第43話 勾玉主
馬が口から泡を吹き、走れなくなる寸前まで、兵士は休息を取ることもなく南へと急いだ。
やがて森が見えてきたところで兵士は馬を乗り捨てた。
「ここからは歩いてください。二人の人間を乗せたままでは馬も持たない」
兵士はヒラクの手を引き歩きだす。
ヒラクはその手を振り払って兵士をにらみつけた。
「どこに連れて行く気だ! おれはアノイの地に戻らなきゃなかったんだぞ」
「それは無理です。あなたはもうこの地にさえいられない」
「どういうこと……?」
ヒラクは兵士をじっと見る。
男はまだ若かった。うっすらとひげを生やしてはいるが、引き締まった口元に老いのかげりはない。はちみつ色をした髪と明るい緑色の目が、男のいかつい顔の印象をやわらげている。
ヒラクは今初めて男の顔を見る気がした。だが男はヒラクのそばをずっと離れずにいたのだ。
「私はジーク・ベルモントと申します。あなたをみつけだすために北のこの地に足を踏み入れた者です」
「北の地? 何のこと?」
「とにかく今は先を急ぎましょう」
そう言って、ジークは辺りの様子をうかがいながら森の中を歩きだした。
森は延々と続くが、ジークは初めて足を踏み入れたといった様子でもなく、適当な野営地をみつけては、休息を取りつつ、先へ進んだ。
森を歩き続けて四日が経った。ヒラクは苛立ちをぶつけるようにジークに言った。
「一体どこまで行くんだよ。どうしておれをこんなところまで連れてきたんだ。いいかげん教えてくれてもいいだろう」
ジークは足を止めてヒラクを振り返った。そして歩み寄ってきたかと思うと、片足を後ろに引いてひざを曲げ、右手を胸にあてながら恭しく礼をした。
「失礼しました。目的地へ急ぐあまり、あなた様への配慮に欠けていたようです」
そう言ったかと思うと、ジークはきびすを返し、再び歩き始めた。ヒラクはあわてて追いかける。
「ちょっと待ってよ。おれの話聞いてた?」
「ええ。あなたが知りたいことはすべてお話します。ですが今は時間がない。歩きながら聞いていただけますか」
「歩きながらって……」
嫌だと言ってもジークは立ち止まりそうもなく、ヒラクは言うことを聞くしかなかった。
ヒラクがついてくることを確かめながら、ジークは話し始めた。
「あなたがセーカの地で捕らえられた時、見張りとしてそばにいたのがこの私です。その時から私はもしかしたらあなたこそ私の捜し求める人物なのではないかと思っていました」
「あのときの見張り兵が……」
ヒラクは息を弾ませるが、ジークの呼吸はまったく乱れない。
「始めはあなたがともにいたユピこそ捜し求める人物ではないかと思いました。だからこそ彼を神帝国へ引き入れる隊の中にもぐりこんだのです。しかし、あなたこそがそうだった。その手に握られていた勾玉が何よりの証拠です」
「マガタマ? 何それ?」
ジークの話を聞きたいヒラクは、足早に歩く彼の後に必死についていきながら尋ねた。
「神帝国の兵士たちに押さえつけられていたあなたが、手に持っていたものですよ。真の神に行き着く者だけが手にすることのできる証です。それを持つ者は勾玉主と呼ばれています」
「マガタマヌシ?」
「
「ギシン?」
ヒラクはオウム返しに聞いたこともない言葉を口にするだけで、理解がまったく追いつかない。かまわずジークは話を続ける。
「私の国では北の地に生まれる
ジークの仲間には狼神の旧信徒を神帝国の労働力として管理する立場の者もいた。彼らはセーカ内部の情報を食糧と交換して狼神の旧信徒たちから聞き出した。そこには勾玉主の所在を探る目的があった。
「私たちがこの地にやってきてすぐに神帝に跡継ぎが生まれました。しかし、その頃から神帝には一つの噂がつきまとうようになりました」
「うわさって?」
ヒラクは息を上げながらジークの横を歩いて尋ねた。
ジークは歩く速度を落として低い声ではっきりと言った。
「神帝は狂っていると……」
ヒラクは思わず息を呑む。ジークは再び歩を早めた。
「やがて決定的といえる出来事が起こりました。今から七年前、神帝はまだ幼かった皇子を処刑するよう家臣たちに命じたのです」
だが処刑を目前にして、神帝の妻は皇子を連れて姿を消した。
城内に入り込んでいたジークの仲間により得られた情報はここまでだった。
ジークたちは神帝の皇子こそが勾玉主だったのではないかと考えた。不確かではあるが、生まれた皇子の右手が不思議な光を放っていたとの情報もある。神を名乗る神帝が偽神であるというのなら、自分を脅かす勾玉主を恐れたとしても無理はない。
