洋楽の力を借りないと、普及しないのは、はまじさんのお琴教室の話を聞けばわかることだろう。それに、そういう事はお隣の国家である中国ではよく行われていることだろう。伝統楽器と、洋楽合奏を合体させるという試み。」

杉ちゃんがすぐにそう反論した。確かに、中国では、伝統楽器である二胡とか古筝などの楽器にオーケストラで伴奏をつけることはよくあることである。日本では、簡単に西洋音楽と合わせるという例は少ないが、あるマンドリンオーケストラでは、日本の琴とマンドリンオーケストラの合奏を成功させたという例もある。

「そうですが、僕はあいにく、雅楽というものには一切触れて来なかったので、和声理論とか、そういうものをよく知りません。なので今回はちょっと無理だと、、、。」

フックは、申し訳無さそうに言った。

「だけどねえ、演奏者のことも、考えてやれよ。それに、大体の現代音楽の作曲家は、邦楽の理論のこととか、ほとんど知らないで作曲をしていると思うよ。そんな事気にしてたら、邦楽は潰れちまうんじゃないの?」

「しかし、曲を書くのに、箜篌という楽器の実物を見てから出ないと、かけませんよ。どこかにあるんでしょうか。先程も言ったとおり、雅楽というものには全く触れてこなかったんです。」

杉ちゃんがそう言うと、フックはまた申し訳無さそうに言った。

「そうですね。確かに一度楽器を見てみないと、箜篌のことはわからないでしょう。雅楽といえば、神道や仏教にまつわる音楽ですから、神社の雅楽隊の方に話を聞いてみればいかがでしょうか。大きな神社だったら、箜篌の担当者がいるかもしれません。」

水穂さんが、彼を養護するように言った。

「このあたりで大きな神社というと、米之宮浅間神社だよな。そこで確か、雅楽教室やっているはずだよ。ちょっと、取材をさせてくれということで、お教室を見学させてもらったらどうだろう。」

なんでもすぐに思いつく杉ちゃんがそういう事を言った。

「なんなら、僕も一緒に行くぜ。」

「そうかそうか。じゃあ、そういうことなら、杉ちゃんとジェームス・フックとで、取材に行ってもらおう。俺、もう曲を持っていくって、箜篌奏者に言ってしまったんだ。だからすぐに作曲に取り掛かってもらいたいわけ。ぜひ頼むよ。よろしくな!」

強引な麟太郎がそう言うと、水穂さんが心配そうに杉ちゃんとフックを見た。杉ちゃんは、それをはあ何だとすぐにかわして、

「大丈夫だよ。きっと雅楽奏者なんて、日の当たる場所に出たいけど出れなくて、困っているやつばかりだからな。そういうやつに、曲を書かせてくれと言えば、喜んで協力してくれるさ。そういうもんだ。大丈夫大丈夫。すぐに取材に行こう!」

気の早い杉ちゃんは、すぐに出かける支度を始めてしまった。水穂さんが杉ちゃんに、せめて着流しはやめて、羽織を着ていったほうが、着物の格が出ていいのではないかと言ったが、

「いいのいいの。黒大島が、上は武家から、下は農民まで浸透していった唯一の着物なんだから。それに、今の時代は、黒大島であれ、羽二重であれ、着物であれば、皆受け入れてくれるさ。」

と、涼しい顔をして言うのだった。確かに、黒大島というブランドの着物は、普段着であり、誰かを訪問するとか、そういうときには使わないきものとされている。特に雅楽をやるような人は、そういう事をとても気にするだろう。なぜかといえば、雅楽は箏曲などの伝統芸能よりも更に格上の、天皇家も愛好してきた音楽なのだから。そんなものをやるような人が、黒大島を改まった着物として、認めるわけがない。

「少なくとも、僕が着ている銘仙の着物よりは、いいのでは無いでしょうか。」

水穂さんがそう言った。少し沈黙が流れたが、

「じゃあ僕、フック船長と二人で、行ってみるわ。事情を話せば、なんとか入らせてくれると思うんだ。それで箜篌奏者に合わせてくれと言うことだってできると思うぞ。じゃあ、行ってみよう。」

と、杉ちゃんはでかい声で言って、巾着袋を取り、玄関先に向かって行ってしまった。スマートフォンを操作できないフックの代わりに、麟太郎が、自分のスマートフォンで、障害者用のタクシーを呼び出した。そして、足が悪い男と、片腕の男が一緒に乗るからとしっかり伝えた。数分後、障害のある人が乗れるように設計された、ワゴンタイプのタクシーが、製鉄所の前にやってきた。二人は、それに乗り込んで、米之宮浅間神社まで連れて行ってくれと頼んだ。タクシーの運転手は、初詣でもあるまいし、こんな時に神社に行くなんて、なにか祈祷のお申し込みですかと不思議がっていたが、杉ちゃんが単に箜篌奏者に会いにいくのだというと、そんな楽器があるんだと、余計におかしな顔をした。フックが、雅楽という音楽で使用する日本のハープだというと、運転手は日本のハープなんて知らなかったと驚いていた。

