第44話 出港

 神帝国の兵士として潜伏していたジークに連れ去られたヒラクは、ジークが海の向こうの神へと導く「勾玉主まがたまぬし」という存在を探していた。勾玉主は神帝国を追放された幼い皇子ではないかと思われていた。しかし、実はそのそばにいたヒラクの方が勾玉主であることが明らかになった。そしてヒラクは、幼い頃から共に育ったユピが神帝国の皇子であったことを知る。


頭の整理がつかないまま、ヒラクは土地の者に同化した希求兵たちの潜伏先を経由して馬を乗り換えながら、ジークが向かう目的地へと向かった。移動の疲労もさることながら、思考することが苦手なヒラクは、思考停止したかのように潜伏先では食事と体を洗う時以外は、ほとんどずっと眠り続けていた。


荷馬車の荷に紛れ込んだヒラクとジークが数日の移動を経てようやく神帝国の船着き場の一つにたどり着いた。ここまではジークの計画通りだった。


 船着場の倉庫には水夫として働くジークの仲間がいた。

 彼の名前はハンスといった。

 ハンスはヒラクを積荷の陰に隠すと、自分と同じ水夫の格好をヒラクにさせた。


「こんな服だが我慢してくださいよ。まさか勾玉主まがたまぬしが女とは思わなかったもんでね」


 ハンスは物珍しそうにヒラクを見て鼻の下を指でこすった。


「問題はその緑の髪だ。とりあえずこれでも巻いていてくださいよ」


 ハンスはヒラクの頭にタオルを巻いた。

 ヒラクはどうでもいいといった態度でされるがままだった。

 それでもハンスはヒラクに興味津々といった様子でそばを離れようとしない。


「それにしても勾玉主って本当にいたんですねぇ。ところであれ、持ってるんでしょう? 見せてくださいよ、勾玉ってやつを」


「知らないうちに手の中にあったんだ。どうやって出すかなんて知らないよ」


 ヒラクは投げやりに答えた。

 ハンスはあからさまにがっかりした様子を見せる。


「はあ、そうなんですかい。しかし、そんなんで本当に大丈夫なのかい? ジークの奴。船まで出すんだ。かんちがいでしたじゃすまないぜ」


「だったら船なんて出さなきゃいい。おれはアノイに帰るんだ」


 今頃アノイの地はどうなっているのかヒラクは気になってしかたなかった。

 ヴェルダの御使みつかいはどうしているのか、父は無事なのか、アノイの村の人々は……。

 だがヒラクにはどうすることもできなかった。戻るどころか自分はこんなにも離れたところまで来てしまった。そんなつもりはなくても、まるで自分だけ逃げ出したようだとヒラクは自分を責めていた。


 暗い表情でうつむくヒラクにハンスは言う。


「帰るって言ったって、帰る場所などないんじゃないんですかい? 俺も似たようなもんでさぁ。十五年前この地に足を踏み入れてからは、遠いふるさとよりも長くここで生きてきたからね。今さらメーザに戻っても居場所なんてないんでさぁ」


 ヒラクは寂しそうにつぶやくハンスの顔を不思議そうに見た。


「あんたもジークと一緒にやってきた希求兵ってやつの一人なんだろう? みんな自分で望んでここに来たんじゃないの?」


「自分で望んで?」


 ハンスはおかしそうに笑った。


「俺は当時十歳のガキだった。俺たちは勾玉主を保護する計画のために集められ、密偵となるための訓練を受けてきたんですよ。それ以外の生き方なんて知りません。子どもの頃にすでに運命は決まっていた。あんただってそうじゃないのかい? 勾玉主として生まれてきたからにはその運命を生きるしかない」


「おれは……そうは思わない」


 ヒラクはもやもやとした気分を振り払うように言った。


「いつだっておれは自分で自分の行く道を決めてきた。大事なのは、おれが勾玉主だからどうとかじゃなく、おれがどうしたいかなんだ」


 ハンスは驚いたようにヒラクを見た。その強い目にハンスはヒラクの中にほとばしる輝きを見た気がした。


「……あんた、やっぱり勾玉主かもしれないね。俺の希望の光だ。俺が自分の人生をつまらないものだと思わずにすんだのは、勾玉主の存在があったからだ。真の神をみつけだし、新しい世界を開く者……。その新しい世界をこの目で見ることができるなら悪くないって思えたんでさぁ」


 ハンスは人差し指で鼻の下をこすって言った。


「まあ、少し休んでくださいよ。メーザまでの航海は長い。慣れてないなら船の上ではなかなか寝られないもんでさぁ」


「おれ……まだ行くって決めたわけじゃ……」


「じゃあ、ゆっくり決めてくださいよ」


 ハンスはそう言ってヒラクのそばを離れた。


「一応辺りは見張ってますが、勝手に外に出ないでくださいよ」


 そう言い残してハンスは倉庫から出て行った。


 ヒラクは腰を下ろして積荷に寄りかかった。考えることはたくさんあるが、選択肢は二つしかない。メーザに向かう船に乗るか乗らないかだ。


(おれは一体どうしたいというのだろう……)


 ヒラクは目を閉じ考えた。


(おれはどうしてアノイの地を旅立とうとしたんだっけ?)