だがそれを確かめようにも皇子の消息は不明で生死もわからない状況だった。
「行方知れずとなった皇子の行方を私たちも密かに追っていました。皇子が勾玉主である可能性があったからです。そして先頃、一部の側近たちの動きから、どうやら皇子が生きているらしいということがわかったのです。そして私は皇子を迎える先発隊に兵士として潜り込みました」
「それで? その神帝の子どもには会えたの?」
何の気なしに尋ねるヒラクをジークはあきれたように見る。
「わからないのですか?」
「え?」
「ユピですよ」
ヒラクは思わず足を止めた。
ジークも足を止めてもう一度はっきりと言う。
「ユピは神帝国の皇子です」
風が木立を吹き抜ける。
木々の葉がうねるように揺れ、一斉にざわめいた。
「うそだ……ユピが神帝の子ども? そんなことあるわけない」
だがヒラクには思い当たることがあった。
それはユピと砂漠で初めて出会った日のことだ。
ユピのそばにはユピと同じプラチナブロンドの長い髪をした女が倒れていた。それが皇子を連れ出した神帝の妻だというのならすべて納得がいく。
さらにユピは自分の素性を決して明かそうとはしなかった。そして神帝国人でありながら、神帝国に戻ろうともせず、黙ってイルシカについてきた。母親の死体を砂漠に放置したのも、追われているユピには母の死を弔う時間もなかったからだ。
アノイの村でもユピは人の目を避けて家から一歩も出ようとはしなかった。
ただ一人、ユピはヒラクのことだけを受け入れた。「ユピ」とはアノイの言葉で「兄」という意味だ。ヒラクがそうユピを呼ぶので、ユピはそれを自分の名前とした。その時からずっとユピはヒラクのためだけに生きてきた。そのことを今さらヒラクは思い知らされるような気がした。
「おれ……ユピを置いてきた……行かなきゃ、戻らなきゃ……!」
ジークは引き返そうとするヒラクの腕を素早くつかんだ。
「戻ってどうするのです。ユピは神帝国の皇子として生きることを選んだのですよ」
「……何……それ……?」
ヒラクは耳を疑った。
「神帝の側近である軍帥は狂った神帝に代わる存在を求めている。現神帝を亡き者にしてユピを新しい神帝にしようとしているのです。そのために多くの兵士たちを北の地に追いやった。今、神帝を警護しているのは軍帥の息のかかった者たちだけです。この機に乗じてユピを神帝国に引き入れて、神帝の跡目に立てようとしているのです。ユピもそれに同意しました」
「ユピが? そんな……まさか!」
「まさか? ではなぜユピがあの城砦にやってきたと思うのですか。彼は自ら神帝の座を奪うことを望んだのです」
ヒラクは言葉を失った。
確かにユピは神帝国で何不自由ない暮らしができると言った。だがヒラクはそれがユピが神帝として生きることを意味しているなどとは思わなかった。
「ユピ……どうして……」
呆然とするヒラクの手を引きジークは先を急ぐ。
「とにかくユピが神帝として生きる以上、あなたはユピと一緒にはいられない。勾玉主であるあなたは、神帝という偽神を打ち払わねばならないのです」
「いやだ……おれはそんなこと望んでない。勾玉主なんてそんなもん知るか!」
「あなたは真の神が何たるかを知りたいと思わないのですか?」
ジークの言葉はヒラクの胸の奥の深い部分を衝いた。
「神を知る……?」
「勾玉主であるあなたが求める先に答えがあるのです。まさかあなたはこの北の地が世界のすべてとお考えか」
二人は森を抜けた。
大地の果ての海が見える。
「世界はこの海の向こうにも広がっているのです。ここは北のはずれの地ノルド。私は大陸メーザからこの地にやってきたのです」
「ノルド……メーザ……?」
「私とともに来てください。勾玉主であるあなたが進むべき道が示されます」
「行くって……どこに?」
「メーザの地にある私の国です。まずあなたは自分が何者であるのかを知る必要がある」
「自分が……何者か……?」
ヒラクは広い海の向こうをみつめながら、この先に自分が求める答えがあるのだろうかと漠然と思った。
「メーザに向けてすぐに船を出します。それまでは私の仲間があなたをかくまいます。どうか覚悟を決めてください」
有無を言わさぬ口調でジークはヒラクに言った。
ヒラクはどうしていいかもわからないまま、船着場のそばの倉庫に身を隠すことになった。
すでにもうヒラクの運命は動き出していた。
それはもう誰にもヒラク自身にさえも、止められるものではなかった。
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