「お客さん着きましたよ。米之宮浅間神社です。」

運転手は、神社の入り口で、タクシーを止めた。

「ありがとう。帰りも乗せてくれるかい?」

と杉ちゃんが言うと、領収書に書いてある番号に電話してくれと言って、二人を素早く下ろし、すぐに神社を離れてしまった。とりあえず、米之宮浅間神社は、敷地も広くて、特に大きな段差もなく、すぐに本殿に行けるようになっている。本殿だけでなく、隣に公会堂のような建物があり、ここで神社にまつわる講座や、雅楽教室も行われている。杉ちゃんたちが、そこへ近づくと、中から篳篥と呼ばれるオーボエのような原理で音を出す楽器の音が聞こえてきた。

「お、やってら。」

と杉ちゃんが言った。確かに、音が聞こえてくる。もちろん雅楽の楽器という物は色々種類があり、篳篥とか龍笛などの管楽器もあるし、楽箏や楽琵琶。和琴などの弦楽器、それからもう現代ではほとんど使われてはいないけれど、排簫や、阮咸といった楽器もあるのである。多分それらの楽器が音合わせをしているのだろう。

「すみません!すみません!」

杉ちゃんは車椅子を動かして、その建物の玄関ドアを叩いた。

「あの、僕達、洋楽の作曲をしているものですが、お前さんたちの楽器である、箜篌の協奏曲を書かせてもらいたいんだ。ちょっと楽器を見せてもらうことはできないだろうか!」

杉ちゃんという人は、こういうときになんでも発言してしまうくせがある。多分読み書きもできないし、歩けないことからすぐに頼んでしまえるのだろう。音はそのままだったが、誰かが建物の入口に近づいてくる音がする。がちゃんと音を立てて、玄関の戸が開いた。出てきたのは、若い男で、まだ楽器に触って数年というところだろう。こういう音楽の楽器を習うとき、若い人は、下働きのような事をさせられるのが当たり前なのである。

「はい、どんな御用でしょうか。」

取り合えずその人は言った。

「ああ、あのねえ、こいつがな、箜篌とオーケストラの協奏曲を書かせてもらえないかと言っているんだが、雅楽というものに触れたことが無いらしいんだ。だからちょっと箜篌を見せてもらってさ、音を聞かせてもらえないかな?」

杉ちゃんが事情を話すと、その人は困った顔をして、公会堂の奥にいるおじいさんに目配せした。おじいさんは和琴という雅楽の楽器を調弦していた。和琴は、雅楽隊の中で一番えらいと言われる人が演奏するものである。だから、言ってみれば、コンサートマスターと同じである。おじいさんは、杉ちゃんたちを見た。確かに雅楽隊で練習している人たちは、皆黒大島なんて着ている人は一人もいない。ましてや銘仙なんて着ている’人は要るはずもない。

「そういうわけで、お願いしたいんだ。ちょっと箜篌という楽器を見せてちょうだいよ。こいつの曲のために。」

杉ちゃんがわざとおちゃらけて言うと、周りにいた雅楽隊のメンバーは変な顔をして杉ちゃんたちを見た。フックは、それを見られて何か恐怖でも感じたのか、

「あ、ああ、あの、、、。」

としか言えない。雅楽隊の人たちは、二人の着ている着物を見て、

「はあ、足が悪いのと、腕がないやつが訪問するとは珍しい。生意気に、着物を着ている。」

というのである。

「ああ、僕も足が悪いし、こいつも、着物のほうが、きやすいからそうしているだけだよ。だってそうじゃないか。洋服の片腕をぶらぶらさせるなんて、かっこ悪いじゃないか。」

杉ちゃんはすぐいった。

「そうですが、洋楽の奴らは、もとから信用してはいけないといわれているじゃありませんか。どうせ、箜篌を使いたいと言ってもろくな使い方はしませんよ。私達も、何回も雅楽楽器を使って、協奏曲を書かせてもらいたいという依頼を受けましたけど、どうせ主役になれないじゃありませんか。どうせ、この人もそのとおりでしょう。洋楽なんてそんなもんですよ。」

と、羯鼓という太鼓のような楽器を担当している奏者が言った。確かに雅楽隊に所属しているというだけあって、喋り方はとても丁寧であり、俗っぽい喋り方はしない。でもその内容は、絶対に洋楽を受け入れないぞといいたげなくらい、強い言い方でもあった。

「まあ、そうなんだけどねえ。でも、こいつは、絶対、箜篌を壊すようなそんな真似はしないと言っている。だから、それは、心配しなくていいよ。」

杉ちゃんが言うと、

「そうですが、私達は、何度その言葉に騙されてきたんでしょうか。確かに、雅楽にはいろんな楽器があるし、洋楽の奏者が、洋楽の中に取り入れたいと言ってきたことはよくあります。しかしですね、それは私達が求めている世界とは、全然かけ離れているじゃありませんか。あんなロックみたいなシンコペーションを連発する、派手に叩きつけるようなパフォーマンスを要求する。それは本来の雅楽の弾き方ではございません。そのような事を私達はしたくありません。そうやって洋楽に協力したら、雅楽の本来の味は必ず壊されます。雅楽は、そういうものではありませんよ。」