 それはプレーナという神を探すためだった。

 五歳の頃に別れた母の信仰した神プレーナを知りたいとヒラクは思った。神を求める気持ちの根源はそこにあった。

 だがプレーナという対象を失った今でもヒラクの中の情熱は少しも失われていない。


(おれはまだ、何かを探し求めている?)


 ヒラクは自問する。

 プレーナはその手がかりにすぎなかったというのか。

 母と結びついたプレーナは、これからの運命の始まりにすぎなかったのか……。

 ヒラクは自分の心を探った。

 求めるものが何か、自分を駆り立てる衝動の源は何か。


 考えているうちに、ヒラクはいつのまにかうとうとと眠ってしまった。

 過去の回想が夢となり、父イルシカが現れた。


『ヒラク、自分の人生を、自分の意志でしっかり生きろ』


 イルシカはヒラクをまっすぐにみつめて力強くそう言った。


『神さまが知りたいっていうならとことん探してみればいい。おまえが納得するまでな』


(神さまを探す……。そうか、それがおれの求めているものだ)


 それはいつからだったのか、ヒラクは思い出していた。

 夢の中のヒラクは緑の光の水に浸かっていた。

 それはプレーナを抜け出すときにも体験したことで、生まれる前の記憶を思い出させるものだった。

 そのときすでにヒラクの中には「神さまを探したい」という願いがあった。


(おれはおれの運命をあのときすでに知っていた。生まれる前に自分で決めてきたんだ)


 何かがわかりかけたとき、記憶する間もなくその言葉は消えうせ、ヒラクはハッと目を覚ました。


 倉庫に誰か入ってきたのだ。


「ジークです」


 その声を聞いて、ヒラクは積荷の陰から姿を見せた。

 辺りはすっかり暗くなっていた。

 ランプを手に持つジークの姿が浮かび上がる。

 ジークは兵士としての鎧姿ではなく、動きやすそうなシャツとズボンに着替えていた。衣服にはところどころ破れやほつれがあり、薄暗い中でもわかるほど汚れている。


「その格好……」


「ああ、これですか?」


 ヒラクに尋ねられ、ジークは自分の服に目をやった。


「船員として船に乗り込むためです。準備は整いました。特別なルートで物資の売買をしている船に乗りメーザを目指します。さあ、急いで」


「うん……」


 夢の中で何かがわかりかけたヒラクだが、まだ迷いは感じていた。


「ジーク、ユピは今どこにいるの? 父さんは……いや、北の山を越えた兵士たちはどうなったの?」


「くわしいことはわかりません……。ただ、仲間内の情報によると、北の山の向こうは蛮族の地であったとの報告があったということです」


「……それで?」


 ヒラクは体を硬直させた。ジークは言いにくそうに言う。


「蛮族は一人残らず根絶やしに……」


 ヒラクは息をつめた。そして、腰を抜かすように力なくその場にひざを落としてうなだれた。


「そんな……父さん……。ピリカ、アスル……ルイカおばさん……」


 ヒラクは床に手をつき、涙を落とし、全身を震わせて叫んだ。


「うわぁっっ! いやだーっ!」


 ジークはあわててヒラクの頭からタオルをはぎ取り、ヒラクの口の中に押し込んだ。


「お静かに。どうか気を静めてください」


 ヒラクは口の中のタオルをかみしめながら目に涙を溢れさせる。

 ジークはヒラクを落ち着かせようと背中をさすった。


「ジーク、どうした? 早くしろよ、船が出るぜ」


 ハンスが倉庫の入り口から中を覗いて言った。


「さあ、急いで。立てますか?」


 ジークはヒラクを抱き起こし、無理矢理その場に立たせた。

 ヒラクはジークにひきずられながら、足元もおぼつかない様子でふらふらと歩いた。自分が一体どこを歩いているのかまるでわからないような状態だった。めまいと吐き気で悪夢の中にいるようだ。


 そんなヒラクの様子を見てハンスがジークに言う。


「おいおい、そんな状態でだいじょうぶかい?」


「仕方ない。とにかく今は船に乗せるんだ」


 ヒラクはハンスとジークの会話をぼんやり遠くに聞いていた。何も考えられなかった。ただアノイの人々の顔が次々と頭に浮かんできて、胃がきつく締め上げられるような痛みと吐き気を覚えた。


