第46話 朝の光と月の影

 出港してから既に数時間が経過している。

 朝焼けの中、ヒラクとユピを乗せた船は大陸メーザに向かっていた。


 追っ手を警戒しながら暗い海を航海する緊迫感は去っていた。

 揺れる船に気分を悪くしたユピに付き添い、ヒラクは甲板に出て風に吹かれた。

 一枚の毛布にくるまって寄り添う二人を眺めながらハンスはジークに言う。


「それにしてもどうするんだよ、神帝国の皇子を連れてきちまってよ」


「あの場ではああするしかなかった。とにかく勾玉主を船に乗せることが第一だったのだ」


 ジークは自ら言い聞かせるように言った。

 ハンスはジークの頑なな様子に首をすくめる。


「それで俺まで船に乗り込ませられたんじゃ、たまったもんじゃない」


「おまえが無茶な行動に出るからだ。あの場におまえを残していたら、奴らのつるし上げにあって正体を吐かされているところだ」


 ジークに非難されてハンスは顔をしかめて舌を出す。


「どうせ俺は口が軽いからな。どのみちこれで神帝国は他の仲間たちの洗い出しにかかるだろうぜ」


「まずは勾玉主まがたまぬしを保護することが第一段階だ。仲間には神帝との全面対決までうまく泳いでもらうさ」


「物騒なこと言うねぇ。戦争でもおっぱじめる気かい?」


 茶化すハンスにジークは厳しい顔つきで言う。


「勾玉主は偽神ぎしんを打ち払う者だ。神帝国が偽神の国ともなればそれも仕方あるまい。我々は勾玉主のために存在する戦士だ。そのことを忘れるな」


「へいへい、あの神帝国の皇子はそのための捕虜ってわけかい?」


「使いようによってはな」


 ジークもハンスも、勾玉主でない以上、ユピのことはもう神帝国の皇子としてしか見ていなかった。


 ヒラクはユピの隣で朝焼けに染まる赤紫の空と海をぼんやりと眺めながら、朝とも夕暮れとも知れない光景に、時が止まっているような不思議な静けさを感じた。群青色の空に月は白み、昇る太陽は赤く、朝の冷気は眩しい輝きを放っている。


「綺麗だね……」


 桃色の海面をみつめながらユピが言う。


「うん、それにすごく静かだ。まるでこの世の果てにいるみたいだ……」


 つぶやくヒラクにユピは静かに微笑みかける。


「もしもそうなら素敵だね。この船が君と僕だけしかいない世界へ運んでくれるといいのに」


 朝の光に溶け出すように儚げなユピの透明な笑顔にヒラクの胸はしめつけられる。それはまるでこの世のすべての美しさを凝縮したようなものだとヒラクは思うのだ。


 けれどももう無邪気にユピに綺麗だと笑顔で言えやしなかった。男女の区別もわからずに「お嫁さんになってほしい」と言い合った子ども時代には戻れない。


「ユピ……」


 ヒラクは不安げな顔でユピを見る。


「本当に神帝国を捨てたの? 神帝になるんじゃなかったの? おれと一緒に来てよかったの?」


「僕の居場所はヒラクのそばにある。僕はヒラクのためにだけ存在したい。これからもずっと一緒だよ」


 ユピは深く穏やかな青い瞳を潤ませた。風になびくユピの髪は銀色に輝き、磁器の濡れた光沢を思わせる白い肌は光に溶け込むようだった。

 ヒラクは思わず手をのばし、ユピの頬にそっと触れた。


「どうしたの?」


 ユピはヒラクの手をつかむ。


「何だかユピが消えちゃいそうで……。あの月みたいに」


 ユピの背後で消えかかる白い月を見てヒラクは言った。


「それなら君の光で僕のことを照らしてほしい。月は太陽の光なしでは存在することはできないから……」


 ヒラクの緑の髪を生き生きと鮮やかに照らす朝陽にユピの目がくらむ。

 ユピはしがみつくようにヒラクを抱きしめた。

 そしてユピはヒラクの肩越しに見る太陽が意識の奥に遠ざかっていくのを感じた。 

 自分の中に広がる闇に呑まれながら、ユピは溺れる者が息をつぐように途切れ途切れの言葉を吐く。


「ヒラク……どうか僕を照らしていて……。闇の中で……僕が僕を見失っても……君という光があれば……僕は僕でいられる……から……」


「ユピ、また具合悪くなったの? だいじょうぶ?」


 ヒラクは心配そうにユピの顔を覗き込む。


「……だいじょうぶだよ」


ユピは顔を上げ微笑した。だがそれはいつものユピの柔らかな笑みではなかった。


「朝の光がまぶしすぎて目がくらむ。勾玉の光のように……」


 ユピは昇る朝日に手をのばし、何かをつかもうとするように、こぶしを強く握りしめた。そして開いた手のひらを確かめるようにじっと見る。


「ユピ? どうしたの?」


 尋ねるヒラクを見て、ユピは口元に笑みを浮かべる。


「なくしものをしたんだよ」


「何をなくしたの?」


 ヒラクはきょとんとした目でユピを見る。

 ユピはヒラクの頬に手をのばし、意味ありげに妖しく笑う。


「だいじょうぶ。もうみつけたよ。二度となくしたりしない」


 微笑みかけるユピの青い瞳は氷のように冷たかった。


「決して逃しはしない」


 血の気の引いた唇をかすかに動かし漏らした言葉はヒラクの耳には届かない。


「え、何? 聞こえないよ」


「……何でもないよ」


 ユピは微笑して言った。


 船はきらめく水面を滑るように進んでいく。


 目指す大陸はまだ視界にも入ってこない。


 ヒラクは四方の大海原を見渡してためいきをつく。


「世界はなんて広いんだろう……」


 水の女神プレーナもこの海の中ではちっぽけなものだとヒラクは思った。

 真実の神は、海や空より大きいのだろうか……。そのようなものの前では自分は微小な存在と思い知らされるだけだろうか……。


(いや、ちがう……)


 ヒラクは毛布から抜け出て、両腕を広げ目を閉じた。

 ヒラクはまぶたの裏に光を、肌に触れる潮風を、船に当たる水音を感じた。

 意識で取り込む世界の中で、ヒラクは自分の存在がどこまでも行き渡るのを感じた。それはプレーナの中で感じた想いに近い。そのとき何者かが自分に語りかけてきた言葉をヒラクは思い出した。


―あなたがあなたであるための人生を選びなさい。


(あれは一体誰だったのか……)


 ヒラクは目を開けて船の行く手を眺めた。


「おれに語りかける声が、いつでもおれを導いてきた……」


 ヒラクは確信して言った。


「これからたどりつく世界で、その声の主に会えるかな」


 独り言のようにつぶやくヒラクにユピは声をかける。


「何か言った?」


 ヒラクはユピを振り返り、晴れやかな顔で笑った。


「これはおれの選んだ道だ。誰のための航海でもない。おれの願い、おれの望みだ」


 吹っ切れた様子のヒラクをユピは不思議そうに見る。


「おれ、神さまを探しに行くよ」


 そう言った途端、ヒラクの記憶の中の父イルシカが笑ってうなずいた。生を与えてくれた母に、旅立ちを望んだ父に、ヒラクは心から感謝した。


 見果てぬ大陸に想いを馳せるヒラクの琥珀の瞳の中に新しい朝のきらめきがある。

 真の神をみつけだすという勾玉主、ヒラクの物語が今、始まろうとしていた。



                          <ルミネスキ編へつづく>



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神ひらく物語ープレーナ編ー 銀波蒼 @ginnamisou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