第42話 覚醒の光
イルシカ……!
ヒラクの脳裏に声が響いた。
それは確かにヴェルダの
神帝国に向かう軍帥直属の十数名の隊の野営地の天幕からヒラクは外に飛び出した。
城砦を出て二日後のことである。
「どうしたの? ヒラク」
ユピはヒラクを追いかけてテントを出て言った。
ヒラクは全身張りつめた様子で瞬きすらしない。
「聞こえた……今のは確かにヴェルダの御使いの声だ」
ヒラクは背後を振り返った。その方角にはセーカがある。
「あっちだ。ヴェルダの御使いはあっちにいる。父さんの名前を呼んでいた」
ヒラクは思わず駆けだそうとした。
外に待機していた兵士たちが行く手をふさぐ。
「どけよ。何だよ、おまえら」
ヒラクは兵士たちをにらみつける。
兵士たちとヒラクの間に軍帥が騒ぎを聞きつけてやってきた。
「おまえが向かう先は神帝国だ。おとなしく我々についてくるんだ」
「おれはあっちに行きたいんだ!」
ヒラクは軍帥を突き飛ばして駆けだそうとするが、逆に腕をつかまれ、ねじあげられた。
「手荒なことはやめてください」
ユピに言われて軍帥はヒラクから手を離した。
「ユピ、どうしておれを行かせてくれないんだ。ヴェルダの御使いに何が起きてるんだ!」
ヒラクの問いにユピは答えず目を伏せた。
そこに一人の兵士が口を出した。
「
それはセーカで身柄を拘束されていたとき、ヒラクの傍らにいた見張り兵だった。
「狼神? 北の山?」
ヒラクは何のことだかわからないといった顔でユピを見る。
ユピは困ったように目をそらす。
「ユピ、どういうこと? 北の山に狼神なんて……」
言いかけてヒラクはハッとした。
さきほど聞こえたヴェルダの御使いの声はイルシカの名を呼ぶものだった。
「神帝国の兵が北の山にだって? 狼神なんていない。北の山の向こうは封印の地なんかじゃない。そこにあるのは……あるのは……」
生まれ育ったアノイの地が鮮やかにヒラクの目に浮かぶ。
山に茂る木々、幾筋もの川、川筋の集落、草木で葺き上げた家……
「父さん!」
ヒラクは兵士たちを振り切って駆けだそうとした。
だがその場にいる兵士たちがヒラクをうつぶせに押さえ込む。
「ちきしょう、はなせ、はなせ! アノイの地は狼神の地なんかじゃないぞ。関係ないんだ、アノイの人々は」
もしも神帝国の兵士たちがアノイの地に入り込めば、結果は目に見えて明らかだ。 アノイの地を荒らす侵入者にアノイの人々は混乱するだろう。兵士たちは攻撃をしかけるかもしれない。ヒラクには最前に飛び出して戦いに挑むイルシカの姿が容易に想像できた。
「今すぐ神帝国の奴らを止める。止めるんだ!」
ヒラクは兵士たちから逃れようと必死でもがく。
そんなヒラクの前に立ち、ユピは悲しそうに言う。
「しかたないんだよ、ヒラク。こうなることは父さんもわかっていた」
「……父さんが?」
「アノイの地を旅立つ前夜、父さんは僕に言ったんだ。『戦が来る。においがする』って」
ユピはその時のことを話し始めた。
「父さんは、ヒラクを連れて逃げてくれと僕に頼んだ。もしヒラクがプレーナではなく神帝国で生きる道を選ぶとしたら一緒にいてやってほしいと。でもきっと父さんは、ただヒラクを危険から遠ざけたかっただけなんだ。僕が行くならヒラクも行くと考えたんだろう」
「……じゃあ、ユピもおれのために?」
ユピは静かに微笑んだ。
「山を越える自信は僕にはなかった。あのときの僕はせめて君一人だけでもと思った。父さんだってきっとそうだったと思う。だからヒラク……」
ユピはヒラクの前にかがみ込み、その目をじっとみつめた。
「決して戻っちゃいけない。君は生きなきゃいけないんだ」
ヒラクはぐったりとその場に伏せた。
兵士たちはヒラクを押さえつける手をゆるめた。
ユピはヒラクが納得してあきらめたものと思った。
だがヒラクのこぶしは力強く握られたままだ。
「……そんなのいやだ」
声を震わせ顔を上げたヒラクの目は強い光を宿していた。
「今さら何も知らなかったように生きることなんてできない」
ヒラクは兵士たちの隙をついて走り出した。
だがすぐ兵士たちに回りこまれて、三人がかりで押さえられた。
「はなせ! おれを行かせろ! 父さん!」
ヒラクはじたばたともがく。目からはぼろぼろと涙がこぼれた。
ヒラクは今自分を自由にしてくれるものがあるなら何にでもすがりたいと思った。
今すぐアノイの地を守る強大な力が得られるならば……神帝国の兵士たちを一掃する力があるならば……!