 埠頭には二本のマストに帆をはった船がつながれていた。全長三十メートル、幅九メートルほどの小さな帆船だ。

 

 風向きは良好、帆はたっぷりと風を含み、今まさに出港しようとしているところで、まごまごしている余地はない。


 ジークはヒラクを連れてそのまま船に乗り込もうとした。


「そこまでだ」


 手燭のランプを持った軍帥と数人の兵士たちがジークとヒラクの前に現れた。


「逃げ場など限られている。後は姿を見せるまで待てばいいだけのこと」


 ハンスは舌打ちし、後ろから軍帥に飛びかかった。

 兵士たちが一斉に剣を抜き襲い掛かるが、ハンスは素早く攻撃をかわす。


「ほう……。おまえ、ただのネズミではないな」


 ハンスは正体を気取られる真似をした自分の迂闊さに舌打ちをして、そのまま後ろに飛びずさった。


「剣をひけ。ここに来たのは血を流すためじゃない」


 軍帥の言葉に兵士たちは剣をおさめた。

 そこに兵士二人に伴われたユピが姿を見せた。

 兵士たちが手にするランプに照らされて闇の中に白く浮かび上がるユピは、辺りの殺気を払うほどに美しく、それでいてどこかぞっとする不気味な静寂をもたらした。


「ヒラク……」


 ユピはヒラクの前に歩み寄る。

 ジークはユピを警戒し、ヒラクをかばうようにして前に立つ。


「いいんだ、ジーク。少し、話をさせて」


 ヒラクはジークを押しのけてユピの前に立った。

 泣き濡れたヒラクの顔にユピはそっと手をのばす。


「かわいそうに……こんなに泣いて……傷ついて……」


 ユピは静かに涙を流した。


「もう誰にも君を傷つけさせたりはしない。だから僕と一緒においで。僕が一生君を守るよ」


「……それは神帝となっておれを守るっていう意味?」


 ヒラクは突き刺すような激しい目でユピを見た。


「ヒラク……僕は……」


 ユピはヒラクの頬にあてた手を思わず引っ込めた。まるで鋭利な刃物に触れたような痛みがユピの指先に走った。


「おれは絶対許さない。アノイの人々を滅ぼした神帝国を……神帝を! だからここでは生きられない。ユピと一緒にはいられない!」


 ヒラクの目に憎しみが宿る。

 ユピはその目をまともに見ることができずうつむいた。


「僕のこと、知っちゃったんだね……。だけど信じて、僕はただ、君の前ではいつでも『ユピ』だったってこと。神帝の息子でも誰でもない。君の前にいる僕はいつだって君だけのために存在してきた」  


 ユピの言葉を聞きながらヒラクはぼろぼろと涙をこぼす。


「今はもう何も信じられない。ユピが好きだ、大好きだ……でも、神帝は憎い、神帝国も憎い。神帝になろうとするならユピだって許せない!」


 ユピはヒラクを悲しそうにみつめると、唇を引き結び固く目を閉じた。


「ヒラク」


 ユピは決意を込めたまなざしでヒラクを見た。


「君と一緒にいられるなら、僕はもう何もいらない。君がそばにいないならここで生きる意味もない。神帝国などどうでもいい!」


「……皇子!今、なんと……!」


 軍帥はぎょっとしてユピを見た。ユピとヒラクが話している『禁じられた言葉』を軍帥は理解できなかったが、ユピの必死な様子から事態が思わぬ方向へ向かっているのを感じとり、動揺を隠しきれなかった。

 

 ジークはその隙をつき、ユピを後ろから羽交い絞めにして首筋にナイフをあてた。


「何するんだ!」


 ヒラクは叫んだ。

 ジークは兵士たちをにらみつけて言う。


「動くな、皇子を死なせたくなければ、このまま我々を行かせるんだ」


 兵士たちは軍帥の顔を見る。

 だが軍帥はどうすることもできず悔しそうにユピを押さえつけるジークを見ている。ジークはそのまま桟橋を後ずさりしてユピを引きずりながら船に乗り込もうとする。


「おまえも来い!」


 ジークはハンスに呼びかけた。

 ハンスは素早く船に近づき、ヒラクの腕を引っ張った。


「行きますぜ」


 ジークは軍帥をにらみつけている。


「おまえたちの大事な駒は私たちが預かる。船の後を追えば、皇子に重石をつけ海の底にすぐ沈める。いいな」


 そう言って、ジークはユピを連れて船に乗り込んだ。

 ハンスとヒラクもその後に続く。

 ジークはユピを押さえつけたまま甲板に立ち、身動きできない軍帥と兵士をにらみつけていた。


 船はゆっくりと岸から遠ざかっている。

 弓隊もない状態では兵士たちも為すすべがない。 


 港に残された軍帥は、漆黒の夜の闇へと遠ざかる船を呆然と見送っていた。

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