第45話 神帝国の皇子


 狼神ろうしんの旧信徒たちのほとんどが神帝国の兵士たちに捕らえられ、城砦へ連行されて捕虜となっていた。その場で狼神の旧信徒たちに対する尋問が執り行われ、信徒たちは狼神の封印の地にいた異民族たちとのつながりを問われた。しかし、北の山の向こうにいたアノイ族の存在を知る者は誰もいなかった。


 一部の狼神の旧信徒である若者たちが、目覚めの儀式がテラリオたちの策略であったと述べたため、カイルとテラリオは神帝国に連行された。そして二人は城の特別牢、すなわち塔に収監され、厳しい詰問を受けることとなった。テラリオは軍帥との面会を要求したが、兵士たちはこれを無視した。


「ちきしょう。兵士たちを北の山に遠ざけさえすれば、神帝国に迎え入れてもらえるはずだったのに……」


 テラリオは鎖で壁につながれた手かせにぶらさがるようにしてうなだれる。


「だまされたんじゃないのか?」


 テラリオと同じ状態で拘束されているカイルが隣で言った。

 テラリオは顔を上げて、深刻な表情でカイルを見た。


「……ちがう、きっと何かあったんだ。狼神の目覚めの儀式への詰問は神帝の指示だろう。が神帝の座についていればそんなことをわざわざするわけがない」


「何にしても、というのが神帝に成り代わることはできなかったというわけか」


「……ユピが邪魔をしたのかもしれない」


「ユピ? どういうことだ?」


 カイルはテラリオに尋ねた。

 テラリオはためらいながらも半ばあきらめたように語り始めた。


「……鍵を握っていたのはユピだった。ユピは神帝国の皇子だ」


 その言葉にカイルは驚き、目を見開いた。


「でも、あいつはヒラクと一緒に山を越えてきた。どういうことだ?」


「ユピはずっと行方不明だったんだ。ユピを支持する者たちがセーカにまで捜しに来たことさえある」


 それを聞いてカイルは、当時狼神の使徒の一人だったセルシオの話を思い出した。

 七年前、神帝国の者が二人、神帝が極秘裏に追放した者の後を追ってセーカ内に足を踏み入れたことがあるらしい。神帝国の者たちと狼神の使徒との間で接触があったとされているが、それは極秘の事実とされていた。


「そうか……。その時の二人は神帝国の皇子を保護し、いずれは神帝として擁立する目的でセーカに入り込んだというわけか」


 カイルは納得したようにうなずくが、すぐにあることがひっかかった。


「いや、待てよ。その者たちは追放者の存在を怖れていたと聞いている。神帝を怖れる以上にその追放者を怖れ、服従の意志を示していたと。当時ユピはまだ小さな子どもだ。そんな子どもの何を怖れるっていうんだ……」


「その神帝国の者たちが怖れていたのはユピじゃなく、の存在だ」


 テラリオは強ばった顔で言った。


「真の神ってやつか? いい加減そいつの正体を教えろよ」


 カイルは苛立った。

 テラリオはもはや包み隠さず話すつもりではいるようだが、どうしてもどこか曖昧な言い方になってしまう。


「正体なんて俺も知らない。ただ、の存在は本能的に恐怖を呼び起こす。直に接してみればおまえもわかる。この世のものじゃない存在……。俺にはそれしかわからない。だが、あの方はユピなしには存在することができない」


「どういうことだ?」


「あの方は肉体を持たない。ユピの中にあらわれれるんだ」


「……どういう意味だ?」カイルは不可解な顔をする。


「ユピの体を借りているんだ」


「体を借りる? よくわからないが、結局はユピってことだろう? おまえはユピが神帝になることを協力することで神帝国で自由を得ようとしたんだろう」


「……ユピは、何も知らないんだ」


 テラリオの言葉にカイルはますますわからないといった顔をする。

 かまわずテラリオは話を続ける。


は完全にユピを支配することができない。城砦に向かい神帝国に入り込む計画を立てたのはだ。だが、ユピはセーカに留まりたがった。ヒラクを待っていたからだ。だから俺はユピを、正確にいえばユピの体を城砦まで運ぶよう命じられた。

 その時知ったんだ。ユピはが存在するための体の持ち主にすぎない、中身はまったく別な存在だということを。はユピを完全に支配して、肉体的にも存在することを望んでいる。だが、今はまだユピと共存していくことでしか自分の存在を保てない。

 だからこそつけ入る隙もあった。ユピをうまく動かすことに手を貸しながら、俺は俺の望みを果そうとした。は俺の考えをわかった上でそれを黙って見過ごした。互いの協力が不可欠だと思ったからだ」


 テラリオはユピを神帝の座につけることができれば、神帝国で新しい神帝に仕える立場の者として厚遇されることを約束されていた。

 テラリオには神帝国でカイルと自由を手に入れたいという夢があった。

 そのカイルを救い出すために狼神の目覚めの儀式を思いついたときも、テラリオはその計画を実行することを許された。

 テラリオは、ユピの中のもう一つの存在を怖れながらも互いに有益になる手段を模索した。


「同じことがユピにもいえる。あの方はユピの願いを叶えてやりながら、うまく動かそうとしているのさ」


「ユピの願いって何だよ」


「ヒラクだよ。ヒラクをそばに置くという条件で、ユピは神帝国に戻ることを受け入れたんだ。ユピは自分が神帝の後継者となる皇子で、そのために軍帥に駒として利用されているにすぎないと思っている。黒幕がまさか自分の中にいるなんて夢にも思っていない。

 ユピは逃れられないんだ。自分を支配しようとする存在から、どこまでも逃げることはできない」


 テラリオは暗い声でつぶやいた。


 そしてテラリオが恐れる存在は、その言葉通り今まさにヒラクと共に船出したユピを逃がしはしなかった。

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