一体誰にそんな力があるというのか、無力な自分と対比する偉大な存在がいるというのか。それを求める気持ちが、すがりたい心が、祈りを生み出してきたのか……?
ヒラクは「神」を求めた。
だがそれと同時に聖地プレーナの人々の姿を思い出した。
思い描いた神が与える望みどおりの救済という幻想で魂を慰める人々の姿にヒラクは絶望を感じた。プレーナの人々は自ら作り上げた聖地を永遠の地と信じて疑わなかった。だがヒラクは、出口のないふさがれた世界を魂の安住の地とは思わなかった。
ヒラクにとっては生まれ育ったアノイの地がずっと世界のすべてで中心だった。
だが山の向こうには自分の知らない世界がいくつも存在した。見知らぬ人々、見知らぬ神、そしてヒラクは自分さえ知らなかった自分を知った。
(自分が何者かなんてわからない。だけど無力でちっぽけなだけの存在だなんて、思いたくない)
ヒラクはこぶしに力を込める。
(おれは神を求めているけれど、すがりたいわけじゃない。知りたいんだ! わかりたいんだ! 決めつけたくなんてないんだ!)
そのときヒラクのこぶしからまぶしい光が放たれた。
光はヒラクの全身を覆い、兵士たちを弾き飛ばした。
光を全身に吸収しながら、ヒラクはゆっくりと立ち上がった。
軍帥は自らの体を盾にユピを守るようにしながら呆気にとられてヒラクを見ている。
ユピは軍帥の前に出て、ヒラクのそばに近づいた。
ユピの目はヒラクのこぶしをじっとみつめている。
「その手の中にあるものを見せて」
ユピは青ざめた顔をして、血の気のない唇を震わせて言った。
ヒラクはこぶしを上向けてゆっくりと指を開いた。
「……何、これ?」
ヒラクは自分の手のひらにあるものに驚いた。
そこにはまぶしい光を放つ水晶の勾玉があった。
「……どうして君がそれを?」
「ユピ?」
様子のおかしいユピをヒラクは不審顔で見る。
「それは僕のものなんだ。返してほしい」
ユピはうつろな表情で口元にかすかに笑みを浮かべながらヒラクに向かって手をのばした。
ヒラクはユピが自分の手のひらから勾玉をつまみあげようとするのを黙って見ていた。
だがユピが触れた途端、勾玉は音もなく消え、光も失せた。
その瞬間ユピは悲鳴をあげた。
「なぜだ、どうして……!」
ユピはヒラクにつかみかかろうとしたが、突然うめき声を上げ、頭を押さえてその場に崩れ落ちた。
「ううっ、やめろ! 頭が、頭が割れる」
「貴様、皇子に何をした!」
軍帥がヒラクに向かって剣を抜いた。
周りの兵士たちも一斉にそれにならう。
そこに一頭の馬が突っ込んできた。
その場にいた一人の歩兵がいつのまにか軍帥の馬を奪い騎乗していたのだ。
「捕まってください!」
兵士は片手で手綱をしっかりとつかみ、あいている方の片腕でヒラクの体を抱き上げた。
あっというまにヒラクは馬上の人となった。
兵士はその場にいる者たちを振り切ろうと猛然と馬を走らせる。
「ユピ! ユピが……!」
振り返ろうとするヒラクを馬の背に押さえ込みながら兵士は言う。
「黙って! 舌をかみます」
兵士は神帝国の人間であるはずなのに神帝国の言語ではなく、ヒラクの母語である「禁じられた言葉」を話した。だがヒラクはそのことに気づかない。
ヒラクは狂ったように走りだす馬に必死にしがみついた。
ヒラクと兵士を乗せた馬は丘を駆け下り、南に向かって疾走した。
それはヒラクの新たな運命の始まりだった。
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