と、楽箏奏者が声を張り上げていった。楽箏と言う楽器は、いわゆる琴と似たような楽器であるが、雅楽の中でも残樂と言って、曲を締めくくるソロを弾くようなこともあるから、雅楽の花形である。ちなみに六段の調という曲は、その雅楽のソロを八橋検校が寄せ集めて作ったものと言われている。

「おまけに、今回のおふざけものは障害者だ。まあ、健康なひと以上に、私達を満足させる曲を作ることはできませよ。箜篌のための協奏曲を描くなんて、無理な話じゃありませんかね。どうですか、佐藤さん。」

と、琵琶奏者がそう発言すると、一番はじめに応答した若い男性が、え、僕ですかといった。ということはこの若い男性が佐藤さんで、つまるところ、箜篌奏者だったようだ。

「そうですね、少なくとも、こちらの二人は、おふざけものという感じはしなさそうな気はしますけど、、、。」

と佐藤さんと呼ばれた箜篌奏者は、なんだか申し訳無さそうに言った。

「いや、佐藤さん、騙されてはいけません。今までも、何回も雅楽の楽器を使って協奏曲とか合奏曲を書きたいという作曲家が現れましたけど、皆、私達を満足させてくれる作品は書いてくださいませんでした。だから今回も無理な話ですよ。それに私達は、洋楽のせいで、立場を失ったようなものでもあるのだし。それをしっかりしなければ、私達は雅楽隊として機能しませんよ。」

楽箏奏者がそういった。確かにそのとおりだった。明治期に急に洋楽が普及してしまったせいで、雅楽はそれまで隆盛を極めていたのに、それを洋楽に盗られてしまったという気は確かにあると思う。

「ごめんなさい。」

不意に誰かが言った。

「ごめんなさい。皆さんの立場を奪ってしまって。」

フックは、もし両手があったら、両手をつくような仕草で、雅楽隊に向かっていった。雅楽隊の人たちは、そんなことで、解決するはずがないと、杉ちゃんや、フックを小馬鹿にするような顔で見ていたが、

「ごめんなさい。」

フックはもう一度言った。

「僕らは悪くないよ。ごめんなさいなんて、」

と杉ちゃんは言ったが、フックは顔をあげず、顔を床につけて謝罪をした。雅楽隊の人たちは、リーダーである和琴奏者のおじいさんに、指示を仰ぐというような顔をした。雅楽隊のリーダーである和琴奏者のおじいさんは、床に頭をつけているフックを見て、

「あの、片腕のお若い方、どうか頭を上げてください。」

と言った。

「そうやって、私達に謝罪をしてくれた方は一人もいませんでした。そういうことなら一度頼んで見ましょうか。この佐藤に、箜篌の事は何でも聞いていいですから、ぜひ、協奏曲を作っていただきましょう。」

「しかし、また変なものを書かれたら、こっちも困りますよ。」

羯鼓奏者がそう言うと、

「そうならないように、私達が洋楽に歩み寄るのも必要なんじゃありませんか。」

と、おじいさんは言った。

「バンザーイ、開通だ!」

杉ちゃんがでかい声でそう言ったが、フックはまだ頭を床につけたままだった。それを見た箜篌奏者の佐藤さんが、こちらへいらしてくださいと言って、彼を公会堂の中へ招き入れた。他の団員たちは、本当に片腕男にできるんだろうかという顔をしていたが、おじいさんはそれを厳しい顔で、静止させた。杉ちゃんのほうは、玄関先にいるしかできなかったが、それでも、無事に開通して良かったぜ、と呟いていた。佐藤さんから、箜篌の音域や調弦法などの説明を受けているフックこと植松淳さんを見て、おじいさんが杉ちゃんに、

「期待していますからね。」

と言った。杉ちゃんも杉ちゃんで、こういうときにはちゃんと答えを出してしまう一面があり、何も考えることもなく、

「おう、任せとけ!」

とでかい声で言ったのだった。フックは、箜篌の調弦で有名な「水調子」について説明を受けていた。これが、最も高尚な音形なのだそうだ。佐藤さんからぜひ、水調子を使って書いてくれと言われて、彼は、顔をクシャクシャにして、

「わかりました。」

と一言だけ言った。

5月の初め。新しい事をするのには、ふさわしい季節であった。同時に、新しいものが、順応していく季節でもある。きっと、そのためには、多少誰かとぶつかり合うこともあるんだろう。そんな事を考えると、いろんなものが、人間同士のぶつかりあいでできていることが、わかってくるのかもしれなかった。米之宮浅間神社の敷地内を、風がさっと吹いて、小さな石が転がっていった。



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開通 増田朋美 @masubuchi4996

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